自民党の裏金問題について

メディア報道に触れているだけだと、根本的に誤解してしまう。
まぁ、誤解するように誘導してるのだから、当たり前の話ではある。


3月30日、時事通信の報道

満身創痍の首相、描けぬ解散戦略 裏金事件の真相見えず 与党で「岸田離れ」加速〔深層探訪〕

と大層な表現を使っている。
 「真相見えず」
とあるが、見ようとしてない記者たちに何かが見えて来る訳も無く。

根本的に大した話じゃないものを、
 「如何にもカネに汚い政治家の姿」
と映るよう、メディアが印象操作しただけの話だ。

【裏金は「扱い」だけの問題】

裏金は贈収賄でもなければ、脱税の話でも無い。
入りは政治資金パーティのパーティ券由来で、政治資金として使う為に個人、団体から受け取った浄財だ。
その私的流用が疑われれば、それこそ今頃脱税で立件されてて当然。
そうなってないって事は、私的流用の証拠無し。

つまり、カネの出は検察の調査でも確認出来なかったと言う事。
 「カネの入りもカネの出も問題無かったが、政治資金報告書に正しく記載が無かった事が問題だ」
と言う政治資金規正法の違反事例。
これは運転免許不携帯と同様の形式犯でしかない。

それ自体が法益侵害の危険はないが、規定に反した行動を取っているのでアウト、と言うだけの話。
巨悪が裏でうごめくような話じゃない。

「規定に従え」と言うのはその通りだが、派閥からのパーティ券販売ノルマに不安を抱える議員が来年度以降の保険として財布を厚くしておきたい、との動機はそこまで責められる話じゃない。

キックバック分をしっかり報告書に記載してしまうと、派閥から課された販売ノルマ未達分を自身の政治資金から穴埋めした場合、自身の政治団体から派閥への支出金として記載するしか無くなるし、同額受領を派閥団体も記載しないと辻褄が合わなくなる。

この会計処理をした時点で、当該議員のノルマ未達を派閥へ報告するしかなくなり、
 「自分の財布で穴埋めしたからセーフ」
とはならない。
これが未記載なら、
 「いつ誰に売った分のパーティ券売り上げか?」
がふわっとしたまま、つまり議員が当年にノルマ達成したように見せ掛ける事が可能になる。
その為だけの不法行為だったのだ。

自民党議員があたかも私腹を肥やしたかのようなイメージを持ってる国民は少なくないだろう。
事実関係なんかどうでも良くて、「悪辣な自民党」とのフレームアップさえ出来れば万々歳のマスコミ、反対野党による大勝利だ。
「モリカケ桜」の頃から、日本人の政治リテラシーはまるで変ってない


【公明党も崖っぷち】

当該記事には、政局を読み解く上で別の問題も孕んでいる。
公明党に関する記述に関してだ。

 「自民の混乱に公明党もあきれ顔」
と他人事のような公明党のスタンスが記事後半に書かれてるが、そんな悠長な事を言ってられない事情がある。

維新は関西地域での地方自治との兼ね合いで公明党への配慮をして来た。
維新単独では地方議会多数派を作れない中で、公明党との協力を得る事でスムーズな議会運営を実現する為だ。
自公擦り合わせで公明候補の立つ小選挙区には、維新候補擁立を見送る
それが公明党の小選挙区での高い勝率の理由でもあった。

だが、次の解散総選挙では、維新がこの配慮を止める方向で動いてる。
そうなれば、公明党の関西小選挙区での当選はほぼ無くなる。
「次」が何時来るかは、公明党の党勢衰退顕在化のタイミングとセットだ。公明党にとって他人事じゃないのだ。

公明党は創価学会員の熱心な投票呼び掛けで得票の底上げを狙う関係上、国政選挙が立て続けに起こる事を嫌う。
「どうしても」と言うお願いが連発されれば、それに応じる友人・知人も減ってしまうからだ。
来年春の参院選が確定している中、その前に必ず解散総選挙はある。
早めの解散総選挙は公明党の願いだ。

だが、自民への不信が高まる中では戦えない。
それ故、「今じゃない」との言葉が出るのだ。

一方で、任期満了では来年参院改選が近くなってしまう。
早くても遅くても、そのどちらでも困ってしまうのが公明党の本音だ。
それを「公明党からも突き放される自民党」とのフレームで描こうとするから、この記事のように
 焦る自民党、涼しい顔でそれに呆れる公明党
との書き振りになる。
全く実態にそぐわない記事だ。

結論ありきで公明党の事情を知らない読者を騙そうとしてるに等しい。
時事通信社は、読者の政治リテラシーを低下させる事にしかならない記事を全国の新聞社に売って商売しているのだ。
事前情報を知らずとも、世の中の事を知る事が出来る為にあるのが新聞、メディアであるべきだろうに。


まとめ

今のメディア報道は、読めば読む程、そのメディアが読み解きたい方向に誘導される。
ありのままの情報を受け取る為には事前情報が必須。
 メディア自体がその報道内容をどのように受け止めたいか、それを読者にどう受け止めさせたいか?
と言う眼鏡によって大きく歪められている。

実際、裏金問題の本質は、
 政治資金として使って欲しいとして有権者、個人、団体が買ったパーティ券代金が、政治資金報告書に適切に記載されなかっただけ
の話であり、それ以上でもそれ以下でも無い。

政治資金を個人的支出に使っているのが分かれば、検察としてもその部分は確定申告されてない収入として見るよりなく、下手をすれば脱税容疑が掛けられる。
検察は政治家の顔色を窺っているかのような言説もあるが、単に政治日程に影響を与えると検察が政治的影響力を及ぼしたとの批判が検察に向けられるのを嫌うだけで、政治家を検挙するのはお手柄として内部的に評価されると言う。
(そうした空気によって、時に無理筋の案件を立件してしまい、有罪を勝ち取る為に証拠の改竄まで手を染める検察官が出てしまう)

検察が
 「こりゃ無理だ」
と諦めた案件を、野党、メディアがこぞって騒いだ所で、より大きな疑獄発覚に繋がる訳が無いのだ。
そこを如何にも贈収賄的な犯罪や、不正蓄財のような私利私欲にまみれた「政治とカネ問題」かのように印象付け、事実騙されている国民多数となってしまった。

おかしな話ではあるが、民主主義は国民の多数派がおかしな主張に騙されれば、政治家の方がそれに合わせて行動するしか無くなる。
民主主義のデメリットそのものだ。

新聞、テレビ、週刊誌と言った媒体で扱われる政治ニュースは、報じる側の政治的スタンスが露骨に影響している。
そこを知ろうとしない国民は、メディアの扇動に極めて脆弱な存在でいるしかなくなり、その行き着く先は衆愚政治一択だ。

世の中、何故こんなに嘘吐きばかりなのだろう。
なんて事をしみじみと噛み締めるエイプリルフール。

<了>

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