見出し画像

三尺バーベナ

今年の早春、庭に宿根草をいくつか植えたが、そのうちの一つに三尺バーベナがあった。
クマツヅラ科クマツヅラ属の多年草。学名はバーベナボナリエンシス。一般的に三尺バーベナだったりヤナギハナガサと言ったりするらしい。
数年前とある園芸雑誌に載っていたのが印象的でずっと気になってはいたのだが、なかなか園芸店でお目にかかる機会もなく数年経ち、今年たまたま見つけたのだ。
事前調査で得たいくつかのサイトの触れ込みをまとめると、三尺と名前にあるようダイナミックに草丈を伸ばした先に、濃い紫の小花をたくさん咲かせるのが魅力的とのこと。他の花ともよく調和するようだ。

植えた時点で、同時期に植えた他の苗と同様株元でチョロチョロと葉を茂らすだけだったが、成長速度は他と比べ早く、暖かくなるにつれ葉の数を増やしニョキニョキと茎を数本伸ばしていった。

株元から放射状に六〜七本、地面から低い角度で茎を伸ばし続け、15センチほどになると、急に角度をグイっと持ち上げ、ほとんど真上に向かって背を伸ばした。
茎は細いながらも弾力があり力強い。ちょっとやそっとの風では倒れなそうなしっかりとした茎だ。円柱というより軽く角があり表面に細かい産毛をつける様はなんとなくオクラの質感を思わせる。
数センチおきに対生に付ける葉は際が鋸歯状でかなり細長い。茎と違い表面に細かく走る葉脈が昆虫の羽のように複雑な凹凸を作っている。
仕事終わりの深夜、ほろ酔いで庭へパトロールへ出ると、iPhoneのライトに照らされた三尺バーベナの葉をカマキリやバッタと間違えギョッとすることが何度かあった。

四月なると娘の身長は優に超え、ぼくの胸のあたりの高さになっていた。休日に庭の柵越しに鉢合わせたお隣さんに「すごいですね、ソレ」などと言われる程に存在が際立っていた。

そんな折、何とは無しに三尺バーベナのことを調べていると、気になる情報にたどり着いた。
「特定外来生物に指定はされてないが、将来的に生態系に害を及ぼす植物」
と、とあるサイトに三尺バーベナの説明があった。
三尺バーベナは非常に丈夫で繁殖力が強く、こぼれ種でどんどん増えてしまうというのだった。分布域も年々拡大しており、
「育てる時は庭から逸脱しないよう注意が必要です」
と説明文は締めくくられていた。
注意が必要?
いきなりそんなこと言われても具体的になにをすればいいのだろうか。
タネが落ちる前に花を摘めばいいのか。翌年出ててきた芽を摘めばいいのか。
素人でも対応可能なレベルなのだろうか。
加減がわからない。
「注意」という言葉より先のことを教えてくれるサイトは見つけられなかった。

数年前、シュウカイドウのこぼれ種で難儀したことを思い出す。
鉢で育てていたのだが、鉢を移動させた先々で翌年多数芽を出してしまったのだ。
見つけるたびに引っこ抜く日々が長期間続き、どう言う訳かさらに翌年も芽を出した時には植物の繁殖力に脅威を感じずにはいられなかった。
幸いシュウカイドウは我が庭内での出来事で収まった。

だが、今回の三尺バーベナは間の悪いことにお隣さんの庭とを仕切る柵の際に植えてしまっており、四月時点で、なんだったら分枝した茎の何本かは柵の隙間からお隣さんの庭の方へ少し飛び出してしまっている。

三尺バーベナのこぼれ種がシュウカイドウと同等のレベルであれば、確実に翌年お隣さんの庭から芽がでるであろう。
ちなみにシュウカイドウをいくら調べても「こぼれ種に注意」の文言は見当たらない。

確かな情報が得られない場合、ビビりな僕はどうしても大げさに捉えてしまう。

このまま、お隣さんの庭のほうへ向かって咲いた花が種を落とし、翌春お隣さんの庭から三尺バーベナが芽吹く。お隣さんはあまり庭を管理せず、且つおおらかな家族なので、こちらが注意しない限りおそらく放置し、咲いた花が綺麗であればなお放置するだろう。そいつがたくましく育ちまた翌春数を増やし、鳥や虫の活躍もあり、どんどん範囲を広げ、お隣のお隣、そのまたお隣、果ては近くの公園や植え込み、コンクリの隙間にまで三尺バーベナが増殖するおぞましい光景が脳裏に浮かんだ。

