見出し画像

ジュリア・デュクルノー監督「チタン」(仏、2021年)

デュクルノー監督「チタン」は昨年のカンヌ映画祭パルム・ドール受賞作だが、とびっきりの傑作でもないものの、パルム・ドールの水準としてはまあまあという感じ。最近のカンヌは妙に社会派ぶったものが続いていたので、今回のようにまるっきりのめちゃくちゃな映画が選ばれるのもよいだろう。レオス・カラックス監督「アネット」はよせばいいのにミュージカルの真似事みたいなことをしたが、そんなのははっきり吹っ飛ばした。一点、「チタン」が濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」よりもつまらない映画だったら後味の悪いことになりそうだと心配していたが、少しすぐれた映画で安心した。濱口監督が自身の最高傑作ではまったくないあの作品で大きな賞を取ってしまっていたらとても不幸なことだったろう。

[以下、ネタバレありなので気にする人は読まないでください。]

さて「チタン」の冒頭、車の後部座席でなんかイライラしている女子のショットがうまく決まっていて、いい始まりだった。前の座席を蹴ってはいけません。そこで事故にあって頭にチタンプレートを埋め込まれて、それ以降、自動車に偏愛的なものを抱くようになり、なぜか車と性交して妊娠して苦しむという変な展開になる。この対物性愛と妊娠をどう考えるか。なんだかクィアなことをしているようでもあり、しかし事故のときのあのイライラに対する懲罰だとしたら単純すぎるし、どうもよくわからない。

その後、行方不明になっている男性になりすまして、妄想にひたっている親父の息子としてもぐりこむといったことをする。妊婦となった自身の身体性への反抗として男性になろうとした、とまとめてしまうと陳腐になりそうだが、映画の流れとしてはエキセントリックな暴走の果てみたいな感じがしてさほど不自然ではない。というか、そこで擬似的な親子の絆ができそうになったシーンで変なラテン系?音楽が流れて一緒に踊り出すとか、わけのわからないことをやっていてとてもよい。あと、椅子の脚を口の中にぶちこんで殺人するとか、そんな大事なシーンでも変な音楽が流れていて、いろいろとおかしい。

ラストはヒロイン?が自動車の子を出産して、そのまま死亡して、その子を疑似父親が育てる決心をしたような満ち足りた表情になったところで終わる。この出産をどう捉えるか。いろいろ無茶したことの贖罪とか救済みたいな意味合いの出産かというと、あまりそんなふうにも見えず、ただ排出して死んでしまった、という即物的な印象のほうを強く受けた。他方、疑似父親のほうがその子を引き継ぐことに、もし、そこで何か真の父親になるみたいな聖性が付与されるのだとしたら台無し感がある。実際、この父親にはそういうマッチョな格好良さもあって危なっかしい感じもする。

しかし、その機械仕掛けの子を引き継いでいくというのは、なりすましでもなんでもいいからと(妄想に気付きつつ)息子?を受け入れたその父親の哀しみがまた続くことになって、それはむしろ救いのなさが深まっているようにも思える。ここでやってしまいそうなのは、ヒロイン?の懲罰的妊娠を妄想の疑似父親が継承してしまうという読み方で、それだとせっかくクィアなこといろいろしてたのに、妊娠→出産→育児を救済みたいにする古臭い構図に戻ってしまう。いや、そうならないようにちゃんと嘘っぽく描いているようにも見えるし、まあどうなんでしょうというところ。でも消防士の仕事をしているなかで命の大切さに触れたみたいなシーンもあって、これは俗っぽい解釈に誘導するものであまり感心しない。

頭にチタンプレートを埋め込んでることは映画の展開にはこれといって効いてこないし、自動車と性交するダサいシーンをわざわざ入れずにいきなり妊娠するほうが話としてはすっきりするので、作り方としては冗長な感じもする。こういう種類の作品はクィアな仕掛けをこれでもかと続けていかないとテンションが持たないが、まあ、中だるみしている感じもなくはない。でも一応、最後まで走り切ったか。★4.2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?