AI時代の詩的解放に。


昨日、経済の話をしていて、アダム・スミスの『国富論』にある、このくだりのような、話をしていた。(2023 5 14 記)

必ずしも、当てはまらないに、しても、アダム・スミスの労働価値説は、倫理的な人間観によって、投じられた、というかな、一般論として、やはり通じるものはある。

「分析と感情-AIの時代に輝く労働価値説」

人の働きを
ある道徳の感情において、隣人視し、その人、その人の個体の労働の価値、あるものを見定める、新しき国富のあり方。

個体の労働価値は
文学的にしか、
文学でしか、
感情で
つつむようにしか、
当事者(的)にしか、わからない説。
新しいアダム・スミスについて。

AI社会時代の
社会の詩的な解放

バシュラール-アダム・スミス。

AI時代

合理的、計算的、
経済的な思考はある程度は、ありつつ、
スマホとかにまかせて

詩的放浪者

定義 詩的放浪ができるように。

AI時代 おまかせしつつ、

空間の詩学もまた
詩的放浪の末の美なのだ。

柄沢建築ゆえの詩的放浪、とか、
柄沢建築ゆえの純粋な哲学の時間

柄沢祐輔さんの建築だから、詩的放浪は許されたり、詩人は勝手に夢を見られたり、

我々はバシュラール-アダム・スミスにすら、なるだろう。

黒川紀章と詩的共生と新しいメタボリズム認知

メタボリズム認知自体も日々、更新されている現場である。

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