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通貨の信任とは? 経済学者のどこがまちがっているのか

私は気候変動に関しては
気候科学を研究している科学者の意見を信頼します。
それは「科学」だからです。

私のいう「科学」とは、例えば自然の中で起きている現象を
実験や研究、分析によって客観的に解明しようとする学問のことです。

しかし、経済学に関しては、
経済学者や経済の専門家と名乗る人の意見を鵜呑みにしはしません。
なぜなら経済は人が頭の中で作り出したものであって
決して自然現象のようなものではないため、
研究者や専門家の恣意性が高く反映されすぎるからです。

言ってみれば「宗教」にちかい。
「それはなぜ?」を問い詰めていくと、
最終的には「そう信じているから」にいきつくわけですね。

もちろん、そんな中で、現実に起きている現象を
客観的に捉えようとする学者や専門家もいますので、
そういう態度の人の意見は聞く価値があると思っていますが、

今までの人間の歴史を振り返ると経済は失策を繰り返しているわけで、
だとすると経済学者たちは心からこの現実を反省し、
検証し、誤りを正していく態度を持って当然なのに、
そういう人があまりにも少ないと思うわけです。

まぁ、つまり、多くの経済学者は、経済をある意図を持って動かすために、
自説を説いているわけなのですね。

こんな言い方をすると、まるで「陰謀論」みたいですが、
そういうわけではありません。
人間とは、その程度の生き物に過ぎない、という意味です。

ほとんどの経済学者や専門家が
科学的には偽物なのではないか?という話はさておき、
今日はそのような学者たちが声高に叫ぶ「財政破綻論」と
「ハイパーインフレ」について、
ものすごく面白い視点から切り込んでみたいと思います。

今まで興味がなかった人も、できれば読んでみてください。
可能な限り、わかりやすく、
読み進めたくなるようにがんばって書いていきます。

そもそも財政破綻論とは何か?
国が借金をつづけると、いつかは国家が財政的に破綻するよ、ということです。
もう借金が返せなくなって、お手上げになる、ということですね。

もうひとつ、その象徴的な出来事として
「ハイパーインフレ」があります。
これは短期間に物価がありえないほど異常な勢いで高騰することで、
通貨が紙屑になってしまう現象です。
具体的には1日の間に百円のパンが1億円になる。
そんな現象で、現実に起きたことが何度かあります。

先日、テレビのニュースで経済評論家の藤巻健史さんという方が、
ハイパーインフレがなぜ起こるのか、ということについて、
経済の現実を正しく説明する学者のひとり、森永卓郎さんに対して、
こう語っていました。

「森永さんがまちがっているのは、
 ハイパーインフレが受給のバランスが原因で起きたと言っていることだ。
 ハイパーインフレは、政府の債務超過が起きた時に起こる。」

政府の債務超過、というのは、政府が借金を返しきれなくなった時、
ということだと思ってください。
今、日本政府は1100兆円もの「借金」があると言っています。

借金大王です。

もちろんこれはある日突然そうなったのではなく、
1975年から少しずつ借金をして、その類型が今や1100兆円になったのですが、
まったく財政破綻は起きていない。・・・ですよね?

番組の中で前述の藤巻さんの意見に対して森永卓郎さんは、
そうであれば日本はすでにハイパーインフレが起きていなければおかしいし、
藤巻さんは、この意見をもう20年も言い続けているのに
ハイパーインフレは一向に起きない、と主張しました。

ここから、少なくとも言えるのは、
藤巻さんの自説、「政府が債務超過になるとハイパーインフレになる」は、
今のところ現実を説明できていないということです。
それはこれから起こるのかもしれないし、
何か別の条件が加わった時に起こるのかもしれないけれど、
今のところは、現実を説明できる意見ではない、ですよね?

さて、この二人の間に起きている食い違いはなんでしょうか。

私が気づいたのは、
この二人は判断基準となるモノサシそのものがちがうのです。
だから、根本的な議論が成立していない。

そのモノサシとは、「お金の意味」というもっとも根源的な部分です。
お金の意味というものは、時代の流れの中で少しずつ変化しています。

どんなふうに変化しているか?
それは「みんなが、お金をお金だと信じる強さの変化」です。

ハイパーインフレはなぜ起こるのか。
それは需給のバランスの大幅な狂いから、ではないとしましょう。

それは、政府の債務超過によって起こる。
すなわちお金を「借金」という形で刷り過ぎたことによって、
それを返せなくなることが原因だとします。

そもそもお金がたくさんありすぎることで、なぜ不都合が起こるのでしょうか?
そこを考えてみましょう。

よく、お金を刷りすぎることによって、通貨の信任が損なわれる、と言います。
なぜでしょうか?

