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「将来の夢」を聞くのって、そろそろ終わりにしない?

幼稚園のお誕生会

次男の通う幼稚園のお誕生会では、ホールに全園児が集まり、その月に誕生日を迎える子供がみんなの前でインタビューを受ける。

その時に聞かれる質問は、お決まりのこれだ。

「大きくなったら、何になりたいか?」

次男は毎回、この質問に困る。具体的になりたいものがないからだ。

幼稚園の作品展

そして、先日のこと。来月に控えた作品展に向けて、いろいろな作品を作っているのだが、その中の1つに「将来の夢」というのがある。

たとえば、将来の夢がサッカー選手だった場合、大きな模造紙の上に、ボールを蹴る格好をして横になる。それをペンでふちどっていき、等身大の自分を描く。その横に「サッカー選手」と書いて掲示するそうだ。

このテーマも「将来の夢」。次男はまた困る。なんて書けばいいのか。

迷った次男は「サッカー選手」にしたらしい。これにはちょっと驚いた。というのも、次男はサッカーを習ってないし、1週間のうち1分だってサッカーなんてしないし、全然好きではない。ルールさえ知らないだろう。

それでも「サッカー選手」を選んだのは、分かりやすいからだ。サッカー選手と答える子は多いし、ポーズも分かりやすい。第一「ありません」と答えたところで、受け入れてはもらえない。はっきりとなにかの職業の名前を言うまで聞かれ続けるのだろう。

「将来の夢」を聞くのって、そろそろおわりにしない?

昔から思っていたけど、子供に将来の夢を聞くのってどうしてなんだろう?どうも昔から違和感を感じるし疑問だ。具体的には3つ。

1つめは、「子供には将来の夢があって当たり前」あるいは「子供は将来の夢を持つべき」という固定概念のおしつけ。これってなんで?誰がいつ決めたのだろうか?将来の夢がある子もいるし、ない子もいる。算数が得意な子がいれば、苦手な子がいるのと同一レベルの個性じゃない?

2つめは、そもそも子供が知っている職業が少ないのに、そこから選ぶことに意味があるのか?毎年、子供がなりたい職業ベスト10みたいなものが発表されるけど、それって職業一覧みたいなものから子供が選んでいるのかな?もしそういうのがないとしたら(ないだろうし、一覧作るのも不可能だと思うが)、知ってる職業ってごくごく限定される。

第一、今ある仕事にも職業名なんてつけられないものはたくさんあるし、複数の仕事をかけもちしている人もいるし、将来的には今はない仕事もたくさん誕生しているだろう。無限な将来の理想像を、ごく限られた今の選択肢から選ぶなんて、意味があるのかな?

3つめが、もし将来のことを聞くなら「なりたいもの」じゃなくて、「やりたいこと」じゃないか?今ある職業のどれになりたいか、ではなくて、これからは自分の「やりたいこと」「好きなこと」をベースに、仕事を見つけたり、作っていくのではないだろうか?

まとめ

とまぁ、こんなふうに、幼稚園や学校の先生からの「将来の夢は?」という問いかけには、長年疑問を抱いてきた。

適当に「ケーキ屋さん」とでも言っておけば?という声も聞こえてきそうだ。自分でも面倒な人だと思うけど、やっぱり変だと思うからしょうがない。

こんな私に育てられたから次男は夢がないのだろうか?ちなみに、長男長女も特別な夢はないらしい。長男は幼稚園時代、先生に「将来の夢は?」と聞かれて困ってしまい「パパみたいな人」と答えていたっけ。長女は好きでもないのに「プリキュア」って適当に答えていた。

でも、子供達にはそれぞれ好きなことがある。今、夢中になることがあればそれでいいんじゃないかな。将来の夢ってそんなに必要?

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