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承認欲求の抜け落ち感【追記あり】


【2024.2.17 解説を追記しました】


2023.4.1(土)
今朝起きると
承認欲求が抜け落ちたような感覚


なにこれ...
なんとなく、幼い頃、子供の頃に
こんな感覚を感じていたような...
ぼんやりと思う


たぶん誰かに承認されるという事を
理解する前の感覚
もしかして私、きっととても幼い頃、
子供の頃には
こんな感覚の頃があったのかな...


ずっと長い間
本当にもう
忘れていたような感覚です


承認欲求の抜け落ち感...とでも言うのか
承認欲求の薄まりと言うか
別に私は
誰に承認されてもされていなくても
関係ない
そもそも誰にも承認されなくても
私は、生きていていい
当たり前に生きていていい
当たり前なのに
長年実感としてなかったような
思い出したような感覚


私は当たり前に
ここに存在していていい
ここに生きていていい


わかっていたようで...?
わかっていなかったのかもしれません


今朝
なんとなく
不思議な今の感覚でした


...


...



朝食を食べ


ふと


え...もしかして...


この感覚が
気づきなおす感覚 ... ... ?


そう思いました


私的には
自分自身的には
涙ぐむ 感覚になりました
繰り返し気づきなおす...感覚が...わかった...
そんな気がしました



私は 最初から
きっと 当たり前に
生きていてよかった
生きていていい
"生きている"  そう
"ただただ 生きている"
当たり前に存在する1人の人間だった



承認欲求とは
承認されたい欲求
顕在意識でも 、無意識でも 、
承認されていないと思っているから
承認されていないと感じているから
承認してほしいという欲求が生まれる



でもそもそもなの。
みんなそこに生きている
''この事実だけで、承認''
なの。
自分自身がそう思える事。
自分の中に腑に落ちる事。



なんか、泣きそうな
気持ちになっています



そこに生きているだけで承認。
ここに生きているだけで承認。
価値があるとか
価値がないとか
価値とかまったく関係なく
そんな事考えずに。
存在しているという事実だけで承認。
生きているという事実だけで承認。



今まで、わからなかった... ...
そのままでいいんだよ
ありのままでいいんだよ
その意味
本当の意味



当たり前にわかったような気持ちになっていた
でも、本当の意味をわかっていなかった
今、たびたび経験するその事に
気づく度に
どうして今までわかってなかったの...
どうしてわかって来なかったの...
自分自身に少し嘆きつつ


でも
気づく事に、気づけている事に
静かに喜び
これから先、次は何に気づけるのだろうと
これから先の繋がりを楽しみに
ここから先も意識の拡大があるのかもと
静かに思える現時点


この地球で生きるという事が
もしかしてはじめて
心から楽しいと感じられるように
なるかもしれないと
感じる現時点




【自分との向き合いは、自分が幼少期から我慢して、自分の中に抑え込んだ未完了の感情を1つ1つ感じ直す作業とも言えました。


私の場合は、アラフィフというこの年齢までの半生ずっと、自分と向き合って来なかった為だと思うのですが、未完了にしてきてしまった抑圧した感情が、とても多くあり過ぎて、その感情を再度感じ、感じきり、気づきを得る、というこの過程は、予想以上に繰り返し、繰り返し、訪れました。


この記事の、承認欲求の抜け落ち感は、数日前に強く承認欲求を感じ、その後感じきった事からの気づきで、この頃に得たとても大切な気づきの1つでした。
私はこの後、同じ事に何度も気づいていった(不思議に思われるかもしれませんが、向き合いの最中、"同じ事に、何度も気づき" ました。私がこの後の記事の中で、わかっていたと思ったのにまだわかっていなかったと何回も書いているのは、この事です。)
のですが、その、最初の段階だったと思います。


"私は生きてていい"
"私は私のままで生きていてもいい"
という気づきは、この後の向き合いの中で、何回も、繰り返し、感じていきました。
当たり前の事を、しっかり感じ直し、気づき直す感覚でした。
もっと深く表現すると、
私はずっと潜在的に深い闇を抱えていて、
私は生きていてはいけない人間、だと、
生きる価値のない存在、だと、
心の深いところでそういうふうに思っていたように思います。
承認欲求が得られなかった事で、その気持ちを再度感じ、深く感じきり、気づきを得ました。
少し違う表現をすると、一度深い深い陰を感じ、感じきる事で、陽へ転じた、と言える気がしました。(陽へ転じる為には、陰が必要不可欠なんだと思います。)