人間の歴史の中で、確かにお金を刷り過ぎて、
ハイパーインフレが起きたり、その結果財政破綻したりしたことがあります。
それは「通貨の信任」の問題なんですね。

「このお金、本当に大丈夫なのか?」ということです。

なぜ、そんなことが起きたのか、順を追って説明しましょう。

昔、お金は金貨や銀貨でしたよね。
それは価値を持つ金属そのものでお金をつくっていた時代です。
けれど、金貨や銀貨は重たいし、たくさん持ち歩いていると危険です。
そこで金貨や銀貨の代わりとなる「紙幣」、紙のお金ができたのですね。

しかし、この紙切れが本当に金貨と同じ価値を持つと、
どうして信じられたでしょうか。

それは「兌換紙幣」だったからです。
兌換紙幣とは、その紙のお金を銀行に持っていくと、本物の金貨と交換してくれたのです。

本物の金(ゴールド)と交換してもらえるということが、
紙幣を信頼する根拠だったのですね。

しかし、兌換紙幣は発行できる量が、
天然資源である金(ゴールド)の量に制限されてしまいますよね。

けれど、資本主義経済が発展し、多くの人々がどんどんお金を使うようになると、
社会にもっとお金が必要になります。
そこで、銀行が、実際に持っている金(ゴールド)よりも多くの紙幣を
発行するようになったのです。

ここ、重要ですよ。

実際に持っている金より多く、紙幣を刷ってしまった。
先ほど書いたように、紙幣の信頼は本物の金貨と交換できることでしたよね。
すると人々はこんなことを考えるようになるのです。
世の中にこんなに紙幣があるってことは、これは金(ゴールド)と
交換できないんじゃないのか?

あの銀行に、そんなに金(ゴールド)があるのか?
もし交換してもらえなかったら、この紙幣は紙屑になってしまうじゃないか!

そういう不安に駆られた市民が、紙幣を金(ゴールド)に交換しようと
一気に銀行に押し寄せてきました。
そして紙幣を兌換できなかった銀行は破綻した。

そういうことがあったのです。「取り付け騒ぎ」というものですね。

紙幣を刷りすぎると、通貨の信用がなくなるというのは、
この時代にできた考え方なのですね。いいでしょうか?

つまり兌換紙幣という制度では、
経済規模が大きくなって、たくさんの人がお金を必要とするような
大きな経済社会に対応できませんよね。

そこで、金兌換制をやめることにしたのです。
これからのお金は金(ゴールド)と交換することはしません、ということです。

では、何がその紙切れがお金として本当に価値があるのだ、という
信用の根拠になるのでしょうか?

それは「国が発行しているから」ということです。
いま、通貨の信頼はお金を剃った量ではなくて、その国が信頼できる国か、
ということに依拠しているということなんですね。

でも、金兌換制の時代のアタマのままの人が、いまでもたくさんいるのです。

いま、紙幣を金(ゴールド)と交換できると思っている人はいません。
よね?(もちろん買うことはできますが)

それは「お金をお金だと信じているから」です。
あまり信頼の根拠まで考える人はいないでしょうが、そうなのです。
むしろ、信頼の根拠を考えないほど、信頼しきっている、ということですね。

ここで気づいて欲しいのです。

時代の変化についてです。
少し前まで「紙幣」への不信感があった。
これは本当に価値のある紙なのか?という問題です。
ちゃんと金(ゴールド)と交換できるものなのか?ということ。

しかし、金兌換制度をやめて「紙幣そのものがその金額分の価値である」
ということを浸透させることによって、
国が発行した紙幣を疑う人はいなくなった。

そして、それを通り越えて、今ではその紙幣さえも使わなくなっているのです。

これはどういうことか?
みんなが「お金」をなんの疑いもなく「お金」として信頼している度合いが
より強くなっているということなんですね。

だってデジタル上の数字を本当のお金として信じて、
実際に商取引をガンガン行っているのですから。

何が言いたいか、というと、「通貨の信任」の意味は、
時代とともに刷新されなければならない、ということです。
今でもお金を発行しすぎると通貨の信任が落ちると思っている人は、
考えが兌換紙幣のころのままなのです。

