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『古代中国の24時間』

何を食べた?

 『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』(中公新書。柿沼陽平)という書物がある。
 登場した瞬間、日本中の中国史愛好家がざわついたと言っても過言ではない。
 何という面白い、何という素晴らしい本が現れたのか、と。

 突然だが、こう聞かれたら、どうするだろうか。
「今日一日、何を食べたか。日記を付けてください」。
 本編と何ら関係のないことだが、本編の趣旨がここにある。
 答えは人それぞれだが、日記にどう書くだろうか。
 たとえば、朝食はトーストとベーコンエッグ、昼はかつ丼、夜はカレーライスを食べたとしよう。その場合、こんな書き方をしたかも知れない。
「夜はカレーライスにした。ルーは中辛にした。じゃがいもは大きくてゴロゴロしている方が好きだ。肉は牛肉、これが我が家の定番。残業で腹がペコペコだったので、ご飯は少し多めになった」
 しかし、次のような書き方をした人は、おそらくいないだろう。
「夜はカレーライスにした。カレーライスは元々はインド発祥の食べ物で、イギリスを経由して日本に入ってきた料理で、たくさんのスパイスを使ったルーを使用し、肉、じゃがいも、ニンジン、玉ねぎなどを煮込み……」
「……肉はスーパーマーケットの肉コーナーで購入した。カレー用の牛肉の角切りが100グラム270円で……これらをかごに入れると、レジに並んだ。レジとは会計を行う場所のことで……」
「……食べる時には、左手で皿を押え、右手にもった金属製のスプーンでルーの乗った白米を具材と共にすくって……」
 こんなことを、わざわざ書く必要はない。
 何故か?
 一目瞭然、常識の範囲内については、書く必要性を感じられないからだ。
 人によってカレーライスの印象は異なるが、おおよそは似たようなものだろう。グリーンカレーのように特徴のあるものでもない限り、わざわざ説明する必要はない。同じように、トーストとは何か、ベーコンエッグとは何か、かつ丼とは何か、言われなくてもおおよその日本人には理解できる。だから説明する必要がない。
 同様に、スーパーマーケットでの買い方も必要性を感じない。左手で皿を、右手でスプーンを持つというのも、右利きであればわざわざ書かないだろう。左利きであっても、前もってその説明があれば、自然と逆の手で扱っていることは想像できる。だから、説明する必要はない。
 ところが、この「常識」というのは、現代日本人の常識に過ぎない。
 現代日本のことを知らない人には通用しない。

 たとえば、日本では当たり前の「食事に際に器を持つ」のは、マナー違反となる国もある。現代日本人なら、白米を食べるときに茶碗を持ち、あるいはかつ丼を食べる時に器を持つのは常識だが、それが常識でない人たちもいる。
 「音を立ててすする」というのも、同様だ。うどんやそばを食べるときに、音を立ててすするのは日本では常識だが、マナー違反とする国も多い。
 アメリカでは日本発祥のラーメン店が乱立しているが、慣れない人たちは音を立てて麺をすすることに抵抗を覚える。逆に、慣れた人たちは、音を立ててすすることが『日本通』とまで言われるほどだ。
 スープを飲む時に音を立ててすすると、日本以外では嫌な顔をされることもある。
 あるいは、現代日本では一日三食。白米が主食で、様々なおかずを共にするのが普通である。しかし、江戸時代の初期以前までは麦飯などが主食で、白米はぜいたく品。おかずは少な目の一汁一菜。一日二食だったとされている。
 現代日本人の常識は、現代日本人以外には非常識なのである。


秦漢時代の常識

 先ほど、常識だと思っていることはわざわざ書こうとはしないこと。そして、その常識は、それを常識だと思っている人たちだけの話であるとした。
 ここで質問。
 『キングダム』という戦国・秦が主役となっている漫画がある。あるいは、横山光輝に代表される『三国志』という漫画や、小説などがある。
 その舞台となった時代の、普段の食事風景を表現できるだろうか。
 何を食べていたのか、どうやって食べていたのか、箸はあったのか、フォークやスプーンのようなものはあったのか、机はあったのか、椅子はあったのか。大衆食堂はどんな様子だったのか。飲み会はあったのか。食事で誰かが奢ることはあったのか。酒はどんなものがあったのか。酔い潰れた人がいたら、どう対処したのか。従業員の待遇はどうだったのか。
 おそらく、完答出来る人はいないだろう。
 なぜなら「当時の人には常識だから、わざわざ書いたりしない」。
 同じ質問を、現代日本を題材として質問したら、個々の印象の違いはあっても、何とか答えられるだろう。
 しかし、『キングダム』の信や秦王・政、あるいは将軍や兵士たちの生活風景も時折出てくるし、必要であれば分かる限り書かれてはいるが、一般的な農民がどんな生活をしていたのか、食器や籠の素材は何なのか、どこで手に入るのか、どんな加工が施されているのかまでは、詳細には表現されない。作中での表現について語ることは出来ても、そこで描かれていないことまで説明するのは難しい。

