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ここだけの話④ - 言の葉に救われる

「絶望」「悪者」「嫌い」と、ネガティブなアウトプットを3回続けてしまった。みんな素敵なこと書いているのに。私も最後ぐらいはポジティブなアウトプットをしておこう。


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誰かの言葉で救われる、という経験は、きっと誰にでもあると思う。

私が出会って、「素敵だな」「救われたな」と思った言葉は、会話の中であったり、本の中であったり、聴いている楽曲の歌詞からやってくることがほとんどだった。

今日はそれぞれ1つずつ紹介して、私の「ここだけの話」を終えようと思う。


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①会話の中で出会った言葉


「写真のいいところはねぇ、後でみんなで見返した時に『あの時はああだったね、こうだったね』って思い出を共有できるところなんだよねぇ」


ありがたいことに仲良くしてくれる人は少なくないという自負があるが、その中でも特に仲良くしてくれる友人がいる。
高校大学の同級生で部活も同じ。私に「北日本コード進行に詳しい協会会長」の名を与えた人だ。
これは、その友人の言葉である。私が「写真を撮る」という行為の意味と価値を認識し、それが趣味の一つとなるきっかけになった言葉。

携帯電話にカメラの機能が付いて久しいが、iPhoneのカメラロールなんてそんなに頻繁に遡らない。
遡ったら封印したい過去だって出てくるし、忘れたい過去だって平気な顔して現れる。私だったら「死因:2014年頃の写真」とか「2020年11月頃の写真」とか、全然あり得る。

でも、仲間と写ってる写真を、その仲間たちと見返している時はそんなことない。
その時の温かい気持ちとか、交わした言葉とか、空気の匂いとか、風の密度とか、そういったものを簡単に思い出すことができる。
写真はそういうツールというか、トリガーになり得るのだ。

写真は撮ることが目的であり、撮った後は手段にもなる。そんな素敵なことに気づいてから、私の人生はそれまでよりも豊かになった。

風景の写真と同じくらい、誰かとの旅先の写真を撮るのが好きなのは、きっとこの言葉が胸の中にあるからなのかもしれない。
いつかその人たちと見返す時のワクワクを想像しながら、私はシャッターボタンを押し、ファインダーの中の世界を切り取る。


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②本の中で出会った言葉


「ほかのどんな時でもなく、その時言わなきゃいけない言葉ってあると思いますよ」


「退引町お騒がせ界隈」という漫画がある。古い漫画だ。連載されていたのは「花とゆめ」で、作者は遠藤淑子氏。

小学生の頃に祖母の家にあった「美味しんぼ」の隣にちょこんと置いてあった。することもなくてふと手に取り読み始めたのが、この作品との出会いだった。

この文章を書くにあたり改めて読み直してみたのだが、まぁ説教くさい言葉が並んでいる。この「説教くさい」というのは私の中では褒め言葉で、私の考えを整理してくれる言葉たちにたくさん出会える作品だという意味だ。

こう思うのは、他には香月日輪氏の作品くらいだろう。「地獄堂霊界通信シリーズ」みんな読んだでしょ?不動明王の真言とか唱えたでしょ?「なうまくさまんだばさらだんかん」って。え?唱えてない?そうですかわかりました。お帰りはあちらになります。お大事にどうぞ。

「その時言わなきゃいけない言葉がある」というこの言葉に後押しされて、口にしてしまった言葉は数知れず。
うまく伝わらなくて失敗したな、と思うことももちろんあったけど、きっと「口にできないまま」の方が、一生残る後悔になっていたと思う。

もちろん、言葉にならなくて、喉のほんの手前まで出てきた彼らを飲み込んで、後悔してることもある。そういう時にもやっぱり、この言葉を思い出す。

言葉にしてもしなくても後悔するなら、多分言葉にしちゃったほうがいいと思う、と、私が考えているのは、多分、かつて出会ったこの言葉が根底にあるからだろう。


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③楽曲の歌詞


「誰にも過去の地図の上に忘れ得ぬ人がいる」


GLAYの「SPECIAL THANKS」という曲の一節だ。私はこの言葉に何度も救われてきた。

「忘れなきゃいけない」と強く思うことが往々にしてある。もちろん「忘れなきゃいけない」ことなんてこの世に何一つ存在していないんだろうが、私は残念ながらその領域に至れない。
これはおそらく「認知の歪み」みたいなものであり、私もそれを自覚しているところではある。

でもさ、あるじゃん。
過去を振り返っちゃうこと。

その中に、忘れなきゃいけないって思っちゃうものとか、こととか、ひととか。やっぱりあるし、いると思う。
そういうのって自分の中で勝手に形になっちゃってるんだよね。小さい頃に何回も見たアニメやドラマや映画の、特に気に入っている部分みたいに、そのシーンだけ鮮明に蘇ったくらいにして。

で、そうやって考えてる時点で「忘れる」ことはできてないわけ。思い出してる時点で忘れるなんてできていないんだから。

「女々しい」という自覚がある私にとって、高校時代に出会ったこの曲は救いだった。みんなそういう気持ち抱いてるんだなっていう安心を得ることができた。

それから、「忘れなきゃいけないな」って思うたびに、この曲に「覚えてていいよ」と優しく語りかけてもらっている。
時には悲しい気持ちに支配されることもあるけど、時間が解決してくれるということも、この曲があったから知ることができた。

過去を振り返って辛くなったり苦しくなったりする時は、改めてこの曲を聴きながら心と向き合うようにしている。

哀しさや情けなさや惨めさ、後悔なんかと共に生きていくことは、きっと悪いことじゃない。
みんな表に出さないだけで、きっと持ってるんだから。


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ここまで書いて思ったけど、「SPECIAL EDITION」という展覧会に打って付けのテーマだったな、と思う。

「写真」「文章」「音楽」の3つに、図らずも触れることができたからだ。

僕らはきっと、こういったものたちに、救われていくんだ。
これまでも、そして、これからも。


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私の「ここだけの話」はこれでおしまい。
来月も再来月も、色々な言葉をインプットできるのが楽しみです。
それだけじゃない。写真も曲も、全部楽しみ。

この機会をくれた橙ちゃん、本当にありがとう。自分の言葉と向き合う時間は、私にとっても価値ある時間でした。

私はTwitterに戻ってまたコード進行や転調についてのどうでもいい話をこねくり回す人に戻ります。

それでは、またいつかお会いする日まで。
したっけ。


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【今日の一曲】
この展覧会のタイトルにちょっと似てるから、最後はこの曲の話をして終わろうっていうのは、オファーをもらった時に一番最初に自分が決めた制約でした。

SPECIAL THANKS / GLAY


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