ハイパーインフレが通貨の信任の毀損で起こるなら、
通貨の信任の毀損はどんなときに起こるのかを考えるべきですね?
少なくとも、世の中の人々が、通貨の信頼性と、
その通貨の発行量は無関係である、という常識を持っていれば、
お金を増やし過ぎたことでハイパーインフレにはならないはずです。

するとハイパーインフレは需給のバランスが大きく崩れたときにだけ
起こる現象ということになっていきます。

では、通貨の信任が毀損されるとしたら、
それはどんなときでしょうか?

通貨の信任が毀損されるとは、
その通貨がお金としての意味を持たなくなるとか、
その意味を保持する能力が不安定になるということです。

それはどんなときに起こりますか?

それは軍事クーデターが起こるとか、
市民が決起して武力で政府を倒そうとするとか、
その国そのものの存亡が危うくなるような状況ですね。

日本政府が1100兆円もの借金を抱え、
それでもさらに国債を発行してお金を増やそうとしているのに、
なぜ日本は金利が全く上がらず、ハイパーインフレも起こらず、
財政破綻する予兆すらないのか?

これは、国家の存在が安定しているからですね。

財政破綻が起こるの理由として、こういう説明もあります。
いま、日本の国民が持っている資産の合計が1800兆円あるらしいのです。
これはつまり1800兆円のプラスのお金が日本にあるということです。
で、国の借金の金額がこの資産額を超えると、
借金が返せなくなって財政破綻する、というものです。

なるほど、これもまた「それっぽい」ですよね。

実際には国の借金が増えると、それがそのまま国民の資産となるので、
借金が資産を超えることは物理的にあり得ないのです。

年の差のある二人の人間がいて、
この二人の年齢差が永遠に縮まらないのと同じように、
国の借金が国民の資産を抜くことはない。
少なくとも円という自国通貨を持つ日本では、あり得ないのです。

なぜなのか?
これは「借金」ではなくて「通貨の発行」だからなのです。
誰からも借りていないものを、返す必要はない。
そういうことですね。

もし今、1100兆円の自称・借金を全額返済したとすると、
借りていないものを返すということは、存在を消すということ、
つまり償却ではなく焼却することですから、
国民が持っている1800兆円の資産が700兆円に減る。
そういうことです。
いちど発行した通貨を、なかったことにする、ということですからね。

みんなが貧乏になるということです。

さて、先ほど、取り付け騒ぎの話をしました。
この銀行は破綻するのでは?という不安に駆られた人々が
本当に銀行を破綻させてしまうという現象でした。

信用と不安のパワーバランスが崩れると、
一夜にして破綻やハイパーインフレは起こる。それは可能性としては事実です。

しかし、そのバランスが崩れる理由はなんなのか?ということですね。

何を信頼の指標にしているのか、ということ。

それがお金の発行量だった時代は確かにあったのだけれど、
いま、現実にそれが起きていないということは、
自国通貨(と変動相場制)を持ち、政情が安定した国では、
通貨の発行量で信頼が失われることはないというモノサシが
すでに醸成されているということであって、
その現実に目をやることこそが、経済を客観的に判断する専門家の役割でしょう。

取り付け騒ぎの例を見れば、専門家が「財政破綻が起こる」と言い煽ることで
財政破綻が本当に起こる可能性が高まるわけですが、
それでも起きていないということは、
専門家と称する方々の思考回路が、いかに現実から乖離して遅れているか、
ということを如実に示している、ということなのです。

人間の歴史は繰り返しません。積み重なるのです。
同じ条件なら同じことが何度でも起こる、という考えは、
物理現象の場合には言えることですが、
人間活動には「経験」や「記憶」の影響が加味されるべきです。

かつての取り付け騒ぎ現象を総括し、
仕組みをちゃんと分析できれば、常識は塗り変わっていく。

それが天動説から地動説への転換なのですよね。
これから、社会の常識は加速度的に変わっていくでしょう。

経済学者、経済評論家の皆さんには、
これからもご飯を食べるために、早期の転向をお勧めします。

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