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【子育て】自立するタイミングを教えて?

息子と家から車で10分くらいのところにある公園に行った。学学区で言えば、隣の隣。少なくとも息子と同じ学校のお友だちはあまり自力では来ない公園。

きっと子どもと話すことはないだろう。そんなわけで、メガネに帽子。Tシャツにデニム。めちゃくちゃゆるゆるっとした格好でさらにお犬ちゃんも連れて出かけたところさあどっこい。

「こんにちは!」

自転車に乗った比較的身長の高いお姉ちゃん、息子のトイレ待ちをする私に話しかけてきてくれた。

「こんにちは〜」

そこから始まったやりとり。
どこの学校ですか?とか、ここのアイスって値段高いんですよ!200円もするの!とか、ねぶた祭りに行くんだとか、この公園でもうすぐお祭りあるですとか。
とにかくたくさんの話をしてくれた。
そこへさらに同じ学校だという女の子がやってきて、またアイスの値段の話をしてくれた。よほどこのアイスの自販機は、お値段が強気らしい。私としては物価も上がったし170円か〜とか思ってたけど、彼女たちからしたらされど170円というわけだ。確かに同じ年頃の自分がここにいたなら、「絶対ここじゃ買わない!」と地団駄を踏んでいたと思う。

そんな私の横に、トイレから戻った息子。
幼い女友だちと話しているところに、息子はどうしていいかわからない様子。それもそうだろう。と女特有のわりと深い話をしていた。例えば先生に片想いする子がいるとか、好きな男子の話とか。
近頃好きな子がいるという息子。そりゃこんな話にどんな顔をしていいかわからないだろう(笑えばいいと思うよ。byしんじくん)。

うまく話題をすり替えて太鼓の話をする。この公園で開催予定のお祭りには、任意で参加した子どもたちがやぐらに上がり太鼓を叩くそうだ。その練習をしている様子が、近くの建物の窓から見えた。思わず腕がなる。…いや、ならしたい。
なぜなら私も地元のお祭りで小学生だった6年間毎年太鼓を練習し、お祭りで披露していたのだ。なんなら、マイバチだってある。手汗握って叩いたバチだから、さすがにきれいとは言えないが…頑張った努力の勲章である。

そこから絶えず女子2人話が止まらないので相槌を打ちながら風に吹かれること1時間。家で干している洗濯物と布団が気になり、お暇することにした。ここまで息子、ずっと私の横で工作した車をコロコロ転がしていた。

これは技術の成績が3という、良くも悪くもない
成績を勝ち取った母の私と
木材を初めて扱った息子の共作
木の車である。ぷっぷー
紫ピクミンのおいもちゃん「あたちが通るわよ!」

彼女たちと別れを告げ、息子は言う。

「会話に入れて欲しかった」

え!?何度も話を振ったよね!?
そう思うが、やはり小学3年生となると少し、思春期に足を入れかけているせいか戸惑いと恥ずかしい気持ちと年上のお姉さんと色々あるらしい。男の子も大変だね…。

「お母さんは本当にママ友いないのに、子どもの友だちたくさんだね」

自覚してはいるが、やはり面と向かって言われると言葉に詰まる。だがしかし、言い返したくてもこれが現実だ…。がしかし、わたしはそれでいいと思っている。心から話ができるママ友が少しいれば、わたしはいいんだもん。ほんとに。

「それはそうと(息子の名前)。きみはお休みの日にお友だちと遊びに行ったりしなくていいの?」

さっきの女子たちを思い浮かべて尋ねた。おっとお犬ちゃん、お疲れの様子。しゃがみ込んでしまった。抱っこして車まで戻ろう。

その間、息子はコロコロと車を転がす。後ろからおいもちゃんの楽しそうな声が聞こえてきそうだ。

「え!だっておかーさんといたいんだもん!」

…そりゃ嬉しいさ。こんな言葉もらえるなんて母親名利に尽きる。だがしかし、気になっているのは周りでちらほら聞く、自立の話である。

少なくとも同じ幼稚園からの付き合いのママ友のところの子は、うちの子と同じ感じだ。だが、近所の子たちを見ていると、うちの子、べったりすぎん?大丈夫これ?と心配になる。

まあ遊びたい相手がいれば(誘ってもらえれば)喜んで出かけていく。さほど心配はいらないと思ってはいた。いたが、友だちからの誘いがなければとにかくわたしにひっつき虫。まあ気の合わない人といるよりかは、息子といた方が楽しいけどね私も。でも、たまには無言でゆっくり読書したりお茶をしたいわけだ。

大丈夫、天才だから任せて。空気になるから!

天才な息子はそう言って、ヘッドホンを装着してスプラトゥーンを始める。いやいやまてまて、ゲームはまだあかんよ!…そんなやりとりを何度したことか。

かくいう私も子どもの頃、積極的に外に出ていくタイプではなかったのであまりとやかく言えない。言えないが、やはり親心というものは厄介で心配になるのだ。

でもさ、今日はこんななのに、明日いきなり突き放されるんだよね!

この前エステをお願いしたママ友に言われた言葉だ。そう、今こうして一緒にいる時間に不安を感じつつも、これがいつ終わるのか、息子をはじめ子どもたちは教えてくれない。突然、「もう(恥ずかしいから習い事)自分で行く」とか言い出すのだ。

せめて予告してくれたらいいのに。
そしたら過度に心配せず、あと少しか〜と心に余裕を持って見守れるのにな。…そんなこと言って、そんな事実が起きても怖いんだけど。

息子を信じること。
子育てって結局、あれこれしてあげなきゃと思うけどいちばんはここにあるんだと思う。

ひとりの人間として、信じて見守る。必要があれば手を差し伸べてやる。声をかけてやる。ひとりの人間として思うことを伝える。

そんな余裕を持っていないといけないとは、なんと親とは大変なのだろう。慈愛そのものがあっても、日常に忙殺されていたらどうしても自分の軸はゆがみ、偏った話しか…してあげられなくなる。

子どもを授かったとき、ここだけの話。嬉しいよりも、一個人の人間の責任を背負うことに恐怖を感じた。自分のことすらままならないのに、大丈夫なのだろうか…と。
ただ今振り返ると、この気持ちに負けていたらわたしはきっと今も子どもはいないだろう。夫婦ふたり暮らし。間違いない。

大人は、見た目が大人なだけで中身はさほど大人でもない

息子によく言う言葉である。

この言葉は誤解を生みやすいが、補足して言えば、大人の人が言うことの意味をまず自分で考えてみること。納得したら受け取ること。納得できないなら、追求して教えてもらうこと。

言われた言葉を鵜呑みにするのでない。自分で考えることを息子には教えている。まあだいたい「おかーさんがいえならそーだね!」で片付けられるのだが、大事な話だからこそ、こういうときはコンコンと話を続ける。結果、鬱陶しいと煙たがれても。

情けないが、これはわたしが子どもの頃に気づかなかったこと。親の言うことが正しいと間違った認知をしてきてしまったことからの反省からきている。
このわたしの話も例に出しながら、今日も息子と話をした。

「まあ、お母さんも休日(息子の名前)がいないと工作も公園に来ることもないだろうからね。感謝してる!」
「もっと言って〜♡」
「(息子の名前)がいてくれてうれしー!」
「ドヤァ」

子育てって正解がないから難しいが、息子がそれでいいと言ってくれるのなら、きっとそれでいいんだろう。これは、息子とわたしの問題なのだ。…しゃ、社会に出てからのことも視野に入れていかないと…というのは、月一で振り返る課題です(泣)


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