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町のイメージの変化ーーウィーン滞在記

町のイメージ

その町を訪れたことがなくても、その町のイメージを心に抱きつつ、多くの人は旅をするのだろう。そのイメージ通りの何かを発見し、あるいは、イメージを裏切られるような経験をする。それが旅の醍醐味の一つなのかもしれない。

ウィーンという町。私のこの町に対するイメージは、幼いころに読んだヴェートーヴェンの伝記マンガによっている。内容はほとんど覚えていないが、ハイドン、モーツァルト、ヴェートーヴェンなどクラシック音楽史に名を刻む人々が生きた芸術の町。

フランクフルトから飛行機で約1時間半。到着したウィーン国際空港はコンパクトながら、とても洗練された印象の空港で、「やっぱり芸術の町だな」と、妙な納得感があった。

白い街並み

空港から電車を乗り継いで40分くらいで、ホテルの最寄り駅に到着。重たいキャリーケースを引きずりながらエスカレーターを上がると、ヴォーティーフ教会が右手に見えてきた。私のイメージしていたウィーンの景色にぴったりで、「おー!」と声を上げる。さらに歩くと、白を基調とした街並みが姿を現した。背の低い街の姿はどことなく京都を思わせなくもない。それだけで少し親近感が湧き、「居心地のよい町そうだ」と期待が膨らむ。

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着いた日は前日までの疲労もあり、ホテルに着き、ベッドに少し横になると眠りに落ちてしまった。目が覚めたらもう19時を過ぎていた。どこかにご飯を食べに行ってもよかったのだけれど、胃腸も疲れていたので、近くのスーパーで買い出しをして済ますことにする。ビールとコーラ、サラミとポテトチップスを買って帰る。もちろんビールは現地のビール。旅先ではその場所でしか手に入れられないものを、と思うのだけど、全てが未知だと少し疲れる。こういうときにコーラなど、グローバルブランドはありがたい。どこでも同じ味を期待できるから。

翌日はたまたまラグビーW杯の日本対南アフリカ戦の日。完全に今回のW杯で盛り上がっている「にわかファン」だけど、初めての決勝トーナメントを観ないわけにはいかない。ホテルのテレビをザッピングするも、中継はなさそうだ。近くにスポーツバーはないだろうかと検索してみると、ホテルから2キロくらいのところにあることが分かった。せっかくなので歩いて町を散策しつつ、スポーツバーに行くことにした。

ウィーン時間では12時くらいからのキックオフだったので、お客さんはそれほど多くなく、お店のにーちゃんに話かける。コーラとハンバーガーを注文し、試合が始まるのを待つ。徐々にお客さんも増えてきて、「日本人か?」と尋ねられる。そうだよ、と答えると、「どっちが勝つと思う?」と聞いてきたので、「日本が勝つよ」と言うと「NO!」と言われてしまった。どうも南アフリカファンだったようだ。試合が始まってみると、ほとんどの人が南アフリカファン。強豪国だから当たり前といえば当たり前か。それでもみんなと和気あいあいと応援する。試合には負けてしまって残念だったけど、現地の人と話ができて楽しかった。最初に声をかけてくれた男性に「おめでとう!」と声をかけて、店を後にした。

それにしても、ウィーンの道は広くて歩きやすい。市街地をぐるっと一周するように道が走っていて、分かりやすいのもよい。このあとにこの大きな道の来歴を知るのだけど、それはまた後ほど。

初めて訪れる町をブラブラと歩くのは本当に楽しい。この日も大通りを歩き、オペラ座の前を通り、王宮にやってきた。とても広いので全てを見ているときりがないので、国立図書館を中心に見る。そのあと、ウィーンといえばザッハトルテということで食べに行く。ザッハトルテも良かったけど、「メランジェ」というコーヒーに泡立てたミルクを入れたものが美味しかった。

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ターフェルシュピッツという至福

さて、やはり旅の一番の楽しみはご飯。今回のお目当てはターフェルシュピッツ、オーストリア名物の牛肉の煮込みだ。ホテルの近くにたまたま素敵なレストランがあったので、そのお店で食事をすることにした。メニューを見ても分からないので、店員のおじさんに写真を見せて、「これが食べたいんだけど、どれ?」と尋ねると「これだよ」と教えてくれる。

海外に行くと、食事のボリュームがありすぎて困ることが多いのだけど、「ハーフ」があることに気づき、それを頼む。

ビールを飲みつつ待っていると、前菜として頼んだスープが出てきた。ジャガイモのスープなのだけど、優しい口当たりで美味しい。俄然、期待が高まる。

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そしてお目当てのターフェルシュピッツだ。やっぱりハーフでよかった。肉を切り、口に運ぶ。

