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どこからが下品でせうか。ぺろぺろ

 うちのグループホームではほぼ17時きっかりに夕食の配膳がはじまる。
 たしかにご老人の方々は夜寝るのが早けりゃ朝起きるのも早い。となるとご飯の時間も(ぼくたちの時間感覚より)前倒しになるのが自然だとは思う。
 それでもさすがに、17時ジャストの夕食は早過ぎやしないだろうか。

 今日の夕食は麻婆茄子だった。
 ご自身で食べられる方には温かいうちにさっそく召し上がってもらう。ぼくの小腹が空く時間帯と重なることもあって、他人の夕食がやけに美味そうに見えてくるもの。そこで感化されたぼくは「このあと帰ったらうちも麻婆茄子にしよう」とこっそり決めていた。
 他方、自力で食べることができない方にも冷めないうちに食べていただきたい。その想いに嘘はない。だから全ご老人への配膳を済ませたらすぐに、介助を要する方のすぐ隣に座る。誤嚥しないよう注意しながら、(ちょくちょく夕方のニュース番組にも目をやりながら)ご老人の口元へとスプーンを運び続けていた。

 「Oさん、お皿は 舐 め な い で!」
 テレビの音量を超えるボリュームで、職員・T氏の声がリビングに響き渡る。それぞれ違う配置で別の方の食事介助をしていたT氏とぼくだが、T氏から近い座席にいるOさん(80代女性)が、今日も注意を受けはじめていた。「今日も」ということからわかるように、「いつも」見るやりとりである。
 Oさんは食欲旺盛、毎食ぺろりと完食される。それは見ていて気持ちがいい。だがその直後の行為がうちの一部の職員からは問題視されている。というのもOさんには癖がある。いつも、食べ終わったばかりのお皿をぺろぺろと舐め回す習慣があるのだ。
 
 T氏は続けざまに「食器を洗う人の気持ちになって。汚いでしょ?下品でしょ?」と説明モードに入っていたが、ぼく的に正直に申すなら、きっとその言葉群はOさんの耳には残らない。
 なぜならOさんはそこそこの認知症を患っている御方。日常生活でできることも多いけれど、記憶が飛んでいたり行動が飛んでいたりすることも多い方である。それらの事実は当然ながらT氏もわかっているはずなのに、つい説明したくなってしまうのだろう。介護経験が長いと、その気持ちが手に取るようにわかる……。
 結局のところ第三者目線でジャッジするなら、「Oさんもまったく悪くないし、T氏も悪くない……」そんなことを思いながら、ぼくはまだリビングの片隅で食事介助を続けていた。

 そういえば、と思考は巡る。
 つい一週間前まで、このリビングでは大相撲中継が大々的に流れていた。その背景にあるのは新しい入居者Aさん(80代男性)が相撲好きだという一面を知ってのことだったが、ぼくもできれば大相撲を観たい派なので、少なくともぼくが出勤している夕食時には大相撲が流れていた。(個人的に一番推しているのは高安関だが、今場所を通して熱海富士関と北勝富士関のことも好きになった。)

 夕食時――ご老人――相撲。
 これらの組み合わせに違和感を感じる人はほとんどいないのではないだろうか。当然ながらぼくにも違和感はなく、自分が観たいこともあって、さらにチャンネル権を握れる立場でもあったので、夕食時には進んでNHKを選び、大相撲・九月場所を流していた。
 
 伝統。神事。国技である相撲。
 とりわけ大相撲は特別中の特別として扱われている。その取り扱いを批判したいわけでは全然ないわけだけれど、冷静な視点からテレビモニターを見ると、そこに映るのは、ただただ裸の大男vs裸の大男。彼らのやり合いに過ぎないではないか。
 仮にこれに「相撲」「大相撲」という枠組み認定がなされていなかった場合、きっと誰かが言うだろう。麻婆茄子を食みながらつぶやくだろう。
 「食事時に、裸は下品ですよ」と。

 OさんのぺろぺろからSシローのぺろぺろ事件を想起してしまうのは解せないけれども、下品の境界線はどこにあるものかとは思う。

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