そもそも「結論」というものは、ないのです
極論で言ってしまうと、
世の中に「結論」などないのです。
絶対にこれが正しいとか、これが絶対の答えだ、
というものがそもそも存在しない。
その前提に立つことで、
我々は新しい地平に立つことができるのだと思います。
結論がないとは、どういうことか。
例えば資本主義と社会主義(共産主義でもいいですが)の
どちらが正しいのか?というと、答えはないのです。
すべての物事は寄せては返す波のように
偏りをくり返すものですから、
世の中が社会主義に寄りそうになると資本主義が盛り返し、
資本主義だけになるとバランスを崩しておかしなことになる。
今はこの状態だというだけですね。
永遠につづく正しいシステムなど、もともとないのです。
今は資本主義がいき過ぎて地球そのものを破壊するレベルになったので、
逆向きの力が必要になっているだけです。
重要なのは、許容の範囲にバランスを保ち続けるように
努力を重ねることなのです。
※
民主的な意思決定と、独裁的な意思決定も同じですね。
どちらの方が圧倒的に正しいということはなくて、
それぞれに長所と短所があります。
独裁が絶対的に悪いのではなく、
最高の善人が独裁者になれば、それは利己的な民衆による民主的決定より
マシな結果を生むでしょう。
けれど、前任の独裁者が死んだら、
次は極悪人がその椅子に座るかも知れない。
また、人間は権力を握ると豹変するという場合もある。
そんな歴史を積み重ねた結果、民主的な方がまだマシで、
ただしそれを正しく機能させるのは、民衆がちゃんと考える必要がある
という条件がつくわけですよね。
このような
「結論はない」「ただ判断の結果としての状態だけがある」
という視座はとても重要だと思っています。
人類の歴史を振り返っても、
永遠に続くことはないというルールはどうやらあるようですから、
どんな悪政も、あるいは良い状態も、いつか必ず終わります。
それを理解して、振幅の幅をできるだけ小さく抑えるという意識で
社会をコントロールしようという考えが重要なのですね。
それぞれの人が意見を持つこと、自分も意見を持つことは重要です。
私も意見を持っています。
だからといって、別の意見を淘汰しようとしてはいけない。
いちばん良くないことは意見がひとつだけになってしまうことと、
誰も意見を持たないことです。
これらはどちらも同じだけ最悪であると考えられます。
様々な意見の人が綱引きのように綱を引っ張り合いながら、
どちらか一方に極端に引き寄せられることを防ぎつつ
毎日を積み重ねていく。
これが人の営みというものだと思うんですね。
※
現代を生きる我々は、いつのまにか資本主義のスケジュールに合わせて
短期的な目標を達成することになんの疑問も抱かずにいます。
四半期とか、株価の推移とか。そういうものですね。
しかしひとつはっきりしているのは、
そんなものは空想に過ぎないということです。
人類が下手をすれば命より重要視している経済的繁栄とは、
実は人間以外にはまったく関係のない、
いやむしろ害悪となるものなんですね。
その動かしようのない現実を、いつも頭の片隅に置いておくべきです。
そうすれば、我々はもっと客観的な意識のものとで
この星の上で行われている「経済」というゲームに
参加しているだけだと思えるかも知れません。
こんなものは架空の価値に過ぎず、物事の本質ではないのです。
気づいた上で参加するのと、何も知らずに参加するのとでは
まったく気持ちがちがってくるでしょう。
今、資本主義は曲がり角に立っています。
産業革命以来、猛烈に発達してきたこの仕組みが、
寿命を迎えつつあるのです。
多くの人がそれに気づき、新しい生き方、暮らし方を模索し始めています。
バランスが崩れている場所は、えもいわれぬ居心地の悪さがあるはずで、
その嗅覚に従って居心地のいい生き方を
クリエイトすればいいのだと思います。
そういう時代が必ず来ますし、
それは一部の変わった人だけがすることではなく、
また新たなアンバランスが生まれるまで、
今起きているアンバランスを是正する方向で伸び続けるのだと思います。
我々はある結論を出すために生きているのではなく、
ただバランスを保ちながら毎日を積み重ねているだけなのです。
その事実がわかると、世の中の見え方は変わってくるはずです。
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