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エンディングノートを書く予定

パートナーからの提案でエンディングノートを書くことになりました。エンディングノートって言うと、もう死んじゃうの?と言う話にもなり、かねませんが、そうではなく、将来のことを考えて2人してエンディングノートを書こうと言う話になりました。

さて、先行してパートナーがエンディングノートを書き始めたのですが、何とも言えない気持ちになりますね。パートナーもまだまだ生きる気は満々です。しかし、自分の身に何かが起きたとき、そんなことを考えたのでしょう。エンディングノートを書こうと言う話になりました。

エンディングノートを書くに当たって、改めて人生の折り返し地点を過ぎたのだなぁと思いました。人っていつ死ぬかわかんないですもんね。いやいや、そんなこと考えてたら鬱になるわ!ってもう鬱でした、わたし(・ω<) テヘペロ

死について考えるとき、どんな気分になるんだろう?そんなことを思っていたら、自分がやってきた哲学と言うのは、生についての哲学だったなぁと言うふうに思えてきました。西洋哲学と言うのは、もちろん死について考えることもあります。しかし、基本的には生について考えることの方が多いです。

いかに生きるか、いかようにして生かされているのか、生きるとは一体何なのか。そんなことを主題としながら考えていくのが、西洋哲学の裏のテーマでもあったりします。

そこに翼を持った天使のようにエンディングノートを持ったパートナーが登場するわけです。

「あなた、これを書きなさい。」

そのように言うわけです。もちろん真面目に書きますが、書く項目がかなり多いようで、パートナーもかなり苦戦しているようです。今日なんかは葬儀社に電話していました。いやーほんとに書かなくてはいけないことが多いんだなぁ。そんなことをぼんやりと思いながら電話を聞いていました。

確かにもし私が死んだらパートナーは困るでしょう。パソコン関係やインターネット、クレジットカードの暗証番号、その他諸々。教えていないことがたくさんあります。もし、それらを知らないと、インターネットが使えなくなっちゃったり、ヘルパーさんとのやりとりが大変になったり、パートナーは困るでしょうね。まぁ大体はスマホを見れば、何かしらのヒントはあるかと思うんですけど。

しかし、エンディングノートって実際に書いているのを見ていると、イメージしていたものと違いますね。もっと大雑把に葬式の時は、こうしてくれとか、臓器移植をするとかしないとか、そんなもんかなぁと思っていました。そしたら日常生活の細々とした事まで書かなきゃいけないんですね、これは大変なものを書かされる羽目になったなと内心思っています。

私はこういう事務作業がとても苦手で、全部書ききるまでには3ヶ月はかかりそうです。3ヶ月で終わるかな?でも、何か良い機会をもらったような気がします。自分が死んだ時、大切な人に何を残せるか。自分が死んだとき、大切な人に何をして欲しいか。それを考えながら、エンディングノートを書いていこうかなと思います。まぁ、明日明後日死ぬわけでは無いだろうから、のんびりと書いていきます。

久しぶりの書きものがエンディングノートと言うのも悪くないなと思いました。自分でも忘れているパスワードを思い出さなきゃいけないのは苦痛ですが、頑張って帰ってみようと思います。それでは〜。

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