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『なぜ人と人は支え合うのか』

 感想文をどうまとめるか非常に悩み、読了してからかなり日が経ちました。

 うつ病のために休職2度目の現在。
 ここ数日は落ち着いていますが、先週あたりまではかなり悲観的で、「このあと復職できてもまた休職してしまうのではないか」という不安感が強く、「今の仕事は辞めて、就労移行支援とかに頼るなり、障害者雇用で働くなりした方が良いんじゃないか」などと考えていました。
 しかし、ここで疑問。自分のうつは”障害”なのだろうか?
 ”障害”って、何なんだろう?と、シンプルな疑問を持ちました。
 そこで、読書家で医学有識者である父に、障害とは何かが分かるような本がないかと聞いたところ、教えてくれたのが、この本でした。


 もともと「障害者」と「健常者」という言葉のあいだには、明確に線引きできるような境界線があるわけではありません。
 (中略)
 とりわけ、近年では「自閉症スペクトラム障害」という言葉がよく知られるようになりました。「スペクトラム」とは、連続体という意味ですが、自閉症傾向は、ごく軽い人から重い人まで、幅広く分布しているという考え方です。
 (中略)
 誰もが、ある部分では健常者ともいえるし、別の部分では障害者かもしれない、というように、障害と健康の連続線上を揺れ動きながら生きています。

 であれば、今の私はまさに、障害と健康の連続線上に存在している、ということになります。


 この本は、重度障害者を通して考える障害者福祉観をベースに、「支える・支えられる」ことについて書かれています。

 人は誰かを「支える」ことによって、逆に「支えられている」のです。

 また、同様に一貫して書かれているのは、「誰にでも、自分の人生を主体的に生きる自由がある」ということです。

 障害をもって生まれたのは、別にその人の責任ではないのに、なぜ障害があるというだけで、「普通」に生きる機会を奪われなければいけないのか。

 どちらも、読めばそれはそうだなと分かることですが、普段の生活の中では忘れてしまいがちで、しかもこのことを忘れると容易に差別や偏見につながる、根本的にとても大切な考え方だと思います。

 けれど、6年前の津久井やまゆり園での事件とそれに対する世間の反応から見るに、このような考え方が世の中1人1人にいまだ根付いていないということは明らかです。
 障害者と健常者を切り離して考えたとしても、これだけの偏見が存在するのだから、私のような障害と健常の連続線上にいるグレーゾーンの人の生きづらさが解消される日もまた遠いんだろうかと、根の深い問題を見つけた気持ちになりました。

 この問題は誰にとっても他人事ではないのにな。
 と思いつつ、自分もうつにならなけばこういう考えには至らなかっただろうなとも思います。

 まだまだ思考がぐるぐると回りますが、このあたりで筆を置きます。

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