幼少期から長い年月、自己否定をして生きていました。
加えて、私は気質や特性の為、極端に強く思い込む性質だったので、思い込んだ事、潜在意識を書き換えていく為には、何度も何度も、繰り返し、陰・闇・ネガティブな気持ちを感じきり、その後、陽・光・ポジティブな気持ちに転じる必要があったのだろうと思います。(まだ今なお書き換えている途中だと思います。)


気づきは段階的に繰り返して、深度で言えば、この時はまだ、浅い気づきの頃でした。
気づく度に、少しずつ、深く感じて気づき、深い気づきを得る事で、私はその事が、その都度、深く腑に落ちていきました。
この少しずつ、という事が、よく玉ねぎの薄皮を1枚1枚めくるように、と例えられると思います。
そして頭でわかる事と違い、深く腑に落ちる、という事が大切なのだろうと思いました。


この後に体験して書いて投稿している気づきの記事を、少し感覚を寄せながら読んで頂くと、もしかしたら共感して頂ける部分もあるのではないかな?と思います。
書いているのは私個人の体験で、拙い表現ですので、わかりにくい内容だとも思います。申し訳ありません。ただ、何処かこの体験が参考になって、僅かでも、何かお役に立つ事があるのならいいなと思っております。



1つ感情と向き合い、深く感じきり大切な気づきを得る。それをnoteに書く。書いて投稿するまでが、1つの向き合いのような感覚でした。
投稿し終えると、その後、自然に(自動的に)、また次の感情との向き合いが始まる。向き合って、気づいて、書く。そういう繰り返しをしていたこの頃でした。


この頃、辛さはあまり感じていなかったと思います。
ただ、1つ越えると自動的に、次の感情が湧いてくるので、懸命に、必死に向き合っていました。
仕事中は書き留められませんでしたが、休憩時間や退勤後、感情の動きをすぐに記録しました。

その他、可能な時間は、湧いた感情(思った事)や、感情の揺れ、動き、向き合っている時の心身の様子、気づいた事など、何でも、頭に浮かんだ事をその都度、無理のない範囲で、すぐに、
"ありのままを" "そのままを" スマホに打ち込んだり、ノートに手書きして記録していました。

思い出して書くのではなく、頭に浮かんだままを書く。考えないで書く。(あとで知りましたが、ジャーナリングと言うようです。)


ジャッジをせずに、ありのままの感情をそのまま感じる事、感じきる事。
どんな感情も、無条件に、それでいいと素直に認めて受け入れる事。
それから、"焦らない" 事。
1つの向き合いは、その向き合いを終えるまでは、時間をきちんと掛ける事が出来たので、ゆっくり、焦らず、疲れている時は睡眠を優先していました。

焦ったらいい事がない、というのは、前職の頃に何回も学んだ事でした。
完璧主義なところがあった当時の私は、時間内に無理をして予定の支援を全部こなそうと焦ってしまった際、ほぼ決まって何かが起きました。
色々と、何回も、失敗をしました。
その都度ヒヤリハット対応をしました。(ちなみに時間も当初の予定以上に掛かりました)

向き合いも、もしも焦る心境だと、自分の感情の動きや、小さな気づきや、サインに気づけないかもしれません。

焦らない事。無理をしない事。自然な流れに任せて、委ねて、自然な気持ちで行う。それが1番大事なんだろうと思います。


湧いてくる感情をひたすら受け止めて、書き留めて、noteに書く事を、本当に頑張っていたと思うよ。ありがとう、この頃の私。それからこの頃の環境にも、本当にありがとうと、今また改めて思うよね。
環境に恵まれて、それから、この頃記事を投稿するとすぐに読んでスキして下さる方がいらっしゃって、本当に励まされて、勇気をもらって、助けられて守られて、向き合いが続けられていたね。本当によかったね。
この頃を思い出して、心から感謝しています。ありがとうございました。
この日は、この後に繋がる大切な気づきに出会えた日だったね。生きて、この取り組みをしてくれて、ありがとう。
この時の私へ。今の私より。2024.2.17追記】



最後までお読み頂き、ありがとうございました。






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