 ありがたいことに、中国人は基本的に、何でもかんでも記録したがるという特異性がある。そのおかげで、これらの常識も記載されていれば、後世の人間でも把握できる。
 たとえば漢代であれば、庶民の食器は木製か竹製、もしくは土器か瓦器で、上流階級であれば青銅器か、漆塗りの木製の器を使っていた。
 箸や匕(スプーン)が使われたが、畢(フォーク)は廃れ始めている。茶碗は日本と同じく、手で持っていたことも分かっている。
 あるいは席の座り方、席次の決め方、食事はいつ摂るのかなども分かっている。
 ここまで書けばお気づきだろうが、『古代中国の24時間』とあるように、古代中国人が24時間、すなわち一日をどう過ごしたのかが、調べられる限り記載されている書物なのである。

 では、どうしてこれが、驚嘆させるほどの内容だったのか。
 答えは、「まとめられている」からだ。
 それまでは、いざ調べようとすると非常に困っていた。どこにそれが記述されているのかが、分からないからだ。
 礼儀作法、あるいは王朝の変遷、あるいは詩などの個別の内容は、当時の人でそれに関心を抱いてまとめてくれた書物はある。だが、普段の生活となるとそこまで関心を抱かない。
 いくら何でもかんでも記録したがるとはいえ、先ほど例に挙げたような、現代日本でなら食事の際には一般に箸を使うとか、カレーはどんな料理なのか、いちいち書き残すような奇特な人は稀だ。
 だから、どこかから情報を入手しなければならない。
 日本の例でいえば、漫画や小説や映画で描かれているとか、歌になっているとか、日記のようなもので残されているものの中から拾い出すしかない。
 同じく古代中国の場合でも、絵に描かれているとか、説話に残されているとか、詩で詠まれたとかなどの中から、拾い上げるしかない。
 もうお分かりだろう。
 「まとめられている」のだ。
 そして注記として、出典も紹介されている。


 たとえば、第4章は朝食をとる話になるが、ここで「ほんらいの朝食の時間はもう少し遅く、午前九時前後が「食時」とよばれる」とあり、注記では「『史記』巻九二淮陰侯列伝」とある。
 では、その書物のその箇所を探してみよう。
「淮陰侯韓信者,淮陰人也。始為布衣時,貧無行,不得推擇為吏,又不能治生商賈,常從人寄食飲,人多厭之者,常數從其下鄉南昌亭長寄食,數月,亭長妻患之,乃晨炊蓐食。食時信往,不為具食。信亦知其意,怒,竟絕去」
 「食時」という言葉の存在が確認できた。
 午前九時という情報はここにはないが、食生活についてまとめた書物で確認することは出来る。ここでは、「常識なので、わざわざ書いてはいない」情報になる。
 そして、この箇所の訳に注意が必要と出る。
 韓信が貧乏で、職に就くようなこともせず、食べ物を人にねだるような人物なので嫌われ、南昌の亭長(役職名)のところに寄宿していたとある。そして、亭長の妻も嫌がって、寝室で朝食をとっていたので、韓信が「食時」に(食堂へ)行っても食事が出来なかったとある。
 これは単に「食事をしたい時に行っても」ではなく「食事の時間に行っても」となる。食事の時間がきちんと決まっているのだ。
 日本でも、「お昼時」という言葉を使う。「お昼時は食堂が混雑する」という言葉には、単に昼(午前11時頃から午後1時頃)の時間帯というだけでなく「昼食を摂る時間」の意味も含む。また「お昼にする」という、昼食を摂るという意味で当たり前のように使われているものの、よくよく考えると言葉が不足していて文法的にも意味が不明に感じる言葉もある。
 現代日本でも家によって朝食や夕食の時間を決めている場合もある。亭長の家でも時間が決まっていたのだろう。それ以外の時間に行ったところで「食時」ではないと断られるだけだから、韓信も怒って出て行ったという内容になる。


 「秦漢時代にタイムリープしてきた作者が一日を過ごす」物語として、その時に起こる事柄についての説明を行いながら、根拠となる言葉や歴史上に起きた似た事例がどこの文献のどの箇所にあるのかを注記として示してくれているというものになっている。
 いわば、外国のことを文化的あるいは歴史的側面だけで書いたものよりも、実際に歩き回った人が書いたものに近いのかも知れない。
 だから、その風景が浮かび上がり、身近に感じられるのかも知れない。
 あくまでも新書であるという点だけは注意が必要となる。専門書ではないことや、話の流れやページ数の都合上で省かれている内容もあるだろう。
 ただ、これをきっかけに、歴史を探ることは出来る。
 少なくとも、秦の始皇帝や漢の劉邦、あるいは少し下って三国志の時代(200年ほどの差があるので多少の違いはあるにしても)を疑似的に歩き回りながら学ぶことも出来る良書であることは間違いない。
 中国といえば三国志しか知らないという人にもお勧めである。

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