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私の過去②~どうしてうちだけ~


①の続きです。


宗教上の理由で課された制限、我が家は父親の信仰心がとても強かったために、かなり厳しく制限されました。

・国家、校歌を歌ってはいけない。
・選挙に参加してはいけない。
・格闘技をしてはいけない。
・誕生日や母の日、父の日、七夕やクリスマス、季節の行事、地域のお祭りなど、一切参加したり祝ってはいけない。
・放課後のスポーツ活動などには参加せず(小学生の頃は陸上練習や水泳練習など)、すぐに帰宅しないといけない。
・同じ宗教以外の友達と遊んではいけない。(近所に同じ宗教の家庭はありませんでした)
・父親が許可したテレビ番組、本、雑誌、アニメしか観てはいけないし、読んではいけない。
・父親が許可したゲームでしか遊んではいけない。
・学校の勉強が済んだら、毎日宗教の勉強をしなければいけない。
・部活動に参加してはいけない。(中学生以降)
・なぜ出来ないのかを先生や友達に自分で証言しなければいけない。
・宗教の奉仕活動(宣教活動)に参加しなければいけない。
・同居家族であっても宗教が違う場合葬儀に参列してはいけない。お墓参りも行ってはいけない。
・男女交際をしてはいけない。
・輸血をしてはいけない。
・大学へは行かず、正社員での就職もせず、短時間労働という職に就き、宗教の宣教活動に多くの時間をあてるようにしなければいけない。


思い出せるだけ、挙げてみました。


本当に、○○してはいけない、○○しなければいけないだらけ、制限だらけで、当時私は何を楽しみに生きていたんだろう…と思います。


父親に気持ちを伝えた事もありました。
例えば、
「友達のお誕生日会に誘われたから行きたい」
「友達とお祭りに行きたい」
「放課後の陸上練習や水泳練習に、みんなと同じように参加したい」
「部活動に参加したい」
返事はことごとく、全部、『ダメ』でした。
何回気持ちを話して頼んでみても、返事は同じ。
○○出来るのは今しかないのに、と思って、
諦め切れず母親に話しても、返事は父親と同じでした。間を取り持ってくれる事はありませんでした。


どうしてうちだけ…、こんななんだろう
どうして私だけ…、何も出来ないの?!
どうして○○してはいけないの?!
どうして…全部…、ダメなの?!
どうして…私は…みんなと同じ事を経験出来ないんだろう…


中学生になってしばらくの頃、1番そう思っていたと思います。
小学生の頃から、中学生になったら同級生や先輩達と一緒に部活動をしたい、と思っていました。
中学生になったら、部活動は当たり前の活動だから、私も参加出来るはずと。
もしかしたら時間的に全部の参加は無理でも、途中までや、半分の時間などになるかもしれないけど、可能な範囲で両親も許可してくれるだろう、と思っていました。

でも、参加は、全く出来ませんでした。
何度も、何度も、何度も頼み込んでも、ダメでした。


それまで、ずっと、自分の気持ちを主張して、それが父親の意に反すると体罰を受け、行きたい所へ行けない、やりたい事が出来ない、と我慢を重ねてきた私にとっては、もう、絶望でした。


…また、ダメだった…。
…やっぱり、ダメだった…。
もう、何を言っても、ダメなんだ…。

絶望。

大袈裟ですけど、当時の私は、そうでした。


そして、この後から私は…何も言わなくなりました。もう両親に何を言っても無駄なんだ、と、諦めたんだと思います。
そして、いい子ちゃん、を演じるようになりました。
もう何も望みませんでした。
何も期待しなくなりました。
何かを期待しても、叶う事はないからでした。
普通に学校に通い、父親の言う通りに放課後すぐに下校し、宗教の勉強をする…。
まわりのみんなと同じ事を経験したいのに出来ない時、心の中には葛藤があるのに無視して、我慢して、平気な振りをして、必要時には先生に証言する…。休みの日には家の手伝いをして、宣教活動も熱心にする…。


なぜ、そうなったのか…
そうするしかなかった、からです…。
中学生と言ってもまだ子供です。親の保護がないと、食べていけないし、学校へも通えない、生きていけないからです。
過疎化の進む山の中の地域だったので、アルバイトなどが出来そうな場所も近くにはありませんでした。


そして、以前からでしたが、
私や妹が、父親の言う通りの事をしていると、当たり前ですが、父親は機嫌がいいんです。
にこにこして、優しく褒めてくれる時もありました。

子供は本来、親の事が大好きなんです。
強く叩かれようと、厳しく制限をされようと、
本来は、親の事が大好き。
だから、親を喜ばせたい、と思うんです。
自然で純粋で素直な気持ちで。



自分の心に蓋をして、気持ちを抑えて、気持ちに気づかないようにして、いい子ちゃんにしていたら、父親は喜ぶ。母親も喜ぶ。
親の喜ぶ顔を見ると、自分の気持ちも悪くない。
本当は葛藤してるのに、自分が黙って我慢をしていれば、家庭内が円満で、良い雰囲気になるんです。
ずっと我慢していると、そのうち我慢する事に慣れて、いい子ちゃんがまるで本当の自分のようになる。そんないい子ちゃんは、自分は親に認めてもらえている、と嬉しくなる。
いつの間にか、先回りして、父親の喜ぶような事をしている自分になっていました。


いい子ちゃんを演じているのですが、演じている実感はありませんでした。
その時の私は、いつからか自分は変わったなぁ…と。自分の意思が変化して、本心で、父親の望む通りにしている。そしてそれが自分の喜びで、良いと思う。私の将来は、父親の言う通りの道に進んだらいい。…そんなふうに思っていました。
中学生途中から高校生途中まで、そんな状態になっていたと思います。
この間に、バプテスマといって、正式に信者になる儀式を受けました。
所属している会衆の中の、次はあなたね、という空気感、静かな圧力も感じとっていましたし、そして、そう次は私の順番だよね...という暗示にかかったような自分の気持ち。

振り返ると、洗脳状態だったのではないか…と思います。
絶望から、諦めの境地。そしてその後も同じ環境下で生きていかなくてはいけない…。
本当の自分を押し殺し、感覚を麻痺させながら、まわりに適応して生きる。
逃れられない環境下で生きていくために身に付けた術だったと思います。


そんな私に、転機に繋がる事が起きました。
中学2年生の時に、一緒に住んでいた祖父が、
高校2年生の時に、一緒に住んでいた曽祖母が、
病気で亡くなりました。


③へ続きます。



これは自分自身と向き合って、過去の記憶を辿り、思い出し、アウトプットする...、
きっと今のタイミングで、私にとって、一連が必要な事なんだな...と思い、書き進めています。
長々として稚拙な文章を、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。


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