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過剰な味付け、古今東西

とりあえず、昨日の続き。

この記事に書いている内容は全て、筆者の独断と偏見です。
ケニアに長く住んでいて、感じる味覚の変化、そんな薀蓄をちょっとだけ書いていく。

どのような文章になるかは書き終わってのお楽しみ。
自分自身に言っている。

前回の記事では、日本の野菜の栄養素は、戦後年月の経過とともに貧弱なものとなっていっている。

その事は、文部科学省「日本食品標準成分表」の結果に如実に現れている。

日本にいると普段食べている食材、味の変化にはなかなか気づくことがない。
というか普段食べているからそれが普通に感じるのは当然なのだ。

遠い昔のことだが、ケニアに住むようになって感じたのは、「野菜がうまい!」という事。

うまい上に安い!
だから、キャベツ、ニンジン、玉ねぎをスナック代わりに、生でボリボリと食べていた。

当時の事、キャベツを生で食べすぎてしまった。
どうなったかというと、キャベツを見るだけでオエ!と感じたり。
もう一歩のところでキャベツ嫌いになるところだった。
そんなに食べるなよ!

人間の体、それ以上食うな!と何かしら危険信号を送ってくれる。

しばらく食べずにいて、復活した。
再びキャベツをスナックとして時々食べている。

体の五感、さらには第六感、さらには直感、耳を傾けるのは重要だ。

そんな、ねたについてもそのうちに書く予定。
noteではとりあえず、いろんな事を書いていくつもり。


比較してわかる味

僕の場合、ケニアに住んでいるので、日本の野菜の味わいを、ケニアの野菜と比較する事ができるようになった。

日本の野菜の味が相対的にケニアの野菜と比較できるようになったわけだ。
日本の中だけにいては、感じられる事はなかったのだろう。

野菜の味はこんなものだ。と

日本の野菜、基本的に味が薄いというか、野菜それぞれがあまり自らの味を主張しない感じ。
とにかく色艶形が驚くほどにそろっている。

そんな野菜が合う料理もあるだろうが、僕は色艶形が不ぞろいでも、それぞれが自らを強く主張する野菜が好きだ。

生で塩などで味付けもせず、おいしくボリボリ食べられる野菜。

さて、新しい内容といえば、日本で販売されている加工食品の味について。

最近ものすごく強く感じることがあるのだ。

それは、日本の加工食品、どれもうまみ調味料の入れすぎ!

だということ。
まーいわゆる、味の素。
原材料には、アミノ酸等と書かれていたりする。
素材からうまみを抽出している本格的なものもあるだろうが、そんなものは高くてなかなか手が出ない。

漬物にしろ、カレールーにしろ、カップめんにしろ、梅干にしろ。
僕にとってはどれも、何々味というよりも、味の素味といってもいのではと思ってしまう。

いやいや、僕はそんなことをいいながら、初めてのアフリカ、ザンビアから日本に帰国して、感動したのはカップめん。
やめられない、とまらない、カップラーメン、毎日毎日何食も食べた。

味の素、に飢えていたのかもしれない。

うまみ調味料過剰使用だと思う日本の加工食品

もちろん、ケニアで麺つゆなど作るときには、醤油をベースに、味の素を使うが。
日本で市販されている麺つゆに使われているそのうまみ成分と比べると、おそらく1/4以下だと感じる。

こちらでも市販の麺つゆが手に入るのだが、その味旨いのであるが、ここまでうまみ調味料必要か???と思うほどのうまみ味。 

おそらく、日本のあらゆる加工食品に使われているうまみ成分、うまみ成分が十分に入っていないと、消費者に旨くないと売り上げが落ちてしまったりするのだろう。

売れて何ぼの世界、売れるように作るのは当たり前の話。

うまみ成分に麻痺してしまっているというか、過剰摂取が常態化。
日本の加工食品、アミノ酸等、過剰使用が売れる条件になってしてしまっているようだ。

過剰摂取といえば、ザンビアの砂糖の使用量


これには驚いた。

彼らは料理に砂糖はまったくといっていいほど使わない。
何に使うかといえば、ミルクティー、紅茶。
その使用量とやらが半端ない。

一般的5-6人?の家庭で、2kgの砂糖が1週間程度で使い切ってしまうほどの」スピード。
使うところはもっともっと使う。
もちろん、ビジターなども多く来るし、多くの場合はミルクティーでもてなすが。

甘い紅茶はザンビアに限らない、タンザニア留学中の話。

食事と、ティータイム、紅茶が振舞われるが、その甘さたるものや、シロップ級。
日本人の口にはなかなか合わない強烈な甘さ。
アイスにしてちょうどよいかもしれない。

そして、僕が麻痺して過剰摂取しているのは、
にんにく、しょうが、唐辛子、うこん。


これも癖になる味わい、我が家には瓶に油漬けにしていつでも使えるようにしてある。
家で食事を取ると、まず使いすぎてしまう。
決まって次の日はトイレに駆け込む事に。

注意すべくは、翌日サファリのある日。
食べないように、自分に言い聞かせるのだ。

食品の味付け、なにかしら過剰になるのは、古今東西一緒なのかもしれないなー。

もっとおいしく!
そんな欲求が過剰味付けにつながっているのかもしれない。






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