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ガブリエル・ブレア『射精責任』メモ

 Gabrielle Blair. 2022. Ejaculate Responsibly: A Whole New Way to Think About Abortion. Workman Publishing Company. という本の翻訳が『射精責任』と題されて、太田出版から2023年7月21日に発売されるとのことである。

 インパクトのあるタイトルと、いくぶんセンセーショナルな宣伝もあってか、発売前から話題の書となっているようである。ただ、私としてはあまり期待が加熱するのは本書にとってよくないだろうと危惧する。以下、その危惧について述べる。なお、私が読んだのは (1) 原著、(2) 2015年のブレアの前著 Design Mom、(3) および現時点で参照可能ないくつかのネット上の情報である。翻訳書は(発売前なので)目を通していない。以下に述べる危惧のいくつかが、訳注や解説で解消されていることを願っている。

本書の内容

 本書は(少なくとも書いてあることをそのまま読む限り)一般的な性教育の書である。それ以上に論争的な主張にコミットしてはいない。妊娠について男性の責任が強調されているのは確かだが、「フェミニズム」の書であると分類するほどの積極的な主張はあまりない。もちろん、こういった性教育の知識が日本で、とりわけ男性にとって十分に浸透していないのは憂慮すべき状態であるし、それを少しでも改善するための本書の意義は小さくない。その点では本書の翻訳と出版の労をとられた方々に敬意を表する。

問題のある箇所

 しかし本書には、一定の問題含みの内容も散見される。まず、随所に顔を出す保守的な家族観には注意が必要である。ただ保守的なだけならまだしも、たとえば、妊娠を望まれずに生まれた子についての記述(No. 21)と、養子についての記述(No. 22)では、これといった根拠もない決めつけがなされており、相当に困ったことだと私は思った。少なくともこの点は、訳注や解説でしかるべき説明が必要であろう。

モルモン教との関連を問うべきか?

 本書を読むに当たって難しいのは、明確に書かれていない内容をどう考えるかである。まず、著者のブレアはモルモン教徒であることをインタビュー等で明言している。モルモン教は厳格な性規範で知られる宗派だが、本書では、宗教的な主張はまったくなされていない。したがって、著者の宗教と本書の内容がどういう関係にあるのかはわからない。著者の主張を理解するうえで、特に本書のような内容の場合、その宗教的背景はおそらく重要ではあろうが、述べられていない。宗教的背景なしでも本書は理解されうると著者は考えているのだろうし、実際そういう内容ではあるので、私としてはその関係をあえて推測しようとは思わない。当然のことだが、個人の信仰内容はセンシティブな事柄である。―― ただし、本書から読み取れる内容とモルモン教の関係を議論すること自体を否定するものではない。単に私にはその方面の知識がないのでこれ以上は触れないだけである。

【追記】モルモン教との関連については以下の橋迫瑞穂先生の記事を参照。

本書はプロ・チョイスの書なのか?

 他方、本書が男性の「射精責任」を強調しながら、女性の中絶の権利について明言していないことはより大きな問題であると考える。他のインタビューで著者は、自身は「プロ・チョイス」であると述べている。しかしこれも特に根拠が述べられていないため、本書の主張とどのように両立するのかわからない。著者本人が以下のように一言述べているだけで(その発言には当然、相応の思惑があるのだろう)、それをそのまま本書の読解にあてはめるのは根拠薄弱といわざるをえない。

私はプロ・チョイスであり、モルモン教徒でもある。どちらも違和感なく一体のものだと思っている。(I'm both pro-choice and Mormon, and I'm comfortable identifying with both of those.)

https://www.npr.org/2022/10/20/1130113865/book-by-mom-of-six-puts-onus-on-men-to-stop-unwanted-pregnancies

 本書には「プロ・チョイス」的な主張、つまり女性の中絶の権利を支持するような内容はまったくない。もちろん、それに明示的に反対する「プロ・ライフ」的な記述があるわけでもない。しかし、望まない妊娠や中絶を防ぐための 男性の責任を延々と述べておきながら、一方で女性の中絶の権利について言及を避けるのは、いかにも不自然である。
 かといって、ここで著者の立場はそれに否定的なのだろうと推測したところで、本書はあくまで男性の責任をテーマにした本であるのだから勝手な推測はしないでほしいといわれればそれまで である。
 私はこうした書き方を誠実だとは思わない。なぜ女性の中絶の権利について明示的に述べないのか?と問うことは本書の内容からして正当であると考える。しかし短い本であるし、テーマを限定することが許されないとはいえない。明らかなことは、プロ・チョイスであるともそうでないとも述べていないし、著者のインタビューでの発言は本書がプロ・チョイスの内容であることを支持できるほどの内容ではない、ということである(どこか他のところで述べているのかもしれないが、仮にそうだとしても本書で述べていないことは変わらない)。

