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ここだけの話③ - 「きらい」と「きれい」は一文字違い

嫌いなものはそこまで多くない。
生き物で言えば、おそらく蛾くらいだ。

蛾は本当に嫌いだ。見た目も飛び方も全て気に食わない。

大学時代を過ごした街は「クスサン」という種の蛾がたくさん現れる街だった。夏の終わりから秋口にかけて、彼らは大量発生する。

あの季節の夕方から夜、そして朝にかけての時間帯は、しばしば外出中の私を苦しめた。

夜に群れをなして灯りに集まる姿や、明け方に力尽きてくたばっている姿、奇妙な紋様や飛び方も嫌いだし、本体をカラスや猫に食べられて、羽だけになっている惨めな姿も嫌いだった。何だよあの目みたいな模様。進化の過程が気になるわ。(ちなみにあれは「眼状紋」と言う一種の擬態のようなものらしい。詳しくはWikipediaを見てほしい)

彼らが私に近づかないためにはどうすればいいか。私は、まず敵を詳しく知ることから始めた。彼らがどのような生態をしているのか片っ端から調べたのだ。

彼らは光に集まる習性があるのはご存知だろうが、あれは「走光性」という特徴の一つである。

彼らが光に向かって飛ぶ際、ある一定の角度を保って飛ぶらしい。どうやら「光を背にする」という習性があるようなのだ。
街灯などの放射状に放たれる光を常に背にするためには、螺旋を描いて飛ぶしかない。そして少しずつ上昇し、やがて「光源」に衝突するそうだ。

なるほど、あの気持ち悪い飛び方にもしっかり理由があったんだな。
知れば知るほど気持ちが悪かった。

光の反射に反応するかもしれないということで、夏の夜は特に、白い服を着ないようになった。急に飛んできてベタっとかって張り付かれたら卒倒する自信がある。

そうやって蛾に関する知識を付け、様々な種を見比べていく中で、自分が「気持ち悪い」と思うものにランキングをつけた。

【脱線・私的キモい蛾ランキング】
1位…ヨナグニサン
2位…クスサン
3位…ヒトリガ

1位はダントツで「ヨナグニサン」だ。こいつはマジででかくておどろおどろしくて気持ち悪い。人間の顔くらいのサイズだからね。引くわ。
沖縄に住んでいる知人が、夜中アパートの2階の窓を何度もノックされ、耐えかねてカーテンを開けたらコイツが窓ガラスにぶつかってきていたという話を聞いて私は恐怖に怯えた。心霊現象より怖いだろうが。

2位は先程の「クスサン」だ。枯れ葉みたいな姿しやがって。飛び方もやたらバタバタしていてよくない。そんでもってそめっちゃ鱗粉が飛ぶ。人を不快にする動きなのだ。威嚇のためなのか翅を開いて止まるのもキモい。眼状紋がおどろおどろしいんだよ。
そもそも「サン」という名前が付くやつはだいたい不必要にデカくてフサフサでキモいということを、世の人たちはもっと認識すべき。(ちなみに「〜サン」という名のやつは、大体は「ヤママユガ科」に分類される)

3位は「ヒトリガ」。こいつは必要以上に毒々しい色をしている。白に濃い茶色の斑模様、翅を開けばオレンジに黒紺の斑点。え、何で?どうして平気な顔してそんな姿でいられるの?夏休み明けの服装頭髪検査で真っ先に生徒指導の先生に呼び出されるでしょうが。
こんなものは自然界に発生してはいけない色使いだと思っている。京都にこんな色使いの高級食パン店が立ったら、間違いなく条例違反になるだろう。それくらいやばい。

はぁ、どいつもこいつも気持ち悪い。エーミールはどうして「ヤママユガ」なんてものを孵化させたのだろう。あの物語の主人公は、どうしてそんなものを欲しがったのだろう。

蛾が嫌いすぎて、蛾についての話題が出るたび講釈を垂れていた私は、次第に「蛾に詳しい人」のレッテルを貼られるようになった。

誠に遺憾だ。私は蛾なんて好きじゃないのに。嫌いだから調べていただけなのに。
「ヨナグニサンの前翅の先にある模様は蛇の頭に似せてあって、鳥たちから食べられるリスクを下げてるんだって」「スズメガの中でもホウジャク亜科の奴らは戦闘機みたいでカッコいいんだよ」ってやかましいわ。

