ミニマリストを目指すのはやめよう。「気付いたらそれっぽくなってた」くらいが丁度いい。
ミニマリストという言葉ができてから4年くらい経ったでしょうか?初めて聞いたときは衝撃を受けたと同時に「俺も目指すはミニマリストだ!」なんて思ったものです。
でも私は今はミニマリストは目指すものではないと考えています。
ミニマリストを目指した人が辿りがちな末路
冒頭にも書いた通り、私は一時期「ミニマリスト!?すげえ!これ極めたらストレスから開放されるし金も要らなくなるじゃん!最強!」などど思ってミニマリストを目指したときがありました。
最初のうちは確かに「なくても困らない物」を捨てまくるという行為が楽しくて仕方がなかったのですが、段々減らすべき物が無くなってきます。
すると今度はどうなるかというと「ないとちょっと不便だけどなんとかなるもの」を捨て始めます。それらの処分が完了すると今度はどうなるでしょうか。
「ないと割と困るもの」を捨て始めます。使命感に駆られて。
そして気づくのです。
「は!?ミニマリストくっそ不便やん!!!」
と。
ミニマリストを極めても不便、不快なら意味がない
最初は楽しくやっていたはずが次第に「とにかく物を減らさなければ」という使命感に駆られてミニマリストを演じる人になってしまうわけです。
度を超えたミニマリズムは必要なものまで捨ててしまうため、かえって不便・不快になります。
例えば「服の数はそんなに要らない、洗濯すればいい」といって服を過剰に減らして結局面倒な洗濯の手間が増えたり、、、
「洗濯板があれば洗濯機は要らないことに気付いた」と言って毎回とんでもない時間と労力をかけて面倒な洗濯をする時代に逆戻りする人などなど。
そこまでやるのって意味あるんだっけ……?と思ってしまいます。
そもそもミニマリストが目的ではなかったはず
そういった過剰なミニマリズムを目指すことは私はもうなくなりました。
ただ、私はとにかく合理主義な人間なので普段からあらゆるものの効率化を図っています。
その結果として、気付いたらミニマリスト的な生活に近づいてはいますが、これはなにもミニマリストになろうと思ってやったわけではありません。
気付いたらミニマリストっぽい生活に近づいていただけです。
違いは、必要なものまで削っていないかどうか、です。
そもそもなぜミニマリストになろうと思ったか。
考えてみれば物を減らすことでストレスや出費、労力から開放されるのが目的だったはずです。
それがいつしかミニマリストが独り歩きして、手段が目的化してしまうと、逆にストレスを感じたりお金や労力がかかるような物の減らし方をしてしまいかねません。
目指すべきは合理化、効率化。物を捨てる判断基準は……
ですので今の私は、目指すべきは最高の効率化だと思っています。
時間や金というリソースを割り振って、いかにパフォーマンスを最大化させる使い方をするか。
これを物を捨てる際の判断基準にすると、
<捨てるべきもの>
捨てることで時間やお金の浪費やストレスが減らせるもの
<捨てるべきではないもの>
捨てたら時間や手間がかかりストレスや出費が増えるもの
ということになると思います。
もちろんミニマリストを極めてミニマリスト芸人みたいなポジションになるなら、それはそれでキャラ作りとして良いと思います。
そうではなく、ミニマリズムを手段の一つと捉える合理主義者だと思うなら、効率化を目的に置くようにしましょう。
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