 宗教的な立場や、プロ・チョイス/プロ・ライフといった立場に関係なく読むことができるように、論争的な主張を避け、あくまで一般的な性教育の書としてまとめたのはむしろ堅実かもしれない ―― 本書に期待する人々の多くは、より強くフェミニズム的な主張がないことに肩透かしの感を味わうかもしれないとも心配するが、余計なお世話だろう。
 もっとも、本書の堅実さは戦略的なものである。随所で保守的なバイアスをかけた記述を行いながら、しかし肝心な主張には決して踏み込まない。それは読者にとってよい書き方でないと私は思うが、書いていないことなのだからそれ以上に批判できるわけでもない。

本書は「フェミニズム」の書なのか?

 本書の内容が何らかの意味でフェミニズム的かというと、これもはっきりしない。前著 Design Mom は家族の絆を強めるための家具の配置などについて述べるもので、インテリアの実用書といったものである。ここでもさほど明確な主張はなされていないが、本書 Ejaculate Responsibly に比べれば、母性主義的な家族観が押し出されている。そういった価値を重視する種類のフェミニズムであるといえばそうであるし、いわゆる「モルモン・フェミニズム」の考えはその系統にあるようだ。それは現在、一般的に理解されている種類のフェミニズムとはずいぶん違う、というのも確かだが、これは言葉の問題にすぎない。いずれにせよ、そうした母性主義フェミニズムが本書 Ejaculate Responsibly で述べられているかというと、そう読めそうな箇所もないわけではないが明言されてもいない、といった程度である。

 このような性格の本であるため、本書をはっきり批判することは難しい。一般的な性教育の記述が重要であることは確かなのだから、それをそのまま読めばよいというのも確かだろう。しかし、だとすれば、相応の文脈のもとにある話を匂わせるだけして決して踏み込まない、という不誠実な書き方をしている本書よりも、もっと適切な本がいくらでもあるのではないか?というのも正直な感想である。

【追記】たとえば次のような記事の文脈で読まれる本である、ということを踏まえれば問題がよりはっきりするだろう。男性にも相応の負担を、というだけではない、もっと危険な含意が書かれている。 
※ 性的にややきつい画像や記述があるので苦手な方は注意。

How Dobbs Triggered a ‘Vasectomy Revolution’
https://www.politico.com/news/magazine/2022/12/02/how-dobbs-triggered-a-vasectomy-revolution-00070461

関連する議論

 なお、中絶の権利論について本書の立場に近いのではないかと私が思った論文として、Schouten, G. (2017). Fetuses, orphans, and a famous violinist. Social Theory and Practice, 43(3) というものがある。著者がこの論文のような主張をしているというわけではない。しかし、著者が述べていることをより強力に、そして学術的に展開するとすればこうした議論になるのではないか、ということである。

 Schouten の議論は以下のようになっている。(1) 胎児は道徳的人格を備え、かつ、ケアを必要とする脆弱な存在である、(2) そうした存在をケアする責任は集合的に、つまり誰もに存在する、(3) 妊娠者も授精者もその集合的責任を分有する(集合的責任なので個人的事情による拒否のハードルが高い)。以上から中絶の権利が否定される、少なくともきわめて消極的に捉えられる。

 この「集合的」責任論は、本書での男性の責任の強調と、少なくともつながりうるものであることは確かである。これはケアの倫理という、フェミニズムの重要な価値を逆用した狡猾な議論となっている。この議論を批判する場合、どこを否定するかというと、集合的責任が個人に降りてくるところだろうか。しかしそこはケア責任のネットワークという関係論的な見方(これもまたケアの倫理の重要な洞察である)が関わっているので、そう簡単に否定しにくい議論となっている。本書がもし、こうした主張を明確に展開していたならば、実りある議論につながっていたことだろう。しかし、そうなっていないことを残念に思う。

 さらに関心のある方は、運の平等主義的な立場から、Schouten の議論における女性の負担の不公正を批判するものとして、次の論文などを参照されたい。
O'Brien, D. (2023). Fairness, care, and abortion. Journal of Applied Philosophy.


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