髙木康正はどんな人生を送ってきたのか?(長めです)


◆髙木康正(タカギヤスマサ)のプロフィール◆

生まれたのは、1994年。
神奈川県横浜市に生まれ、幼少期を埼玉県朝霞市で過ごす。
→この時のころの記憶は残念ながらありません。

小学生に上がる前に、両親の都合により
三重県での生活が始まりました。

お会いしたことがある方は、
分かると思いますが、既に関西弁の基盤は出来始めていました。(笑)

僕が住んでいた場所は、周りは田んぼだらけで
家の近くにはコンビニも無いような静かな町で、
観光スポットとしてロープーウェイから見る秋の紅葉は綺麗でしたね♪

◆小学生時代(ここから簡単に学生時代振り返ります)

小学生から野球をしていたのですが、
残念ながら目は出ず。。。

もう一度人生やり直せるなら野球を一番頑張りたかったな!
なんて思います。

当時はゲームボーイとかが盛んになり始めた頃でしたね~
懐かしいです。


◆中学生時代

やはり田舎だとあるあるなんですが、
小学校の近くの中学校に進学します。

周りはやんちゃな子から真面目な子まで
当時は色んなタイプとの付き合いが多かったと思います。

眼鏡をかけていたので、いじられるというなんか痛いようで
キャラ感が出始めた頃でもありましたね。(笑)


◆高校時代

中学生の時に既に、大学進学をせずに就職をした方がいいという
意固地な考えがありました。
単純に勉強が嫌いなだけだったからかもしれません。

高校は、県内でもトップの就職率を誇る工業高校へ進学しました。

9割型男子生徒だったの活発な雰囲気が絶えなかったですね。

・野球部に入部するも1年で断念

小学校から続けてきた野球をそのままの流れでやり始めたんですよね。
ただ、これは甘かった!

やはり中学までと違いレベルもさることながら部活動費も
とんでもない金額でした。

社会人になってから、三重県の高校野球はレベルが高くないことにも
気づきましたが。。。

そんな中頑張って1年続けたものの、
部の風習についていけなくなっていたとともに
部活動の維持費が厳しい事に気づきはじめ自ら退部をする。

この時は本当に複雑でしたね~
解放されたのと同時に、根性の大切さを社会人になって
知ることにもなりました。

今でも続けていたらどうなっていたのかとたまに夢に出てきます。(笑)

ただ、今思うことは、野球って言うスポーツの場で
社会人教育をされていたなという感覚でしたね。
大事な事には後から気づくものです。

・部活を辞めてからの怠惰な生活

部活を辞めてからと言うもの
バイトと時間があれば中学の同級生繋がりで他校の同級生とふらふら
遊んでいる毎日でした。
学校の成績も大して難しい勉強が必要だったわけではないのですが
全く良くありませんでした。

いざ就職活動が始まる最後の年には、
クラスでも最後の方の順位を争う常連という現状、、、

高校の就職活動は、
大学の新卒と違い、企業の求人で1次募集の1社しか受けることが出来ません。

つまり、一気に沢山の企業へ面接できず一発勝負です。

当時、不況と言う雰囲気だけ漂い、順位が下の僕には
世間でいう「安定企業」という選択肢がほぼありませんでした。

最後に選択したのは、
県外である和歌山県の「花王株式会社」でした。

上場企業だからと言ってみんな避けていたそうです。
和歌山県だから嫌だという意見も多数でしたが。。。

個人的には、県民性もとても温かく、いい町だったと
本当に思います♪

いざ試験を受ける時に学年の先生から
「高城は合格しない」と言われました。

いやいや、1人ぐらい応援してくれてもいいでしょ!
なんて今思えば良くない声のかけ方だったと思います。
マイナスなイメージで挑ませてどうすんの?ってね

どうせ微妙な企業に入社するぐらいなら同じことなので
成績が良くないなりに、とにかく自分を売り込みました!

結果合格。見事上場企業でこれからの人生勝った!!!
そう思ってたんですよね、、、


◆思ってたよりも華々しくない会社員という現状◆


やはり大手という事で、
新入社員に対する教育システムは徹底して決まっていました。
これから従事していく仕事とは別に

始めは、知らないことばかりで
これから仕事をしていくことにワクワクや期待感を込めていたのですが
工場での毎日の作業をどんどん覚えて、
毎日同じような事を続けていく毎日に飽きて来たんですね。

当時の仕事は、製造機械のメンテナンス業務に従事するしていました。
今でこそ他の企業を見渡して思うのが、
大企業ならではの画一化した変化の無い日常っていう感じで。

「あ~こんな感じでどんどん年取っていくんやろな~」
なんて思ったこともあります。

ある意味そういう基盤があるから大手としてやっていけるんだと思います。
凄い組織の仕組みだなって感じました。


◆会社員ではなく独立しようと思ったきっかけ◆


そんな変化の無い社会人生活の2年目途の中に
刺激がない毎日に入ってきた話が、MLM(ネットワークビジネス)でした。

よくある日用品の代理店でしたが、
皆20代前半で当時、会社の同期や先輩、後輩以外の繋がりが殆どなかったので
外部の人間と仕事をするってことに刺激を感じていたんですよね。

世間的なイメージは、やっぱりネガティブだと思います。
やはり、知人からの批判は、本当に多かったです。
そんな中、
会社には黙って仕事終わりや休みの日に黙々と続けていました。

