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冬の水やり

今年初出勤の日、新年の挨拶メールを何通か送り終わると喉が広範囲にわたりピリピリしていることに気がつく。「あ、ヤバ」と思いすぐに自宅に戻ってリモートに切り替えることにした。帰路、みるみる体調は悪化し、駅に着くころには自転車も漕げないほどに衰弱し、徒歩十分の道のりが途轍もなく長く、そして寒かった。
帰宅するやいなや測った体温は三十七度後半を示し、発熱の旨会社に伝えるとすぐに寝室に飛び込んだ。翌日病院へ行き検査の結果コロナの陽性であることが判明し、かくして隔離生活が始まった。

寝室でひとり熱にうなされる中、植物たちのことが気になっていた。
リビングにある観葉植物達と庭の鉢物達だ。
リビングでは濃厚接触者となった妻と小二になる娘が一日のほとんどをそこで過ごさねばならなかった。庭はリビングの先だ。
彼女らが感染した様子はまだない。
このまま家族で僕だけが罹患した状態が続けば、リビングとその先の庭へ行くことができるのは一週間程先のことになってしまうのではないか。

気をつけていれば一度くらいリビングへ行っても大丈夫かもしれないが、そういう油断が命取りになるとも言えた。今妻が同じように罹ってしまったら家庭が崩壊してしまう、そんな思いからやはりリビングへ行くことは憚られた。感染対策はできる限り徹底すべきだった。

我が家の植物達に最後に水をあげたのは去年の三十日だったと記憶している。その日に水をあげなかった鉢もあったかもしれない。それから一週間が経つ。冬場なので焦るほどでもないが、物によってはそろそろ水をやったほうがいいものもあるかもしれない。妻に水やりを頼もうかとも考えたが、デリケートな冬場の水やりを任せるには植物に興味のない妻には少々荷が重い。
水が必要かどうか一鉢一鉢確認した上でリビングと庭合わせて三十鉢ほどに水を与えるという作業を妻が的確に熟せると思えないし、そもそも隔離生活の中ぼくの看病、娘の相手、家事の全てをやってくれている妻にそれ以上の野暮用を頼むのは気が引けた。

専門家でもないので直接の原因を知ることはできないが、この五年、冬場の水やりの失敗により枯らしたと思しき植物は数知れない。(あの日水を与えていれば)(あの時水をやっていなければ)と後悔することは多々あった。品種や生育状態によって必要とする水の量はそれぞれ違うので、一様に全ての鉢に水をあげているだけではいけない。
ゴムの木は水をあげすぎたことにより半年ほど葉を全て落としてしまった。
アボカドは他の鉢と同じペースで水をあげていたらおそらく水分量が足らず枯らしてしまった。ベゴニアもおそらく根腐れが原因で数種類枯らしてしまった。
雨ざらしで充分と思っていたアネモネが気がついたら葉を全て土にペタッと貼り付けて萎れてしまっていたこともあった。
三年連続で枯らしてしまった福寿草も水の与え方に問題があったと思っている。

それぞれ「あっ」と思った時には手遅れだった。毎日水をあげてればとりあえずなんとかなる夏場に比べると、冬の時期は一度調子を崩すとアレコレ対応に奔走してもうまく立ち直った例は少ない。

難しい問題こそ愛がなければ乗り越えられない。冬場の水やりは人に任すべきではない。自分の体調が回復すればいいだけの話だ。せめて熱が下がれば、と思った。熱が下がれば隔離期間中といえど消毒と換気を徹底すれば素早くリビングと庭の鉢に水をやるくらい大丈夫なんじゃないか。「熱よ下がれ」そう願いながらひたすら眠った。

そんな思いをよそに体温計の示す数値はなかなか三十九度を下回らなかった。発熱してから二日経っていた。少しづつ植物たちへの心配度が増してくる。物によっては二週間水を与えてないのもあるかも知れない。流石に妻に頼もうか、そんな思いも霞んだが、寒気、咳、頭通、関節痛等、新型コロナウイルスによる諸症状で判断力がに鈍ったのか、なんだかもう何をどうしたらいいか、どうでも良くなりつつあった。

「◯◯ちゃん三十八度ー!」
そんなおりリビングの方から妻のそんな叫び声が耳に届いた。娘が発熱したようだ。十中八九ぼくからの感染だろう。娘の苦しむ姿を思うと申し訳ない気持ちで押し潰されそうになった。これで妻が感染するのも時間の問題と思われた。そこでハッと気がついた。
(妻も罹れば自由にリビングに行けるようになるな)
そんな思いに(何を考えているんだ)とすぐに自己嫌悪に陥った。
熱にうなされ妻の不幸を願うまでになってしまったのか?今妻がダウンすれば家庭はとたんに地獄絵図だ。ウイルスがそんな発想を促しているに違いない、なんて恐ろしいウイルスだ。これまで同様感染対策を徹底せねばと気を引き締めた。

それから三日経ち僕より先に娘の熱が下がり、ぼくの不謹慎な一瞬の願いをよそに奇跡的に妻は健康体を維持し続け、家庭を守ってくれていた。ぼくはというと依然として体温三十九度と三十七度の間を行き来する状態が続いていた。未だ水をあげられていない植物たちへの思いは強まるばかりだった。観葉植物たちの葉は黄色く変色し始めていないか?庭の鉢物たちは萎れていないか?水を与えずに二週間近く経つがそろそろ生死の分かれ道ではないか。流石に妻に頼もうか?夜中ひっそり水をやりに行こうか?色々考えていたが結局何もせず布団の中に潜り続けた。

発熱してから六日目の朝、ようやく三十六度台まで体温が下がった。朝食を運んできた妻にその旨伝えると「庭に出て外の空気でも吸ったら」と渡りに船な言葉を投げかけられたので、朝食を食べ終えるやいなやリビングへ走った。

ひと通り観葉植物たちを確認したが、皆一様に元気だった。葉が黄色くなっているものは一つもなかった。ほっと胸をなでおろした反面肩透かしを食らった気持ちにもなった。
次に庭へ出て鉢物たちを見て回った。こちらもリビング同様皆元気だった。一番心配していたアネモネとスイセンは萎れるどころか葉の量を増やし、スイセンに至っては早くも芽を出し始めていた。なぜだかこの時期にマーガレットも小さな花を一輪咲かせていた。カウスリップ、ヒマラヤユキノシタも変わらずロゼット状を維持している。よく見るとしばらく全く気にしていなかったクロッカスとツリガネソウの鉢から小さいながらも力強い芽が出ていた。

なんだか混乱してきた。ガクッと膝を落とすことを覚悟で寝室から出てきたが、逆に予想外の彼らの成長に驚きとともに力を貰っているではないか。
簡単に枯れてしまうこともあるクセに、よくわからないタイミングで想像以上の生命力を見せつけてきやがる。熱にうなされながらのここ数日の憂慮は一体何だったのか?

その後全ての鉢にたっぷりと水をあげて回った。病み上がりでふらつくぼくには、彼らの成長は目眩がするほど逞しかった。









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