噂と真実

今日は「噂と真実」について思うことを書きます。

自分もそれなりに長く仕事をしてきたおかげで、それなりに噂話のネタにされてきた経験があります。例えば、

「いい人そうに見えるが実は陰で他人を陥れている」
→ お望みなら貴方を陥れて差し上げてもよくってよ

「そのうえ銭ゲバで相当貯め込んでいるらしい」
→ そんな越後屋属性だったらとっくにFIREしているよ

「おまけに女を武器にしている」
→ このへんは褒め言葉だと思ってるのでむしろ嬉しいYO

等々。
どれもこれも他愛ない、クッソくだらないものばかりですがひとつだけ、強烈に心底あきれ果ててしまったことがありました。

自分は体質上ある種の薬剤に耐性がないのですが、そうと知らずにその薬剤をのんでしまい、夜間に救急搬送されたことがあります。
搬送先様のおかげで無事に回復できたものの、念のため1日だけ入院となったため、その旨を当時の上司に連絡して有休をもらいました。

翌日、元気に出勤すると。
なにやら同僚たちの様子がおかしい。

自分は上司に「薬の副作用で救急搬送になった」と説明していたのですが、上司がそれを「薬をのんで救急搬送=服薬自殺を図った」と誤解し、そのニュアンスで同僚たちに伝えてしまっていたのでした。
さすがに笑えない。
さらに唖然としたのが、誤解を解きたい自分の話を上司がまともにとりあわず、「隠したいのか」みたいな哀れみの態度をとってきたこと。
同僚のほとんどは「なんだ~ビックリした」と笑ってくれましたが、ひとりだけが「嘘だ!上司が言ってたことと違う」と。なんだそれ、と全身から力が抜けました。本人の説明より上司のほのめかしのほうを信じるのか。そのほうが面白いから?

わかった。好きにしな。
と言い捨ててその場を去りながら、思いました。
人は真実なんか求めていない。信じたいことを求めているんだ。
人が根も葉もない噂を言うとき、それはたぶんその人にとっての真実なのだ。
自分の真実は自分だけが知っていればいいことだ。
他人が自分のことをどう思おうと、それは他人の問題であり、自分には関係ないことだ。

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宝塚歌劇団がいま現在、第三者に委託して劇団員のヒアリングを行っているとのことですが、その結果報告はおそらく、誰もが納得できるものにはならないでしょう。だって人の話から「事実」なんて導き出せっこないですもん。
ていうか、ファンや外野が納得するかどうかなんて本質的にはどうでもいいことですよね。
大事なのは、亡くなられた方とご遺族にとってどうかということ。

だとしたらひとりのファンとしてできる唯一のことは、他人にとっての真実がどうであれ、自分の真実のみを粛々と貫くことではないかなと思います。

頑張って頑張ってなんとか取った、たった一枚の「PAGAD」大劇場チケットは、はかなく散ってしまった。でもせっかく有休もらってるし、予定通りに現地に行って、殿堂のお衣装みてお土産買って、たこ焼き食べてこようかな。
東京の本公演チケットも全滅だったけれど、奇跡的に新人公演のが取れている。自分は自分に恥じることなく公演再開を待ち望みます。

もう宙組は観ない、という方はお手持ちのチケットをどんどんチケトレに出してほしい。喜んで買います。でも、観ない言うひとが多い割にはチケトレに出てないの不思議。どうして?
どうして??

あっ、そうだ。ミャクミャクコラボグッズを本場・梅田に見に行こう!










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