「なんだかこの辺あの背の高い紫の花が多いわね」
「ああ、あれはあそこの家のご主人がきっかけで増えて収集つかなくなったのよ」

なんて陰口を叩かれる絵すら思い描けてしまった。
大げさには思えたが、全く否定できる根拠も見当たらず、不安な日々を過ごした。

「こぼれ種に注意」と言われていないシュウカイドウで難儀したのだ。事前に注意を促される三尺バーベナはきっと植物に無頓着な人には手に負えないだろう。
お隣さんに「その植物、花が咲く前にひっこ抜いてください」なんてことを頻繁にお願いするなんて考えられなかった。きっとお隣さんは嫌な顔一つせず従ってくれるだろうが、そういうことの蓄積が不和を生むのだ。
お隣さんとの決裂は平穏な日常のためにも避けねばならない。

*

お隣さん家族は同時期にここに越してきて、親同士年齢も近く、娘と同学年の男の子もいたので、自然と交流ができた。幼稚園は違ったが子供同士は互いの家を行き来し、母親同士も必然的に連絡を取り合うようになった。
同じ小学校に上がった今も、クラスは違ってしまったが子供同士ちょくちょく遊んでいる。
僕もお隣さんもよく庭に出るので、休日は柵越しに軽い世間話などをすることも多々あった。庭の柵越しに物を投げ合って子供達が遊んでいるのを横目に、庭の花達の手入れをするのが密かな楽しみでもあった。
旦那さんも奥さんも気さくで、必要以上の干渉もしないので僕ら夫婦とも相性は悪くはないんじゃないかと思っている。
将来のことはなんとも言えないが、ひょっとしたら何十年の付き合いになるとも限らないのだ。
今の所築けているこの良好な関係を、引越してきてたかだか四年で崩すわけにはいかない。

*

数日思いあぐねた末、迷惑をかける恐れだったり不安な気持ちを残して育てるのは趣味としてそれは違うなという結論に至り、この三尺バーベナは破棄することに決めた。
しかし、興味を持ってせっかく植えた花だ。できれば一度くらい花は拝みたかった。種の形成は花後なので、開花後、枯れる前に刈ってしまえばおそらくこぼれ種の心配はないだろう。
花が咲き、ひとしきり楽しみ、枯れる前に破棄。この作戦に落ち着いた。

5月ごろ、三尺バーベナはよく分枝し、草丈1m50cm程のところで各茎先にトゲトゲした丸いボールのような小さな蕾の集合体を、無数に形成し始めた。
トゲトゲボールはしばらくすると、そのトゲの一つ一つが小さな花を咲かせ、紫の小花の丸い集合体を作り上げた。
葛藤を経た末のようやくの開花だった。

やや角ばった五枚の花弁で形成された小花が密集する様は、濃い紫の光が煌めいているようでとても美しい。
夜、iPhoneのライトでぼんやり照らされると、まるで紫の星屑のようだ。
日中は、優雅に風に揺られ、ツマグロヒョウモンやミツバチがよく留まり、小さな庭にそれまでにない躍動感や、賑やかしと彩りを与えてくれた。改めて庭が生きているということを感じさせてくれる。

少しでも長く三尺バーベナの美しさに酔いしれたいのと、生き物を殺める躊躇いが重なり、一目見たら破棄する予定が、最初の開花から一週間ほど経ってしまっていた。最初に開花した花はまだ枯れていないが、分枝先から続々と花数を増やしている。あくまで自分の感覚だが、これ以上は危険に思えた。

次の土曜日、三尺バーベナの株元にとうとう鎌を振り下ろし柵際の一角は更地となった。
作業時間30分程度。力強く茎を伸ばしていたぶん、根もよく張っており破棄に時間がかかった。
かくして三尺バーベナからの侵略を阻止し、お隣さんとの良好な関係は守られることとなった。

それから一週間ほど経った頃、妻から衝撃的な事実を告げられる。
お隣さんが半月後に引っ越すというのだ。
仕事の関係で急に決まったらしく、妻が聞いたのも昨日とのことだった。
そういえば毎週のように庭で顔を合わせていたがここ数週間は会っておらず、声も聞いていない。
三尺バーベナを処分してる時など、きっと出てくるだろうなと思っていたが結局会うことはなかった。休日は引越し先の物件を急ピッチで探しており、あまり家にいなかったようなのだ。

結局それから2週間ばかり庭や近所で顔を合わせることはなく、引越し当日の朝、お隣さん家の玄関先で家族全員で挨拶したのが最後の別れとなった。

その日外出から戻ってくるとお隣さんの引越しは終わっていた。
庭に出て、空っぽになった元お隣さんの庭を眺める。
あまり手入れされていない、不揃いに伸びた雑草や芝生は黙りこくっている。
普段はボールやおもちゃが無造作に転がり、軒下にも物が積み上り雑然としていたが今は何もない。
少し目を移動させると、三尺バーベナがあったはずの更地がある。
共に「あったはずのものがなくなった」更地と空っぽの庭を交互に眺めるていると、こぼれ種を気にするあまり三尺バーベナと一緒に何か別のものを刈ってしまったんじゃないかという思いに捕らわれる。
自分は一体何をやっているのか、そんな虚しさが梅雨時期の重たい空気の中に残った。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?