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立ち位置

人の営みや感情は原則どおりにはゆかない。

でも原則を踏み越えるときやはみ出すとき、

いま自分は踏み外しているのだとの自覚は持ってほしい。

無自覚にはならないでほしい。

         森達也

15年ほど前
突然、夜中に激痛に見舞われた。
「なんだ!!!!!」
ただ悶え苦しむしかない。
動けない。
立てない。

死ぬのか!
どこからも血は出ていない。

足はハンパなく腫れている。

寝相が悪くて、どこかを思いっきり蹴ってしまったのか?
どこにも蹴ったあとはない。

それにしても
一瞬、痛みが引いたあとに何度もくる激痛。
拷問か?
何でも話すから、いま好きな人、いま実はムカツイている奴。
何でも話すから・・・。
足の向きを少し変えると一瞬痛みが引く。
で、痛みとの戦いで疲れ切って眠りおち・・・る、前にキリでぶっ刺されて殴られたというか、とんでもない痛みに襲われる。

ともかく、原因はわからないが、骨折しているようだ。

前日に飲んだが、酩酊はしていない。
でも、おそらく帰りにどこかで、車に当てられたのかもしれんな。

朝が来たが、動けないので医者にもいけない。

救急車を呼ぶのは嫌だ。

この痛みに慣れれば、なんとかなるかも。

とりあえず一日を痛みと戦いながら過ごした。

便所にはほふく前進で辿り着いた。

これで明日も無理そうなら救急車を呼ばねば。
痛みと骨折で死ぬ前に餓死するかもしれん。

翌々日の朝
一瞬の睡眠から朦朧と目覚めた。
だいぶ痛みに慣れてきている。

立ち上がってみる。

立てた!!!
よし今のうちに医者へいくんだ。

玄関を出て
階段(エレベーターがないのです)で下まで降り
家の下に止めてある車に乗り込む。
運転できるか?
ともかくゆっくり慎重に発進。
思った以上に痛みはない。

どうも無理やり履いた靴がギブス代わりになっているよううだ。

よしこれでいける。

行きつけの町医者に車で乗り入れる。

駐車場に車を停め、時計を見る。
午前6時30分。。。

医者が開くまで2時間30分

じっと待つしかない。

8時30分

コンコン
「ハッ!」
寝落ちていたようだ。
コンコン
「あ、おはようございます」
「どうされました?」
看護師さんが見つけてくれた。
「実は、これこれで」
「もう、先生来ていますから、ともかくどうぞ。歩けますか?」
「はい。ありがとうございます。大丈夫です」

診察室に入っていくと先生がすでに待っていてくれた。

「じゃ、足を見せてもらいますね。右足ですか?」
「はい」
「ここに乗せられますか?」
「はい」
足をじっと診察する先生。
ともかくレントゲンだろうな、と、思っていたら

ハハハハハ😆

「???」
「あ、失礼。いや、兄弟だなって思って」
嫌な予感が。。。まさか。。。やっぱ・・・。

「痛風ですね」
ウッ!やはりか・・・。

「ともかく。注射で一度痛みを引かせましょう。
あとは湿布と痛み止めで、無理しなければ一週間くらいで普通に歩けるようにはなるでしょう」

痛み止めの筋肉注射はとてつもなく痛いと聞いていたが、痛風を味わってしまうとさほど痛く感じなかった。

兄が痛風で、その痛みに苦しんでいる姿を見ていた。
「そんなに痛いのか?うわぁ〜腫れてんじゃん!
不摂生だな!へへへ😁」
「ばか!家系なんだよ、うちは。お前もそのうちになるから気をつけろ。」
「オレは、大丈夫だな!」
そんな会話が走馬灯のように廻る。

実は、最初の激痛の時に気づいていた、恐らくと。
認めたくなかった。
痛風ではない!と言い聞かせていた。

兄の節制を見てきた。
薄めの味付け。プリン体。味噌汁なんて絶対NG。
ビール?ばっかじゃねぇの!

あぁ〜、ついにわたしもあれダメこれダメの生活に入ってしまうのだ(T_T)

寺に足を引き摺り引き摺り行く。
案の定、笑われた。
「だから言ったろ」
兄は、当時で痛風15年以上のベテランだった。

「別に基本は何食っても大丈夫だぞ」
「へ?」
「今どきは考え方が変わったんだよ。ま、食い過ぎ飲み過ぎはダメだが、適度だったらビールでも何でも大丈夫だ。ストレスが一番よくないって研究結果が出ている」
「なるへそ」
「たまには、羽目を外すのも大事だから、食いすぎた〜、とか、月いちくらいならいいみたいだぞ。ま、人によるから、医者にそのあたりは聞きな」
「はい」
「ただ、足や手が腫れて激痛に見舞われる発作は、最初に何回か連続で発作が出ると癖になるから、2回目、3回目がないようにするほうがいいぞ。癖になると尿酸値が低くかろうが正常値だろうが発作が出るようになるぞ」

