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私の過去④~洗脳からの目覚め~


曽祖母が亡くなった後、私は少し不思議な感覚になりました。

家族として、ずっと一緒に住んで、共に生活してきた人が、ある日亡くなり、存在が消えてしまう...。
不在感が大きく、目の前の空間にも、心の中にも、ポッカリ穴が開いたような感じです。
でも、それなのに、日常は止まる事なく、時間はどんどん流れて行く...。
人が亡くなるって、どういう事なんだろう...。
この間までは、ここに、すぐ近くに、居たよね?
生きてて、一緒に話しも出来て、触れ合えて、それなのに、亡くなって居なくなってしまうって...、どういう事...?
ここから居なくなって、どこへ行ったの...?
もうどこにも居ないの...?...


祖父が亡くなった後はあまり深くは考えなかったのですが、曽祖母が亡くなった後はなぜかそんなふうに囚われ、考えてしまいました。
感情をいつも内に抑える事がもう当たり前だったので、未消化の感情が、いつの間にか、飽和状態になっていたのかもしれません。
囚われている感情をどこに置いておいたらいいか、分かりませんでした。


そして、祖父や曽祖母が、居なくなったのに、父親や母親はその後も特に何の変化もなく、感情を特に外に吐き出す訳でもなく、今まで通り日常生活を送っている事に、どうして...??...悲しくないの??
どうして普通に暮らせるの...??と、思ってしまいました。


父親も母親も、祖父や曽祖母が亡くなった時、きっと辛さや悲しさ、当たり前にそれぞれの気持ちがあり、それを乗り越えて、日々の生活をしていたんだろうと、今は思いますが、その時の私は疑問を感じて、気持ちの切り替えがうまく出来ず、
思春期で多感な時期でもあり、
なぜかそんな事をずっとぐるぐると考えてしまい、体調を崩してしまいました。
精神的に不安定な事から、体調が回復せず長引き、病院を受診しても治らず、呼吸困難になる事が増え、心身弱って、このままでは自分が(文字通り)死んでしまうかもしれない...と思い、母親に、体調が治らないと話しをし、ずっとぐるぐる考えている事を相談しました。



その後母親は、聖書にこう書いてあるよ...と、私からの相談に対する返答を話してきましたが、その時の私は「は???」でした。
聖書にこう書いてあるよ...??... ...は???
現実、見えてる...???   と。



私がその時必要としていたのは、別に聖書からの言葉ではなくて、母親自身の経験からの考えや、ぐるぐる考えている事から抜け出すアドバイスであり、体調を回復させるための現実的な対処法や、回復させるための行動への手助けでした。


母親にそう伝えましたが、母親は戸惑ったようで、考え込んでしまったのか、日々の生活に追われ忘れてしまったのか、その後母親から現実的な手助けは得られませんでした。
そして父親も同じでした。父親からも、返ってくるのは、聖書のどこどこにこう書いてあるようにね...との言葉。私は閉口しました。


...この人達、私の両親だよね...。
悲しく、泣きたくなりました。落胆しました。
いつも、聖書にはこう書いてある、聖書にはこう書いてある、そういうふうに言ってくる。
そういうふうにしか言ってこない。
2人とも、自分自身の考えはないの...?そう思いました。
両親は、自分自身で何も考えていないんじゃ...?
...現実を見ていない、...現実が見えていない、
...この人達、もしかして、わかっていないんじゃ... ...?
自分達が信仰している事の影響で、まわりの人、家族(私や妹含む)や親戚の人達がどれだけ傷ついているか、複雑な気持ちを抱えて悩んでいるか、自分達の信仰を貫く事もいいけれど、そういうまわりの人達の気持ちも本気で考えた事があるんだろうか...
そう思いました。

今回の曽祖母の通夜、葬儀も、祖父の時と同じように、叔祖父にいろいろお世話になっていましたし、集まっていた親戚の人達の会話から、複雑な心境を語る声などが私の耳に入ってきていました。
私はそういう一連の事も思い出し、それなのに両親は、わかっていないのでは...??と思い、苦しくなりました。
両親は、きっと、何も...考えていない...わかっていない...。
自分から見て、理解が難しいと思われるいろいろな現実について、自分で深く考える事をせず、宗教教義に逃げている...。
そして自分達と、宗教の事しか考えていない...。
ほかの事は、ちゃんと見ていないし、考えようとしていないし、わかろうともしていない...。
だから私の事も、なんにも見てはいない。きっと本気でわかろうと、してくれてないんだ...。
今、私は体調が治らなくて不安で怖いのに...、苦しくて辛いのに...、助けてほしいのに... ! 、両親は助けてはくれないんだ...。そう思いました。


私の表面上のいい子ちゃんは、揺らぎ大きくヒビが入り、崩壊しかけていました。


その後も私の体調は変わらず、発作時の呼吸困難が治らないままでした。
両親からの助けは得られないまま、両親は日々出掛け、宗教の布教活動の方が忙しく大事なようでした。
もうダメかも...次の発作が出たら本当に死んでしまうかもしれない...と、そう思った時、
もう両親には頼れない、両親はどうにもしてくれない、だから、自分で治すしかない、
生きるためには...、自分でなんとかするしかないんだ!、という強い気持ちが湧きました。


その後、頼みの綱で買った市販薬が少し効き、症状が軽減しました。あぁ、もしかしてこれで治るかもしれないと思えました。
そしてその薬の服用を継続し、自分でなんとかするしかない、という強い気持ちになったせいなのか、そこから体調は回復していきました。
そしてなぜか、その頃になって急に、曽祖母が亡くなった事の悲しみが押し寄せてきて、嗚咽しました。
我慢せずに、曽祖母を思い出して大泣きしました。小柄でかわいい曽祖母でした。そして、「あぁ...ちゃんと泣いてなかったな...」と気づきました。


体調がほぼ回復し、通院最終日の受診を終えた後、
病院の庭で、暖かく眩しい陽の光と、本当に久しぶりに空気の匂いを感じました。
思い切り、息が、吸えました。
もう、呼吸も苦しくありませんでした。
近くの木々のこもれびの中に、ふと曽祖母を感じました。
もしかして、不思議な感覚と、長引いた体調不良は、曽祖母がそうさせたのかな...と、思ったりしました。



それから後、一気に目が覚めていく事になりました。



⑤へ続きます。


お読み頂き、ありがとうございました。
記事の内容はあくまで私自身が体験し、その体験から感じた主観です。


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