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【中学受験ネタ】プログラミング

 5歳の時からプログラミングをやっている息子。
 毎週月曜日に、数少ない親友のK君とZoomでプログラミングをしている。このK君、ハーフなのだが、すごいイケメンで運動神経も抜群。学校の勉強はあまりしないが、頭の回転が速く、勉強すればすぐにトップクラスになりそうな印象がある。
 彼らは小学校1年の時から、会社の会議室を借りて毎週月曜日にプログラミングをしていた。コロナ渦でZoomに変わったが、息子はこれだけは絶対に続けたいと言っている。
 ハーフのK君、昔は大したやんちゃ坊主だった。低学年のとき、息子が大切にしていたおもちゃを借りて壊したことがある。少しも謝らないものだから、妻がK君に、
「もしK君が大切にしていたおもちゃを壊されたらどう思う?」
 と聞いたら、
「別に。新しいの買ってもらうから」
 と平然と答えて、あまりに悪びれない様子に、妻は笑ってしまったと言っていた。
 そんな調子だから、K君はプログラミング中にも大騒ぎをして、「もっと静かに」と何度も注意したことがある。あまりにひどかったので、一度強めに言ったら、目に見えて膨れ面をした。
「大声を出さないっていう約束だったよね。君が約束を守れないんだったら、出ていきなさい」
 と言ったら、ぽろぽろ涙を流したが、K君は決して謝らなかった。
 この様子を見ていた息子にあとで、「K君が、お父さんが怖いからやめるって言ったら、どうするんだよ。ぼく困るよ」と控えめに抗議されたが、
「そんなことでへそを曲げるようなら、もう来なくてもいい」
 とぴしゃりと言った。
 息子の心配は杞憂だったようで、翌週K君は、なんの屈託もなくニコニコしながら、プログラミングに参加した。
 聞けば、あとでママとパパにダブルで叱られたよう。
「反省しました」
 と言っていた。これだけで私はK君のことが大好きになった。以来K君は、毎週欠かさずプログラミングをやっている。
 5年生になって、K君はずいぶん大人っぽくなった。外見だけではなく内面も大人になった。
 今までは息子のほうが大人のような気がしていたのだが、プログラミング中の会話を聞いたところでは、息子よりだいぶ大人になった感じがある。
 そのことを息子に言ったら、「ボクもそれを感じてんだよね」と言っていた。おいおい、わかっていたのなら、君も少しは成長しろよと思う。
 頭の回転は速く、運動神経も抜群。気の強いK君のことだから、学校ではスクールカーストの頂点にいるらしい。クラスでの発言権は抜群で、同級生はたいていK君の言うことに従う。ちなみに息子にも聞いたら、「ボクは中の下」と言っていたので、実質「下」だろう。
 プログラミングをしているときは、そんなK君に対して、偉そうな態度を取ったり、いたずらを仕掛けたりする息子だが、K君はいつも穏やかに「息子君、やめてよ」と言っている。K君と同じ学級になったのは息子にとって、僥倖ではないだろうか。
 
