いなくなった君へ

母のお腹の中にいた頃、私は男だと思われていた。
周囲から男の子を産むよう念を押されていた母は、性別はどちらでも良いと思いながらも、どこかで期待していたのだと思う。ただ、会う人会う人みんなに「この子はきっと男の子だね」と言われる為、そうに違いないと思うようになったらしい。産着やら布団やら、男の子に合わせた水色のベビー用品を買い揃えたところで、生まれてきたのが女の子の私だった。

母には、若い頃から懇意にしている占い師がいた。物心ついてからその人に会った時に言われた言葉を覚えている。
「あなたはお母さんのお腹の中に、おちんちんを忘れてきたんだね」

こういうエピソードは、幼かった頃に親や親戚が面白がって何度も話してくるので鬱陶しく感じていたが、心の中では嫌な気持ちはしていなかった。男の子だったら、親は岳海と名付ける予定だったと言っていた。岳と海。山も海もある、私が産まれた町を表しているようで格好良い、と思った。
私は母のお腹の中でおちんちんがついてる岳海だったはずなのに、うっかりそれを置いてきてしまった。私は岳海だけど岳海じゃなくて、でも私の中に岳海は残っている。そうした、自分の中にもう1人の異性の自分を宿した感覚を抱いて大きくなった。ふとした時に、岳海だったらどうするんだろう、岳海だったらどんな人生を歩んでいるんだろう、と考えながら。

中学生の時に女子の陰湿ないじめを目撃して以来、私はすっかり同性嫌いになった。極力女子と関わるのは避けるようになり、近所に住む同じクラスの男子とその友達とばかり遊ぶようになった。お笑い番組を見たり、漫画やゲームをしたり、競馬とかプロレスとか麻雀とか私にはついていけないものでも、好きなものについて熱っぽく話す彼らといるのは面白かった。私が岳海だったら、もっと仲良くなれるかもしれないのにっていつも思っていた。

その後、大学に入って寮に住むようになり、いろんな女の子たちと生活するようになってから私の同性嫌悪は改善された。ギャルも、地味な子も、バンギャも、腐女子も、あまりに多種多様な子達と寝食を共にしていると、女だと一括りにすることが馬鹿らしくなったのだ。意地が悪い子は意地が悪いし、優しい子は優しい。そこに性別は関係ないのだと悟った。ずっと岳海としての人生に憧れていたけど、女も楽しいかもしれないとようやく思えるようになった。

大人になって、恋愛や結婚や出産を通して、私はすっかり女として生きていた。気がつくと、私の中の岳海は見当たらなくなっている。どこに行ったんだろう。前は近くにいてくれた気がしたのに。

深夜ラジオを聴いてると、高校生の時の、猥雑な話で散々笑い合っていた頃を思い出す。あの頃、私は性別を越えた友情があると信じて疑わなかったけど、一緒に過ごしてくれていた彼らは、女である私に最大限気を遣いながら居場所を作ってくれていたんだと言うことに気づいたのはだいぶ後になってからだった。大人になってから彼らに再会しても、昔と同じように過ごすわけにはいかなかった。そこにはちゃんと男と女の線引きがあって、軽々しく越えていいものでは無かった。その時のことを思い出すと、少しだけ寂しくなる。岳海じゃなかった自分に。岳海でいられなくなった自分に。

いつの間にかいなくなってしまった岳海にお別れを言えていない。もう会えないと思うと寂しい。もっとずっと一緒に遊んでいたかった。どこに行っちゃったのかな。

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