妊婦とラジオ

2019年の2月、妊娠が発覚した。当時、私は33歳。結婚して3年目にようやく授かった命だった。それまで積極的に妊活を行なっていなかったものの、なかなか簡単に授かるものではないことを体感すると、異様に焦るようになっていた。やっと私達のところに来てくれた赤ちゃん。なんとしてでも産まなくてはと決心し、私はパートで働いてたパン屋を即効辞めた。絶対に安静にして過ごそうと心に誓った。

しかし、仕事を辞めてみるとただただ暇な時間だけが残った。悪阻の時期はただソファでぐったりと過ごすしか無かったが、その時期も過ぎると1日をどう過ごして良いのか分からなくなった。実家は遠く、結婚して東京から地方に越してきた私は周りに友達がいなかった。1人で過ごすのは好きだったが、妊娠していると思うと無暗に出かけるのも怖くなり、家で過ごす時間が圧倒的に増えた。

ラジオを聞こうと思った。それまでは、お気に入りの番組しか聞いてなかったが、もうこの際、面白そうなものは全部聞こうと決めた。radikoプレミアム会員万歳。エリアフリータイムフリー最高。
そこから私は、
「アルコ&ピース D.C.GARAGE」
「星野源のオールナイトニッポン」
「Creepy Nutsのオールナイトニッポン0」
「うしろシティ 星のギガボディ」
「山里亮太の不毛な議論」
「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」
「ハライチのターン」
「おぎやはぎのメガネびいき」
「岡村隆史のオールナイトニッポン」
「バナナマンのバナナムーンGOLD」
「三四郎のオールナイトニッポン」(2部時代も)
「エレ片のコント太郎」
「オードリーのオールナイトニッポン」
「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」
を聞いた。
人生のどの時期よりもラジオを聞き倒していた。
妊娠中、ずっと不安だった。
ずっとずっと怖かった。
夫はとても優しい人で、いつも気にかけてくれてはいたが、それでもずっと孤独な戦いをしている気分だった。自分の体の内臓の中に命があると言うこと。自分が食べたものがその命に直結すると言うこと。自分が精神的に不安になれば、この子の発育に影響を与えるのではないかと思うと、不安になることすら許されない気分だった。
それでもやっぱりやってくるのだ、出産は。人生で一番痛い思いをしなくてはいけないのだ。ただただ恐怖だった。何かあったらどうしよう。何もなくても無事に産めるんだろうか。何よりも今現在お腹の中の子は生きているんだろうか?

常に頭の中は赤ちゃんのことでいっぱいだった。お腹が大きくなればなるほど、意識せずにいられなかった。私は頭の中の自分の声から耳を塞ぐ為に、常にラジオを聞いていた。ラジオだけが救いだった。

寝つきは良かったはずなのに、妊娠した途端に眠れない夜が増えた。布団に入って、夫の寝息が聞こえてくるとたまらなく不安になった。イヤホンをつけてiPhoneのradikoを起動すると、誰かの声が聞こえてきた。JUNKやオールナイトを聞くと安心した。良かった、この時間に起きてる人がいる。そばにいてくれる人がいる。笑い声が聞こえてくると気持ちが和んだ。大丈夫だよって言ってもらえてる気がした。時々動くお腹の赤ちゃん。もぞもぞくすぐったいよ。
重たいお腹をさすりながら、上柳さんの声が聞こえてくるまで、一晩中ラジオを聴き続けた夜がいくつもあった。


11月の初め。
陣痛が来て病院に向かったが、破水しても微弱陣痛が長時間続き、吸引機を使った。ベテランの看護師さんや男の先生がお腹をぎゅうぎゅうと押した。いきんではいたが、自分で力を出してるのかどうかわからないぐらい憔悴しきった状態の中で、ようやく産まれてきてくれた。初めて声が聞こえた瞬間、涙が出た。
大量の出血と癒着胎盤があった為、私はそのまま救急車に乗せられて近くの大きな病院に運ばれて手術を受けた。
生まれて初めての出産、生まれて初めての救急車、生まれて初めてのICU。
産院に戻り、赤ちゃんに会えたのはその2日後だった。とても可愛かった。
母子同室の病院では無かったので、夜は1人で過ごした。劇的な数日間を過ごした末に、私はまたベッドの中でラジオを聞いていた。
聞き馴染んだ声。くだらない話。しょうもないやりとり。おかしなメール。聞こえてくる笑い声。

ありがとう。
私、産めましたよ。
身体ボロボロだし、歩くのもやっとだし、自分でもどこがどんな状態なのか分からないぐらいなんだけど、乗り越えられました。
あなたの声が夜を越えていく間に。

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