 息子がプログラミングをするきっかけは、いまだによく覚えている。
 5歳の時博多のアジア太平洋美術館に行ったとき、なぜか書店コーナーがあって、そこに「5才からはじめるすくすくプログラミング」という本があった。息子は目ざとくこの本を見つけて、「欲しい」と言った。
 まだ5歳で字もまともに読めない息子のこと。
「なんて書いてあるの?」
「どうすればいいの?」
「動かない」
 など、妻に負担がかかるだろうと思って、いったんは諦めさせようと思ったが、息子は絶対に引き下がらなかった。絶対に自分で調べるからと言って、何度も懇願する。さすがに根負けして、「絶対に自分で調べるんだぞ」と言って、本を買ってやった。
 その日以来、息子は本にかじりついて、タブレットでプログラムを作り始めた。最初は本の通りに作っていたが、次第にオリジナルのプログラムを作るようになった。
 息子がプログラミングを本気でやるようになったのは、中洲川端のピザの店での出来事だった。
 夕食に立ち寄り、食事を待っている間、息子が店員のピザを焼く姿を写真で取り、それをプログラミングでうまくつなげてストーリーを作ったのだ。5歳児の作ったものだから大したものではないが、即興にしてはよくできていた。
 店長が料理を持ってきたときに、せっかく作ったのだからそのプログラムを見せるよう息子に言った。プログラムを見た店長はいたく感心してくれて、ピザを焼いている人をわざわざ呼び出して、そのプログラムを見せ、二人して感心してくれた。大人二人に認められた五歳児は、その日ずっと上機嫌だった。
 これが、息子がプログラミングを好きになった、決定的な出来事だったのだろうと思っている。親にいくら褒められても、だんだん慣れていくが、別の大人が褒めてくれた、という経験は息子にとっては、天にも昇る気持ちだったに違いない。
 それからも息子はいろいろな本を読み漁り、「Scratch ジュニア」から「Scratch」に移行した。息子専用のパソコンも与えた。まだ就学前だった息子は、プログラミング三昧になった。合言葉は「ゲームはするものではなく、作るもの(オバマ元大統領の言葉)」に、自分で作ったゲームなら、ゲームをしてもよいと言った。
 さすがにすべて一人でプログラミングを理解するのは大変だろうと、プログラミング教室を探したが、当時はまだプログラミングは浸透しておらず、福岡に数件あるだけだった。そのうちのよさそうなところに入会して、毎週土曜日に北九州から福岡まで、息子のプログラミング教室のためだけに通うようになった。
 するとある日のこと、地元のローカル局がプログラミング教室の取材に来た。最年少だった就学前の息子がインタビューを受けて、翌日の地元テレビで放映された。
 息子は数分間映っており、「尊敬する人は?」の問いに、「アインシュタインとマーク・ザッカーバーグ」と答えて、出演者を感心させていた(そういう番組構成だったのだろうが)。息子がプログラミングから離れなくなった第二の瞬間だろう。
 さすがに毎週土曜日に通うのは大変だったので、プログラミング教室はやめて、息子の附属小学校で希望者を募って、プログラミングをするようになった。K君はその時のメンバーだ。
 
 今は中学受験が忙しくて、週に一回しかプログラミングをできないが、中学に入学したら、勉強に影響が出ない程度に、腹いっぱいプログラミングをやらせたい。
 プログラミングをやらせてよかったと思うことは沢山あるが、一番よかったと思うことは、「自分で調べて問題を解決する能力」ではないかと思っている。
 例えば、「プログラミング授業で役に立つ」とか「論理的思考力を身につける」とか、「数学の知識が身につく」とか、メリットは沢山あるが、それらをすべて凌駕するのが、この「問題解決能力」ではないだろうか。
 プログラミングでうまく動かないとか、わからないことを、聞かれることはあるが、あえて突き放す。すると、息子は仕方がないから、本を読んで調べる。本を読んでわからなければ、ネットで調べる。時には難しい文章も出てくるが、辞書で調べて必死で解読する。プログラムを動かすためには、「学校で習ってない」とか、「意味が解らない」では済まないのだ。なんとしてでも書いてあることを理解して問題解決するしかない。ベストの方法でなくてもよい。ベターでなくてもよい。どんな方法でもいいから問題解決してプログラムを動かさなければ、先には進めない。
 結局なにもわからずに、プログラムが完成しなかったことだってたくさんあるだろう。
 しかしその経験によって、「教わってないから、わからない」とか「教えてくれなきゃ、できない」なんて甘いことは、いっさい言わなくなるのだ。
 勉強でも同様だ。「なに、習ってない漢字? じゃあ、いま覚えなさい」の一言でかたがつく。そもそも、これは3年生の漢字とか、4年生の漢字なんて、文科省が作った目安に過ぎないのだから、そんな基準で漢字を覚える必要などない。プログラミングをやることによって、こうした厳しさのようなものを本人は会得したのではないか。
 そう考えると、5歳の時のピザ店の皆さんには、本当に感謝している。息子の将来を決定づける大きな要因を作ってくれたのだから。
 私たちがピザ店に行かなければ、息子が即興のプログラムを作らなかったら、店員さんが感心してくれなかったら、いや、中洲川端のアジア太平洋美術館に行かなかったら、そこにあの本が売っていなければ、そこで本を買わなかったら、息子はプログラミングをやっていなかったかもしれない。
 その一つでも欠けていれば、プログラミングによって得た大切なことを得られなかったかもしれない。
 不思議な縁だなと思う。
 今度博多に行ったときには、必ず美術館に行って、あの店に行こう。


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