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絨毯の上を歩くように【追記あり】




【2024.2.17 解説を追記しました】



不思議なこと...
焦らずになにかを考えて
静かに気づいて
あ~~そうかぁ...との  気づきのあとに
そうだよ! そうそう!  と言ってもらえているような
答えに出会う。
それも連続して出会う。

言葉や 、動画の内容や 、いろんなセリフ、
その中に気づきの答え合わせがあるようで
内心で1人で  、ひゃあ~~と驚きの連続。
うん、これでいいんだよね...と、思いながら
自問自答しながら、また前へ歩く。
私の前に敷かれた1本の長い絨毯があって
その先は遠くなのか 、 眩しくて見えない。
その絨毯の上を1歩、1歩
少し恐る、恐る、歩いている。
導かれてる...と思ってしまう。

何かに立ち止まる度に
自分の心、気持ちの奥へ奥へと意識する。
どんな気持ちも
たとえネガティブな気持ちでも
ジャッジしないで 、ありのまま
素直に気持ちを感じきる。
感じて 、 認める 。
身を委ねる。
そうしていると
何かに気づくことが出来る。
思考が導かれている感覚がする。


﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎


私が慣れていないこと...、
それは "自分の本当の気持ち、本音を
言葉に出して、相手に伝えようとすること" 。
そう思いました。
幼少期に、何度も何度も気持ちを言っても父親に届かず、否定され続け、その後自分の気持ちを言うことを諦め、言うのをやめました。
突然、昨日、高校生の時のクラスメイトが夢に出てきました。面白く笑える夢でした。
そして、起きてから不意に、そのクラスメイトから、たしか卒業式の日に、「本音を言って卒業しよう。」と言われたことを思い出しました。
結局そのクラスメイトとはゆっくり話す時間もなく、当時私自身は、特に本音を言わずに過ごしていたつもりはあまりなかったので、その時、なぜそんな事を言うんだろう??、と不思議に思っただけでした。
でも、もしかして私は、父親に気持ちを言うことを諦めてからずっと、学校生活の中でも、
自分の本当の気持ち、自分の本音を無視して、
日常的に本音に気づかないようにして、
生きていたのかもしれないな...と思いました。
当時、高校生の私は、本音に気づいていないから、話しようがなかったんだと思います。

父親から離れてからは、
たぶん少しずつ、
自分の本音も感じ、それを対人に、言えていたようには思っていましたが、振り返ると、
恋愛感情を抱いた人にも、
義父母にも、
PTAで関わった人にも、
職場の上司にも、
そして、両親にも、
大事な場面で自分の本音が話せないことがありました。

伝えようとしたことはありましたが、
気持ちのどれが自分の本音なのか、同時に2つの気持ち(ある気持ちとそれを打ち消すもう1つの気持ち)が発生するため、本音がわからなくなったり、気持ちがブレてしまうからはっきり言えない、ということと、
そういう気持ちを整理して話すスキルが身に着いていませんでした。
なので、ちゃんと伝わらず、時には相手に誤解を与えてしまい、そうするとすぐに
あぁ...やっぱり私の気持ちは誰にも伝わらない、
わかってもらえない...、
と考え諦めて、伝えようとすることをやめました。
そして自分の気持ちや主張はいつも届かないものだと思ってしまいました。


私が慣れていないことは、
きっとたぶんそこかなと...思いました。


今の職場の上司には本当に感謝していて、
私の気持ちをちゃんと聞いてもらえ、
私も不得意ながらも気持ちをきちんと自分の言葉で伝えようと、本音を話そうと接しています。
なんとなく、自分の気持ちを伝えるリハビリ期間のように感じます。


先日、たまたま義父母に今までの子育てに協力してもらったことへの感謝を伝えることが出来ました。
ずっと言うのが照れくさく、ずっと言えなかったことでした。
そう考えると...
今、少しずつ、自分の気持ち、自分の本音、
ありのままの自分の思いを言えるようになってきている途中なのでは...と思います。


今朝聴いたソウルリーダーさんの話しも、
今の私に必要なことで、
タイミングが怖いくらいにぴったりでした。


"自分のすべての本音を認めてあげること"
"葛藤がなくなることが最も大事"
"自分の中にある本音と、他の人が言ういわゆる社会一般的ないい状態、との間にジャッジを入れない"
それが、
"本当の自分の本音と、生きている本当のこのエゴも持った状態の自分を合致させた状態"
"統合した状態"
ここになること。
本当の自分をとにかく認めていくこと。
今まで何回も聴いていた話しだったのに、
今朝、私は腑に落ちたように思いました。


そんなふうに変化してきている今だからか、
以前から二面性を感じていた自分、
自分と内面のもう1人の自分で分離を感じていた、
その分離がだんだんなくなっていく感覚を、
ゆっくり1つになっていくような感覚を、
実際に統合されるような感覚を感じています。


そう出来ていくと、たぶん
自分の気持ち、本音はひとつ、なので、
自分の言葉で
自分の気持ち、自分の本音が、自然体で
心身に力を入れずに相手に話せるようになってくる、そんなふうに思います。



私はちょうど今、この段階を体験している時のようです。
自分の気持ち、本音を感じて、それを自然体で
言葉にして伝えようとすること。
我を通すとか、そういう事ではなくて、
ただ自分の本音を、相手に素直に伝える、
これを続けていってみようと思います。



【少しずつでしたが、自分をより俯瞰して見るようになっていたこの頃だったと思います。

数日前の気づきによって、自分の日々の生き方というか行動等や、考えている事、考え方、それによって自分がどういう気持ちになっているか等、自分が自分を客観的に見て観察しているような感じでした。
それまではあまり意識していなかった事だと思いますが、この頃は自分が自分の内面を常に意識して、落ち着いて静かに観察している。そういう日常に慣れてきた頃だったと思います。

何かを感じたら、それがどんな気持ちでもジャッジせずに、その感じる気持ちを良いとか悪いとか自己判断をせずに、その"気持ち自体を深く感じる(感じきる)"ようにしていました。

そうすると、その都度何か気づきがありました。
気づきたい、気付こう気付こうという向き合い方ではなくて、力は抜いて、何かに気づくかもな...くらいの自然な流れに任せていると、ふと、気づける、そういう感じでした。

それから、建前ではなく、自分の本音を改めて意識し始め、そしてその本音を言葉にして伝えるという事に意識を向けた頃でした。

まだまだ手探り状態の中、自分と向き合い続けて、湧いてきた感情を感じきる事を続けてくれて、この頃の私、ありがとうね。
感情を深く感じきって、その後に何か答えに出会った時は驚いたよね。恐る恐る歩みながらという、そんな感覚だったけれど、ゆっくりでも、歩んでくれてありがとうね私。今の私より。  2024.2.17追記】



お読み頂き、ありがとうございました。





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