スポーツ根性論の誕生と変容 岡部祐介  要約、感想、雑多な意見    

スポーツ根性論 の誕生と変容――卓越への意志・勝利の追求 | 岡部祐介 |本 | 通販 | Amazon

■要約
・「根性」の持つ言葉の意味変遷を戦後~現代まで追っている。
・「根性」の概念は勝利至上主義と結び付き、本来の意図から外れた所で解釈された。
・勝利至上主義のスポーツを乗り越えるには、「近代の原理」から開放される必要があるとしている。

■内容と雑考
・「国家のためという意思」と「勝利至上主義」が最終的に円谷幸吉を
 自死に追い込んだ。
・その反省として、1980年代~2000年代では、国家や地域を背負わない
 「自分のため」にスポーツをするという姿勢が多く出てきたという指摘。 
(スポーツに共同体を代表させ過ぎることも問題。)
・そして現代では、勝利すること、他よりも卓越することを目的とした近代の原理から離脱し、スポーツの行為それを実践することに喜びを見出すことが、新たな価値となりうるとしている。
・これは、中田英寿はオリンピックやワールドカップに出ることは、国のためでなくあくまで自分を売り込むためと言っていた事とも重なる。
・また、この個人のためという考えの限界もそのままドイツで孤立した
 ということになっている中田の姿とも重なる。
・さらに、29歳で引退した理由としてとして挙げていた
 「サッカー自体が楽しくなくなった」という事とも重なる。
・流石に中田は死なずに、競技スポーツからの離脱のみだったが、
 その後サッカーとは距離を置いており、円谷幸吉は実際に自死により
 この世にいなくなったが、中田もいないことになっているという意味で、
 近似の状態とも言える。
・1960年代迄の円谷の時代を
 「国家のためのスポーツ」
 2000年代迄の(高橋尚子、中田英寿、イチロー等)の時代を
 「個人のためのスポーツ」
 2000年代以降を
「生きた実践としてのスポーツ」
 とするとこのアイコンは、
 スポーツ系youtuberや最速市民ランナー層が該当するのではないか。
 彼らは三苫薫や大迫傑や大谷翔平の様にけして世界1を争える立場では
 無い。しかし、彼らの動画や発言は、共感を生みむしろ卓越性にいる側
 から寄り添われている場合もある。
・一方、スターになることを目的としていない人間のアイコン化により、
 自死に至るケースがリアリティショー等で代表的な様に少なくない数見受けられるが、スポーツ系youtuberでは少なくとも自分は知らない。
・それは、登録者数が少ないことで、結果的に過剰なアイコン化が進まないからではないか。
(7/14追記:と思ったら栗木史聞さんがそれに近い、影響力と実力との矛盾でほぼ自死に至っている)
・ということで、スポーツ系youtuberは、登録者数が多すぎないのは
 「生きた実践としてのスポーツ」を体現する上では、むしろ好都合な状態と言えるかもしれない。
・また「生きた実践への没頭」は、「近代を乗り越える」こと自体を目的としていないので、「生きた実践に没頭」することで結果的に乗り超えてしまっているという状況になるかもしれない。
・というわけで「最善」のためには「没頭」も大事。

その他
・多木浩二がスポーツの批評しているようなので読んでみる。

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