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ワニとブルドッグ

昔から感情を表に出すのが苦手だ。周りの人にどう思われてるかは分からないけど、普段から能面みたいな顔をしてるんじゃないかと思う。

職場の先輩がおやつにケーキを買ってきてくれたとか、パート先の店長がお土産をくれたとか、そういう偶発的に好意を受け取る状況になるとどうしていいかわからなくなることが多い。美味しいものをいただけるのは嬉しいし、特に深い意味はないのだと分かっていても、大きく喜んだ方が良いんだろうな、とか、今のリアクションじゃ小さかったなとか考えてしまうので、出来れば何も受け取りたく無いと思ってしまう。貰っても自分は十分に返せる気がしないし、そうなると相手との関係性が公平じゃなくなるようで居心地が悪くなってしまうのだ(友達とか関係性が近い人と贈り合うのは好きなので一概には言えないが)。


どうしてこんな気持ちになるのかな、と考えた時にいつも思い出すことがある。
小学1年生の時、クラスの中で誕生日にはその子の家に友達が招かれてパーティーを行う流れができていた。私も数名の友達の家に招かれた後に2月の誕生月がやってきて、自宅でパーティーが開かれることが決まった(招いてもらった以上は、自分達も招かないといけないと言う親の都合の方が大きかったと思う)。両親はそれなりに張り切っていたのだろう。当日友達と遊べるようにと、ある日突然おもちゃを大量に買ってきたのだ。

買ってきてくれたおもちゃの中に、口を大きく開けたワニの歯を押していくと突然噛み付いてくるという物と、眠ってるブルドックの前に置いてある骨を一つ一つ取っていくと突然起き上がって吠えてくるというおもちゃがあった。いわゆる黒ひげ危機一髪のようなロシアンルーレット的なパーティーゲームなのだが、6才の私にはそれがとてもとても怖かった。睨みを効かせたワニとブルドックを見て泣きたくなったし、ドキドキしたりびっくりすることが楽しいとは到底思えなかった。私の顔は曇り、どうしてこんな物を買ってきたのだろうと俯いていた。誕生日パーティーそのものが憂鬱になっていた。

意気揚々とおもちゃを披露した母は思っても見ない反応に、「せっかくお前の為に買ってきたのになぜ喜ばないのだ」と顔を真っ赤にして怒鳴り、泣いた。自分はたくさんのおもちゃを貰えてとても贅沢な思いをしてるのに、母の思うように喜べなかったことを申し訳なく思った。いつもヒステリックに怒る母の顔色を伺って暮らしてた私は、ぎこちなく、ごめんなさい、嬉しい、ありがとう、と言った気がする。
本当は、私がわがままだから喜べないんじゃなくて、ワニに噛まれるのが、吠えてくるブルドックが、泣きたくなるぐらい怖いのだと言いたかった。あの時素直にそれを口に出せていたら、母は笑って抱きしめてくれただろうか。

誕生日パーティー当日、友達がワニとブルドッグでわいわい遊んでくれている後ろ姿を見て、ほっとしていた。その日以降は自分の目に入らないように、タンスの奥の奥に厳重に閉まった。

人の好意に自分は上手く答えられないと思ってしまうのはあの出来事が強烈に蘇ってしまうからだな、と時々思いだす。嬉しいなら嬉しいと、せめて自然に素直に笑って言えるようにはなりたいな、といい加減いい大人になった今でも思ってる。

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