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これまでずっと"頑張ること"を
美徳として生きてきた。

大変でも、傷ついても、
わたしより困難を感じている人がいるから。
多少の痛みであっても、まだ歩けるから。
だから歩き続けないと、頑張らないと…

こうして振り返ってみると、非常に奇異な思考に
囚われていたのだと気付く事ができる。

あなたにとっての痛み・苦しみは
(大きな源では同じだけれども)
体験・経験したボディが異なるから
おおらかな気持ちで「辛かったんだね」
「大変だったね、もう大丈夫」と
寄り添おうとするのに

それが自分に向かうと
「いやあの人はこんな状況でも頑張っていた」
「その人は、私以上の痛みを経験している」
と、屁理屈をこねて、頑なに否定してきた。

あなたの苦しみ、わたしの苦しみ。
感じている"わたし"は異なるのに、
どうして同じように、乱雑に括りつけて
「だから大丈夫」「まだ頑張れる」と一言で
済まそうとするのか?

感性は異なるものだ。
リンゴを見て「赤い」と思う人もいれば
「美味しそう」と思う人もいる。
感性は異なるものなのだ。

他者、誰か、第三者…
どんな言い方でも構わないが、己の痛みを
他と比較し「自己憐憫」「自慰行為」と
乱暴に傷つけるのは、黙らせるのは
もうやめにしよう。

あなたの痛みは確かに在り、
わたしの痛みも確かに在る。
ただそれだけなのだから。

こうして痛みを言葉にしようとすると
「どうせまた"可哀想"と思われる」
「うんざりされて、発した事を後悔する」
と、感じているわたしがいる。

きっとこれまでの経験から
これ以上わたしが傷つかないようにと
出してくれている声なのだと思う。

でも、今は違う。
過去とは「過ぎ去ったもの」である。
あの時と今は、周りの環境も、世界への信頼も
自身との向き合い方も大きく変わっている。

勇気を出して、世界を信じてみる。
想いを、言葉を発してみる。
これまでのわたしだったら取らなかった選択。
それをしてみている。

すべてが完璧である事を思い出したから。
安心感に身を委ねてもよいと気付いたから。

藤井風くんの「Grace」を思い出しながら。

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