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「財源論と憲法改正論はつながっている」説

日頃、いろいろな本を読んだり、
ドキュメンタリーを見たりするのですが、
何気なく知った別のジャンルの情報が、
頭の中で重要な役割を果たすことがよくあります。

今日はそんな話をしたいと思います。

本当に、つい先ほど私の頭の中で起きた
非常に画期的なことを題材にして。

これから書くことは私の私見なので
「陰謀論」に見えるかも知れませんが、
あくまでも思考実験だと思ってください。

皆さんは積極財政という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
コロナ禍をきっかけに最近では割と世界中で注目されていることで、
簡単に言えば国が財源を税金だけに頼らず、
通貨発行を行って積極的に財政支出を行なっていく、というものです。

ものすごく簡単に言えば、国民が苦しかったら、
お金を刷って配りましょう、ということです。

日本でも、そもそもアベノミクスは三本の矢、なんて言って、
「異次元の金融緩和」「積極財政」「成長戦略」を掲げていました。
結局、実行したのは「異次元の金融緩和」だけだったのですが・・・

で、「積極財政」というものを政治家がやろうとすると
圧倒的に反対してくる組織があるんです。
それが「財務省」なんですね。

皆さん、財務省ってご存知ですか?
昔は大蔵省と呼ばれていた組織で、数ある省庁の中でも
トップのエリート集団が財務省だと言われています。

例えば、財務大臣だった麻生太郎さん。
あの人、自民党が下野していたときにはメディアの前でも
「財政赤字はお金を刷って返してしまえばおしまいだ」
と公言していました。

それなのに今ではコロナ禍で国民が経済的に困窮していても
消費税を下げる気はないの一点張りですね。

どうしてここまで国民の苦しみを無視できるのでしょうか。

コロナ禍では一律10万円の給付がいちどだけ実施されましたよね。
そのときも、麻生太郎は「貯金に回ってしまって使われなかった」
ということを理由にして、それ以後の給付を頑なに拒みました。

一度の10万円給付で、約12兆円かかります。
あと3回やったらあと36兆円かかりますが、
政府はコロナ対策として追加した予算を30兆円も余らせたのです。

あと3回、合計4回の10万円給付は、できない話ではなかった。

想像してみて欲しいのです。
全部で40万円手元に入ったら、さすがに使いますよね。
日本全国の規模で見た時、48兆円のお金が国民の手に渡ったら、
経済はどう考えたって元気になるはずです。

これはまちがいなくそうなるでしょう。
でも、それをやらなかった。
そこには何か「狙い」があるはずなんですね。

国民を豊かにさせたくない理由が。

戦後の高度経済成長のあと、赤字国債の発行が始まってから、
ほんの数年間だけ、国債を発行しないときがありました。
それはあのバブルの時です。
銀行が貸し出すお金だけで、使いきれないほどお金が溢れていた時代です。

国債がいらないとは、ああいう状況なんですね。
つまり、異常な状況です。
そして、財務省がそんなことを望んでいるわけでもないでしょう。

もちろん日本には財政法という法律があって、
財政規律を保たなければいけないと決まっているので、
財務省はそれを死ぬ気で遵守しようとしている、と解釈できなくもない。

けれど、戦後すぐにできたその法律が
現代の経済状況とあっていないなら、法改正すればいいだけです。
けれどそれもしない。そこに何かがあると思われるのですよね。

私はそのことを考えていて、いくつかの理由にたどり着きました。
ひとつには、お金の機能の側面です。

お金には買い物をスムーズにさせる「交換機能」
将来に使うときのためにとっておく「価値保存機能」
ものの価値を相対的に決める「価値尺度機能」
という三つの機能があると言われています。

しかしそのほかにあと二つ、あるんですね。
お金がお金を増やすという「資本機能」と
他者を自分の思い通りに動かすための「支配的機能」です。

あとの二つの名前は、私がつけました。
資本機能は、まぁ、ご存知の方はご存知でしょう。
お金を元手にお金を増やす金融経済のことですね。

支配的機能というのは、とても面白いのです。
「お金の力を使って他の人を従わせる」という機能なのですが、
このときの「お金の力の強さ」というのは、
そのときの社会と経済の状況によって変化するのです。

具体的に言えば、みんながある程度お金を持っていると、
社会が個人の自由を認める余裕ができ、
お金の支配力が弱まる。

皆がお金がなく、生活が苦しくなると、
社会は殺伐とした雰囲気になっていき、
お金の支配力は強まります。

他者を自分の思い通りに動かす、というのは、
国家が国民を思い通りに統治する、
ということと重なる部分が大きいですね。

例えば、豊かな東京に原発がなく、
産業があまりない田舎にばかり原発があるのはなぜでしょうか?
お金の力に他なりません。
もし生活に十分なお金があったなら、誰も身近に原発を建てることを
受け入れたりしないでしょう。

・・・ですよね?

