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ここだけの話② - 悪者の正義

ディズニー映画にめちゃくちゃハマった。

今年一番ハマったのは多分For Tracy Hydeというバンドだが、それと同じくらいハマったと言ってもいいだろう。

齢30を2つも超えたおっさんが何を「ディズニー」などとほざいているのか、なんて思う方もいるだろうが、しょうがないだろハマっちまったもんは。

そんなわけで今では「Disney+」という、ディズニー系の動画が見放題のサービスに登録し、関連する映画やオリジナル作品を見漁る毎日を過ごしている。

【脱線・これまでに人の影響でハマったものシリーズ】
2011年…AKBグループ
2012年…一眼レフでの写真撮影
2013年…サッカー
2014年…肉じゃがにバター
2015年…クラフトビール
2016年…乃木坂46
2017年…ライブ活動
2018年…二郎系ラーメン
2019年…ラムネ
2020年…ディズニー←NEW!!

こうしてみると私は誰かの影響で生きている。インフルエンサーならぬインフルエンシー。影響を与えられる側なのだ。


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ディズニー映画は基本的に構造が一緒だ。「プリンセスの自己実現」、これに尽きる。で、自己実現の邪魔をするのが、わけのわからん男だったり、家族だったり、魔女だったり、呪いだったり、その辺の悪いやつだったりするわけだ。

最終的には悪いやつがやっつけられる。ちゃんちゃん、めでたしめでたし、で終わる。構造としては、水戸黄門みたいなものだと考えれば良いだろう。

しかしながら。

最近はその「悪いやつ」、すなわち専門用語で言うところの「ヴィランズ」をメインに置いた作品が自分の中で来てる。アツい。

今日はそれを2つ紹介しようと思う。


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1つ目は「マレフィセント」。ご存知、「眠れる森の美女」に出てくる悪いやつだ。

この作品はとても良かった。物事を一つの視点だけでみては見てはいけない、ということがよくわかる。マレフィセントの考える「真実の愛」とは何か、この映画を見たらその片鱗に触れることができるだろう。愛は何も男女の間にだけ存在するものではない。

結局のところ、この作品も「マレフィセントの自己実現」という点においては、ディズニーらしい作品になっている。

2つ目は「ディセンダント」。これは所謂「ヴィランズ」の子孫の物語だ。

主人公は先述の「眠りの森の美女」に出てくるマレフィセントの娘、「白雪姫」に出てくる悪の女王の娘、「101匹わんちゃん」に出てくるクルエラ・ド・ビルの息子、そして「アラジン」に出てくるジャファーの息子。同い年の4人が学校生活を送る、という物語である。

この時点でもうワクワクする人もいるだろう。スターシステム大好き人間の私としてはもうよだれダラダラ。尻尾があったらちぎれるくらいに振っていただろう。

彼らはヴィランズの子孫として生まれてきたことによる葛藤を抱きながら生きている。そして、ディズニー映画の主人公、例えば「美女と野獣」の野獣とベルの息子だったり、「シンデレラ」に出てくるフェアリーゴッドマザーの娘だったり、「シンデレラ」の息子だったり(こいつがなかなかのクソ)と共に学校生活を送る中で、自分自身の中に芽生えた「正しさ」と向き合う…というストーリーになっている。

結局これも「自己実現」という言葉に集約できる。彼らは自分たちの在るべき姿を求めて、初めて親離れをするのだ。

いやもう、すごいでしょ。既存の構造の中にちゃんと物語を組み込みつつ、立場だけ全て逆転させた状態でそれを成立させる高等技術。鬼道の詠唱破棄みたいなもんでしょ。みんな藍染さんが「黒棺」詠唱破棄したときビビったでしょ?それと一緒だよ多分。


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最近のディズニーは、この「自己実現こそがハッピーエンド」という構造の方に重きを置いている気がする。「王子様が現れてハッピーエンド」というシステムは、もしかしたら既に前時代的なものになってしまったのかもしれない。ディズニーの向かう方向としても、我々の価値観としても。

これもディズニー作品なのだが、「シュガーラッシュ2」という映画がある。すごくメタ的なネタがたくさんあって、ただのディズニー映画として消費するのはもったいない。

この映画の中に、印象的なシーンがある。

ディズニープリンセスたちが一堂に会して、主人公のちびっ子・ヴァネロペに問いかけるシーンだ。
「私もプリンセスだ」と主張するヴァネロペに対し、プリンセス達は「魔法の髪の毛を持ってる?」「魔法の手は?」「誘拐されたり囚われの身になったことは?」などと様々な質問を投げかける。

そして最後にラプンツェルが「男の人がいなければ、なぁんにもできない女の子だと、みんなに思われてる?」とヴァネロペに尋ねるのだ。それに対して彼女は「そう!それってムカつくよね!」と答える。そこで一同が納得する。「この子はプリンセスだ」と。

まさにこのシーンが、この時代の「プリンセス・ストーリー」を再定義しているのではないか、と私は考えている。

ディズニーが「人間の自己実現の方法」を伝えるというテーマに舵取りをしたのであれば、私もそれを追いかけたい。そんな視点でディズニー映画を見ている人はそう多くないのかもしれないけれど、これは私がディズニー映画に夢中になるのに十分な転換だった。

ディズニーランド、前までは「行ってもそんなに楽しめないと思うんだよな…」という立場だったが、これを機にちょっと挑戦してみようと思う。


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「MOSH PIT ON DISNEY」というアルバムがある。日本のアーティストやバンドを集めてディズニーの曲をカバーしてもらう、といったコンセプトアルバムだ。

高校時代の学校祭でこのアルバムをモチーフにした劇をやってから、ずっと聴いている。今考えると、あのアルバムをチョイスした友人は凄くセンスがあるなぁ。誰だったんだろ。

私の中でのディズニーの始まりは、多分あのアルバムだった。久々に聞こうっと。


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【今日の一曲】
この曲を聴くと笑っちゃう病気にかかって早15年。ベースラインのせいなのはわかってる。

Under the sea / DOPING PANDA


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