柔らかい。。おいしい。。。

海外で食べる料理はもちろん美味しいのだけど、私からすると「非日常」で、食べ続けると結構疲れてしまう。でも、この料理は野菜とお肉が丁寧に煮込まれていて、とても優しい味がした。「おいしい、おいしい」と言いながら、あっと言う間に完食。

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このレストランにいる間、店員のおじさんが「頼んだものは全部きたか」「どうだ、美味しいか」「デザートはどうだ」と押しつけがましくなく気に掛けてくれて、とてもよい時間を過ごすことができたので、お会計のときに、「とてもよい時間が過ごせました。ありがとう」と伝えつつチップを渡すと、「ウィーンの旅を楽しんで」と笑顔で答えてくれた。素敵な時間だった(ちなみに、次の日のディナーも同じ店に行き、仔牛のレバーの煮込みを食べた。こちらは濃厚でまたまた美味しかった)。

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ヴェートーヴェンゆかりのハイリゲンシュタット

やはりウィーンに来たからには、何かヴェートーヴェンゆかりの地を訪れたいなと思い、ウィーン市街の北の郊外にある「ハイリゲンシュタット」まで足を伸ばした。

トラム(路面電車)で行ったのだけど、この乗り物は素敵だ。町の景色を見ながら移動できるのがよい。ハイリゲンシュタットまでは30分くらいだったけど、町の全体像をぼんやりと眺めることができた。

ハイリゲンシュタットはとても静かな場所で、綺麗だった。「るるぶ」のガイドブックによれば、ヴェートーヴェンは『田園』の着想を、ここを流れるシュライバー川という小川から得たと言われているそうなのだけど、本当に小さい川で驚いた。大天才になると、こういう些細なことから、大きな着想を得るんだなと、妙に納得してしまった。

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そこからさらにトラムに乗り、南へ向かう。お目当ては19・20世紀絵画館。クリムトの作品を多く所蔵している。特にクリムトのことが好きだというわけでもなかったけど、ここで見た「接吻」はすごかった。ウィーンに行ったら必ず見たほうがよいと思う。

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戦争の歴史という古層

ウィーンでの3日間はこんな風に過ぎていったのだけど、日本と違うなと印象に残っているのは、電動キックボードが市民の足として浸透していること。町のいたるところにこんなキックボードが置いてある。

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日本でも公道で走れる電動キックボードが発売されたとかニュースになっていたけど、その点ではウィーンはだいぶ進んでいるようだった(ちなみに、この後に訪れた、プラハでもキックボードは見かけたので、ヨーロッパでは徐々に浸透しているのかもしれない)。

小回りが利くし、便利そうだなと思う反面、これが浸透するためにはしっかりと舗装された、それなりに大きい道が必要だろうということを思った。電動であるとはいえ、タイヤも大きくないキックボードが浸透するには、それなりのインフラの前提が必要そうだ。

みたいなことを考えていて、疑問に思ったことがある。そもそもこれだけ道がしっかりと舗装されており、市街をぐるっと一周している道路はいつ作られたのか。

旅のお供に持参した、山之内克子さんの『物語 オーストリアの歴史』に答えが書かれていた。

「1857年12月25日、皇帝は『ウィーン新聞』紙上に一通の親書を掲載させた。のちに多くの市民からクリスマスプレゼントに譬えられたこの勅令は、都市を取り巻く防禦施設を撤去して、その跡地に、環状道路リングシュトラーセおよび、首都にふさわしい壮麗な公共建築を建造するという、未曾有の都市計画の導入を命じたものであった」〈山之内克子『物語 オーストリアの歴史』(中公新書、429頁)〉

そうか、こんなに大きな道路建築の背景には、戦争の歴史があったんだ。たしかに、世界史の授業で「ウィーン包囲」などを学んだ記憶がある。けれど、「芸術の町」というイメージが強過ぎて、そのさらに深い歴史の地層に「戦争の歴史」があったという事実には思い至らなかった。

オスマン帝国の侵入を防ぐための防御施設というシビアな現実が、大きな道路へと変貌した。その上をウィーンの人々が電動キックボードで楽しそうに行き交う様子を見て、歴史の不思議を感じずにはいられなかった。

「芸術の町」の古層には戦争の歴史がある。

旅を通して、ウィーンという町のイメージがより豊かになった。

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