国が思い通りにやりたいことをやるには、
国民が簡単にイエスと言うしかない状況をつくるのが早い。
そのためには「生きぬように、死なぬように」という言葉があるように、
国民に余裕を与えてはならないのです。

もちろん、しっかりと説明して主体的な判断を求める、
というほうが誠実なやり方だし、誰もが課題を自分ごと化した方が
実質的な解決としての力は強いのですが、
日本はずっとそういうやり方をしない国でした。

国民を信じていないのでしょうね。
おバカさんだと思っているのです。

だからつべこべ言わずに上が決めたことを断行する。
残念ながらそういう国なんですよね。
歴史が証明していますが・・・

まぁ、そういうことを環境的に整備するためにも、
国民には主体性を持たせず、深く考えさせず、
言いなりになるように仕向けるというのがとても重要で、
そのためには豊かにさせてはいけないんですね。

この力学と同じことが、国の中枢でも働きます。

財務省という省庁は国のお財布を握っています。
つまり、どんなことも財務省が了承しなければ実施できない。
その事実が、財務省の地位と権力を不動のものにしています。

しかしそれも財源には限りがある、という前提があるからですね。
財源はいくらでもある、ということになれば、
財務省がノーという必然性がなくなってしまいます。

つまり、財務省の権力を維持するために、
お金の支配的機能を強めておきたいのです。

もうひとつには、自民党という「世襲議員」による政党が、
日本を明治時代に回帰させたいという思いがあることです。

なかなか理解していただきにくいことですが、
まぁ、事実なので、読んでみてください。

これは日本の近代史に根深く残っていることですが、
今でも日本の政治というのは山口県や九州の人間たちに
かなり牛耳られていますね。

これはつまり、明治維新のときの維新政府の力が
今でも強く残っているということです。

彼らからすると、日本という国は、
薩長が決死の覚悟で幕府に戦いを挑んで作った薩長のものであって、
それが第二次大戦に負けたことでアメリカによって主権在民、
つまり国のオーナーが国民にされてしまったことが不本意なわけです。

彼らの中には国家の支配層と支配される国民の間に
大きな隔たりがあるという思想があり、
本来、国は支配層のものであるという思いがある。

それはそうですよね。
明治維新という日本の歴史を変える一大決戦をやったことは確かです。

しかし、その後、GHQが入り込んできて、
国を自分たちの手から取り上げて国民のものにし、
平和憲法を押し付けていった、という感覚も、ここからきているんですね。

日本国憲法はGHQに押し付けられたものであって、
日本には日本人が作ったオリジナルの憲法がある。
それが大日本帝国憲法だ、というわけです。

そのことは、自民党が下野していたときに作った
憲法改正草案をよく読んでみれば明らかです。
自民党は天皇を国家元首に戻し、国民の個人の尊重をやめたいのです。
平和主義、主権在民、基本的人権の尊重をやめたいのですね。
そんな考え方は西欧のものであって、
敗戦を機にむりやり飲まされたのだと。

森友学園の一件も、
もとはと言えば籠池さんの教育方針が明治日本のそれであって、
天皇のために命をささげよという教育勅語を子どもたちが暗唱するという
その光景に安倍晋三が共感したと言われていますよね。

安倍昭恵が「素晴らしい教育方針だ」と言っていたことも。
そういうことなわけです。

最近、選択的夫婦別姓に自民党だけ反対していますね。
こんなルールを法制化したら、
明治政府が作った家長制度(明治時代に意図的に作られたものです)を
二度と復活できなくなるからです。

