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【エッセイ】不器用な私が理由を求める理由

小学生の頃、物言えない私は絵ばかり描いていた。お絵描きがあったから、一部の女子とつながれて完全なるひとりぼっちにならないで済んだのだと思う。

でも、私は学校でも家でも心はいつもひとりぼっちだった。

学校ではみんなに嫌われないように。人の身を見て我がふりなおせ、じゃないけれど先生に怒られることは決してやらないし(怖くてやろうとすら思わなかったけど)、家でもすぐ口調が荒くなり暴言を吐くお母さんのその矛先が私に向かないよう、必死で察知可能を使って逃げていた(こんなふうに書くと誤解されやすいですが、普通に良き母です)。時には先回りして、怒らないように振る舞った。妹にも悪さをしないように面倒を見たりして。

でも一度、お母さんは実家に帰るとまだ幼稚園にも上がらない私たち姉妹を置いて家を出て行ってしまった。これは事実、玄関の外に母はいたらしいのですが、小さな私は本当に置いていかれたのだと思い、泣いて誰もいない空間に謝り続け、お父さんが帰ってくるのを今か今かと待ちました。妹はケロッとしていたと思う。

当時スマホはもちろんガラケーもない。小さな私たち子どもには誰かに「助けて」を言える環境じゃなかった。

最終的に母は戻ってきてくれたけど、言うことを聞かないと置いていかれる。すると生きていく術がない私は死ぬしかなくなる、とまで考えていた。

小学校で人とは違う「生き物」の弱さを教えてくれたのは、ウマガイさんという用務員の方と理科の教員である先生だった(この先生が今息子の学校にいるんです)。

人の手を借りないと生きられないものたちや、人が手を加えすぎることで生きられないものたちの存在を教えてくれたことは、私がこの世で生きていく上でいちばん情緒を育ててもらったと記憶している。

理科室にいたメダカ、アホロートル、カエルにザリガニ。校庭に咲きほこる花たち。立派な杉の木。

クラスメイトや担任との繋がりの上では最悪な環境だったと今でも思っているけれど、私は母校である小学校にウマガイさんと理科の先生がいてくれたことは救いだった。恵まれていたと思う。

でもやっぱり、心の中は寂しさでいっぱいだった。

行間休みに、人の胸に短剣が突き刺さって血だらけの絵を描いていたことがある。これは別に初めてのことじゃない。家ではしょっちゅうグロテスクな絵を描いていた。

「何描いているの?」

クラスメイトの男子に興味を持たれて絵を奪われそうになったとき、私は噛み付くようにその絵を胸に隠した。今思うと多分その絵は、私の心そのものだったのかもしれない。

普段クラスでもおとなしい部類の私に、その男子は剣幕になって声を荒げる姿にたじろいで身を引いていった。しかし、そこからまたさらに私はクラスで浮いた。

1学年20人弱。全校生で100人満たない、田舎町の小さな学校では、浮いてしまうと女というものは生きにくくなる。またそれは、親の付き合いにも影響をもたらしていたようだった。

「そんな絵を描くのはやめなさい」

やめろと言われてやめられるなら描いていないのに、と思いながら私はひどく傷ついていた。

それ以来、私は自分の心の内を聞いてもらえず強制されることがトラウマになった。溜まりに溜まった鬱憤が仕事で出てしまったとき、本当にもうどうしていいかわからなくなった。トラウマというからこそ、相手が聞く耳を持っていてくれていても、無意識に言えなくなってしまうのだ。

私の問題。
でも、いまだにうまく付き合っていく術を操れない。

だから相手に求めるのかもしれない。
「どうしてそういうことを言うのか(するのか)理由を教えて欲しい」と。

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