大体の方が、人をリクルートできないという理由で
辞めるのですが、僕は自然と色んなアプリを使用して
SNSからの集客をしていたんですね。

今思えば、田舎だからこそ通じた手法でしたが。。。

その結果、会社員をしながら半年程で、当時の会社員の手取りの給料17万円
以上の収入を上げ、大きく稼ぐことが出来ました。

ビジネスを拡大させるとともに、
段々と独立してビジネスをしている方たちと触れ合う機会が増えてきました。

そこで初めて、会社員やってる時間って本当に無駄かもしれない。 
って感じ始めたんですね。


◆独立後の挫折◆


会社員3年目(21歳)で僕は、晴れてMLM一本で独立しようという
選択をしました。

当時を振り返ると、意外と余った時間と言うものが出来て
これからがんばるぞ!
って気持ちでいっぱいだったんですが、
経費との戦いが始まりました。。。

やはりMLMは、営業活動ですから、
交通費やお茶代が結構かかってたんですよね。

田舎は住むのはいいのですが、
そういう活動にはどうしても移動費用などで経費がかさみました。

そんな中、キャッシングをしながら誤魔化して
挙句の果てに金融事故まで起こしました。

どんどん生活は荒みはじめ、
1日マクドナルドの100円バーガーで過ごすような、
普通にバイトした方がましな生活にまで
なり下がっていき、組織も伸びなくなっていきました。

そして、丁度MLMを始めて2年程経った時に断念。。。

当時、実家の母親が地元の神奈川に戻っていることもあり、
転がり込む形で神奈川に行きました。

そこで、初めて会社を退職したことから
今までの経緯を説明しました。

あの時は今までの人生で一番きつかったです。
少しの間、無気力状態でした。

でも、22歳でそこまで経験できたのは今となっては
とても良かったと思っています。

そこから、
営業力を強化しようと思い、バイトをしながら
光回線とウォーターサーバーの訪問販売を始めました。

その頃は、営業力が間違いなく大事なポイントだ!
と心から思っていたんです。

そんな中、営業の指導をしていただいている方から
不動産の訪問販売をしてみないかと言う声をかけられました。

そこから、もう一度会社員として
静岡→名古屋と販売を行い、
1年の間に6棟程販売する事が出来、営業力に自信がつきました。

この辺りからもう一度独立するぞ!
と言う気持ちが芽生え始めます。


◆インターネットビジネスが今後の最有力手段そして再独立◆


不動産の営業をしている中、どうしても気になっていたのが、
なぜ集客方法が、訪問販売だけなんだろう?

という疑問でした。

勝手なイメージは、ネットからの集客が普通はあるものという主観でした。

聞いてみると、誰もそういう事が出来ないし
訪問販売でやってきたからこれでいいんだ!
みたいな泥臭い風習を大切にしていたんですね。

その頃からやっぱりネットビジネスを学ぶべきだと思い、
神奈川の実家時代の知り合いを通じて、
インターネットビジネス中心の超少数ベンチャーの立ち上げとして
一緒に仕事をすることになったので、

不動産の営業は1年程で退職。
東京に上京しました。

・独立する前の不動産時代


そこで、現在の礎となる
基本的なインターネットビジネスの販売手法から
インターネットで仕掛ける側の実態を知ることになります。

当時は、裏方として、
様々な投資スクールを中心に1000名程の運営にも関わったりもして
小規模の人員ながら、会社経営の目線として
毎日が学びの連続だったのを覚えています。
いや、むしろ学ばなければ事業が成り立たないぐらいのレベルでしたね。(笑)

その中の経験として嬉しかったのが
ベンチャーで売り上げ、1億以上を3本連続で叩き出す事に
成功したことでした。

そして、僕の気づいて欲しい目線で読んでくださっていた方は
既に感じていたかもしれませんが、

僕が行ってきたことは、
全てにおいて未経験から生み出しています。

MLMはお世辞にも成功した!
とは言えませんが、不動産、ネットビジネスについても
業界では全くの素人です。

特別な才能があったんじゃないですか?

なんて思う方は大間違い。

とにかく自分が身に付けたいものに対して得るために
環境に飛び込むこと。

それが大事な事だと思いました。

その結果、
プレゼン能力、広告、動画制作等の
何かをプロデュースする能力を身につけることが出来ました。

ベンチャーで面白かったのが、
やっぱり若い世代でビジネスをすると負けるか!
みたいな感じが僕にはあったので毎日がむしゃらでした。(笑)

環境って大事だなと実感した期間でもありましたね。

そこから、
やっぱり自分は独立して自分の力で稼ぐことが一番だな!

って感じていたので、
担当していた案件が終わり、独立。


現在は、当時学んでいたスキルや知識を生かし、

【ネットスキルナビゲーター】
として
個人や法人のコンテンツ動画制作を行うとともに、

学生からシニア層まのインターネットビジネスを活かして
稼げる能力を身に付けてもらうプロデュース業を
メインに活動しています(^^)/


。。。と言うのが、2018年2月までの高城の個人史です。

主に更新していく記事は、

ーーーーーーーーーーーーーー
・高城が学んだスキルについて

・ビジネスマガジン

・仮想通貨トレンド情報
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を中心に書いていきますので、
どうぞ宜しくお願いします。


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Instagram(こちらはこれから再度更新)


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髙木康正について

24歳と言う若い年齢でもネットスキルを駆使すれば 世の中に影響力を与えることが出来る理由を公開します。
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