あ、オオミズアオは割と好きよ、見た目が綺麗だから。
ちなみにオオミズアオとオナガミズアオを見分けるときは、後翅の長さじゃなくて触角の色で区別するといいよ。オオミズアオの触角はオレンジで、オナガミズアオの触角は緑色であることが多いからね。

こういうところなんだよな。


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さて、数少ない「嫌いなもの」のうちの一つは「マスク」である。
このご時世にこんなこと言うと寄ってたかって私のことを炎上させようとする人が現れるかもしれないが、嫌いなものは嫌いなのだ。

(嫌いだからと言って、していないわけではない。ちゃんとしてるよマスク。感染予防と拡大防止のため)

今、こういう「マスクをしていない人を迫害する権利が人民に与えられた」みたいな時代になって、私みたいなマスク嫌いの人はさぞかし心苦しい生き方をしているだろう。

その昔、国語の教科書で「素顔同盟」という物語を読んだ。

物語の中では皆、感情を隠すために仮面をすることが義務付けられている。仮面を外すことが反社会的行動なのだ。主人公の男の子はその体制に疑問を感じているが、同調する友人はいない。

ある日、川辺にいた主人公は、一人の女の子が人目を避けて仮面を外す場面を目撃する。同じ考えを持った人を初めて見つけた彼は喜ぶも、彼女に再度会うことはなかった。同じ頃、彼は「素顔同盟」なる集団の存在を知る。彼らは仮面をはずし、社会や警察から逃れて、川の上流の対岸の森の中で素顔で暮らしているということだった。

川の上流から自分の探していた女の子の仮面が流れてきたのを見つけた主人公は、仮面を外しそれを捨てた彼女を追いかけて「素顔同盟」が集まる川の上流へと歩いていく…という話だ。

マスクをするようになってから、この物語をしばしば思い出す。みんな、本当は素顔でいたいんじゃないか?それとも、もうマスクと共に生きるというこの状況を受け入れてしまったのか?気になる。


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さて、私が何故こんなにもマスクを嫌うのか。
その理由の一つが「眼鏡が曇る」ということ。

眼鏡ユーザーならわかってくれると思う、この苦しみ。
私は人生の3分の2をこの眼鏡という道具とともに生きてきたので、こういう時代が訪れる前はマスク大嫌いマンだった。よっぽどなことがない限り、マスクに頼らない生活を送っていた。

「コンタクトにすればいいじゃん」って言う人もいるかも知れないが、コンタクト怖いじゃん。目に異物入れるの怖いよ。入れる瞬間にくしゃみとかして指がブシャーって目に突き刺さったらどうしようとか思わないのかな?思わないですかそうですか。お帰りはあちらです。お大事にどうぞ。

眼鏡が曇ると、基本的には何も見えない。明るいところと暗いところの区別が付くくらいで、それ以外に何の有用性もない代物に成り下がる。

しかしながら。

曇ったメガネの向こう側には、しばしば「虹」が現れる。曇りを通して灯りを見ると、(多分)光の屈折の関係で、灯りの周りにぼんやりと虹が見えるのだ。

小さい頃からこの虹の存在には気付いていたが、「眼鏡が曇ったらすぐに拭く」という合理性を求める大人になってしまった結果、しばらくの間この虹の存在を忘れていた。

コロナ対策でマスクの着用がほぼ義務付けられ、ようやっと思い出した。眼鏡ユーザーのを私たちは、見たい時に見たいだけ、自由に虹を見ることができるのだ。ぼんやりとした美しさは、荒んだ心を一瞬だけ、癒やしてくれる。

しょうがないから、この虹を少し楽しむことにする。
コロナが消え去り、素顔で生きられるようになるまでの期間限定で。


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【今日の一曲】
「虹」をテーマにした曲は色々あるけど、これは特にたくさん聴いたなぁ。色んな音楽を聴いてみるもんだね。

虹 / 二宮和也


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