そのありがたきアドバイスのお陰で、わたしはそれ以来、痛風の発作は出ていない。
そのために、半年酒を完全に抜き、米大好き人間だが、基本主食無しで野菜スープばっか食べていた。

痛風は完治する病気でもなく、特にわたしのように遺伝性の痛風・糖尿の体質は、腎臓が弱かったりするのが原因らしく、一度発症したら、一病息災だぁ〜、くらいの気持ちで付き合っていくのがいい。
ゆえにいまでも月一で医者に通い、薬をもらっていて。今日も行ってきた。

行けば血圧や喉や聴診器を当てて肺の状態を見てくれるので、マジで一病息災だ。

今のところは、痛風以外は大丈夫なようだ。

さすがに性格や脳みその出来不出来まではわからない。

それも助かるところで、それが分かられてしまったら、もしかしたらいまごろ、出禁にされているかもだな。

「原則どおりいかない」で、こんな話なので、
原則どおりいかない例で、酒や遊びの話になるかと思われたら、万が一でもそれを期待してしまっていたら勘弁。
そのあたりは折を見て話させていただきたく。

今、自分がどういう状態かを知ることは、病だけではなく、人間として生きていく以上、とても大切なことだと思う。

今日の言葉と少しずれるが、どうあるかを知るということの大事さということでは同じことを言っているつもりだ。

いま
わたしたちは、自分がいる場所がどこであるのかを知ることに対して、鈍感になっている。

私事で言えば、恐らく多くの同年代の人に比べれても少ないと思うが、わたしにもいろいろな「場」がある。
親から見れば、子供・次男・末っ子
兄姉から見れば、弟・子供の叔父・孫の大叔父
家族構成だけでもこんな感じだ。
ちなみに独身なので、父だとか夫だとかという「場」はない。
その他にも、
男・先輩・後輩・友人・年齢・年代・僧侶・委員会委員・委員会の役員
などなどいくらでも出てくる。
いろんなカテゴリに属し、そこでの役割があったりなかったりだ。

で、なにがいいたいのかというと、
いま、その場所での役割を持って、関係ない場所でその役割を行使してしまう人間が多くなっている。
それに気が付かなくなっている。

「場」の混同がひどい。

オレは社長だ!と飲食店で吠える。
これは昔からいたけど、いよいよ増えている。

関係のない場所で、自分の「その場に関係のない立場」を大上段に振りかざして横暴を振るう。
そこにいる人間もそれがおかしいと思わない。当然の権利だと認める。

言えば、大衆浴場で、「オレは社長だ!」、とふんぞり返ることを恥ずかしいと思わない人間が増えている。風呂屋だということがわかっていないのでは?というような。

と、思えば、ここは会社を代表して参加しているというのに、私見を打って、会社がどヒンシュクを買うなんてこともある。
「わたしは私人として言ったのだ!」と怒る。
あそこで私人はありえない。
だいたい、〇〇会社社長の意見が聞きたかったのであって、どこかの家庭のオヤジの意見が聞きたかったわけではない!と言われてしまう。

家で、
「パパは社長だぞ!」とふんぞり返る。
ま、それで、「すっご〜い💕」と言われて喜んでいるなら勝手にしてればいいのだが。

立場がいっぱいある。その立場は、そこのカテゴリでの立場であり、そこ以外では基本関係がない。それがわかっていな大人っが多い。

当然、人間社会のことだから、多少のリンクは必要だ。
プロジェクトに臨むに当たり、父親の目線を大事にしてみるとか
母親としての経験を生かして、他者の相談に答えてみるとか。

しかし、いまのわれわれは、多少のリンクではなく、
何日も常温でほったらかしておいたミルフィーユ状態になっている。

いま、どこに、どういう立場で、何を求められているのか。

それをたまにはちゃんと考える必要がある。

それを考えないから、人の立場までごちゃまぜになってしまって、的外れなことを言いまくる。

「貧乏した苦労人だから総裁にふさわしい。」
総裁になる資質と貧乏は何ら関係がない。

「売れっ子の役者のくせに大麻をやるなんてけしからん。」
売れっ子だろうがなかろうが、役者だろうがタレントだろうが坊主だろうが、大麻はダメ。

「芸能人のくせに政治に口を出すな。」
芸能人であるがなかろうが、選挙権があろうがなかろうが、そこで生活する以上は政治にものいうのは大事だし、いえば権利ではなく義務ですらあるとわたしは言いたい、政治に興味を持つのは。

よくよく、自分がどこにどういう立場であるのかを考え直そう。

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