家長制度は、お父さんがいちばん偉いから、
家族を大切にして、お父さんのいうことを聞きなさい、
というものです。
そして、国家はひとつの大きな家族であり、そのお父さんが天皇であって、
いざとなったら、天皇のいうことを聞いて命を差し出しなさい、というのが
先ほど出した「教育勅語」なんですね。

家長制度と教育勅語はつながっていて、
両輪となって国民を統治し、
皇国国家の兵士にすることを意図したものです。

信じられますか?
でも本当なんですよ。

自民党が望んでいる社会は、そこへの回帰です。
そんなものは、これからの世界の潮流の正反対なのですが、
(だから日本は国連から何度も怒られているんですよ)
彼らはそれを実現するために、国民を無思考にさせたいんですね。

麻生太郎が憲法改正について、
かつてドイツで、民主的なワイマール憲法が
いつのまにか無効化されたことを例に、
「ヒトラーの手口から学んだらどうか」と発言したことは有名ですが、
彼らの思いはそこに厳然とあるんですね。

その思いが、もうひとつの鍵なのです。

それでも私の中で謎だと思っていたことは、
財源論と自民党の思想が、どう関連しているのか、
なぜ政治家がこんなにも簡単に財務省に丸め込まれるのか、
ということでした。

そこにも何か理由があるはずですよね。

ひとつには、財務省には国税があるということです。
かつて自民党の大物、
金丸信が大蔵省を敵に回してしまうような動きをしたときに、
国税が動いて金丸を一気に失脚させたということがありました。

そのことが国会議員の中では語り草になっているようで、
財務省だけは敵にしてはいけないと言われているようです。

今回、モリカケ問題でも近畿理財局の職員の方が自殺されています。
そのことを財務省も「もみ消し」の方向で動いているのは、
明らかに「いつでも真実をバラせますよ」という
貸しを作っているわけですよね。
そうやって財務省は財務省で政治家にプレッシャーをかけている。

そういう構図が存在すると想像されます。

安倍晋三が財務省に対してどんどん非力になっていったのも、
そういうことが関係しているのかなと感じていました。
でも、それだけではないはず。

ずっとそう思っていました。

ここまで長々と前段を読んでくださってありがとうございます。
今日の主題は、実は、ここからです。
・・・といってももう長くは書きませんが。

今日、何気にYouTubeで関西学院大学の環境経済学の朴勝俊先生が、
グリーンニューディールを説明する動画を見ていたのですが、
そこでハッとするようなことがあったのです。

緊縮財政で国民の生活が苦しくなると、ギリシャの「黄金の夜明け」や、
「ドイツのための選択肢」「フランス国民戦線」などの極右組織が生まれ、
生活が苦しい人々が票を投じてしまうという政治状況が出てきた、と。

つまり、「緊縮財政は市民の右傾化を促す」ということなんですね。
この言葉が私の中での埋まらないパズルのワンピースとなったのです。

財務省が政治家に耳打ちするとして、いったい何を語るのか。
それが「我々を敵に回すと怖いですよ」だけで通じるのか。
ずっと謎だったのです。

けれどそのときに
「憲法改正したいんですよね? 明治の日本に戻したいんですよね?」
ということなら、利害が一致してよくわかる。

日本を明治期に戻すということは、
イコール国民を右傾化させるということです。
だから「国民を苦しめておかないと、悲願が成就できませんよ」と。
そういうことなんですね。

お金に余裕があったら、みんなもっと困った人を思いやったりするし、
中国や韓国を必要以上に敵視しないし、
平和にみんな繁栄できればいいよね、と思うはず。

しかし、そのような考え方は、
明治時代の日本からはどんどん離れていってしまうわけですね。
だから、給付金も出さないし、積極財政もやらない。
それで多少国民が死のうとも、自らの立派な大義の前では
まったく意に介す必要はないのです。
なんといっても、「若者が血を流す」とか、
そういう話が好きな人々ですから。

いやぁ、謎が解けました。

いま、選挙を終えた日本の政治は
憲法改正に向けて急激に進んでいく気配があります。
しかし、そこには国民投票という最大の壁があります。

それは自民党にとっても、我々国民にとっても最大の壁です。
私たちひとりひとりが、
どれくらいちゃんと考えられるかが問われています。

言わんとしていること、わかりますね?
右傾化に注意してください。生活苦から、無意識に起こります。

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