元採用部長から就活生へー終わり(もしくは始まり)に、なぜ働くのか。

就職活動を始めるときに、この疑問を持つ人が増えてきています。

なぜ、就職する(働く)のか。

今の日本は本当に豊かになりました。とりあえず日々の暮らしだけであれば、本格的に仕事をする必要はありませんし、日々の生活のためのお金をであれば、それこそデイトレーディングでも十分かもしれません。

暮らし方も非常に多様になった現在において、いったい働くことにはどういった意味があるのか。とても自然な疑問でもありますし、当たり前すぎて考えたことがない方も多いかもしれません。

それでも、皆さん就職して働いています。
確かに、日々組織の中で働いていると自分を必要としていくれている、という実感を得ることはあります。
しかし、なぜ働かなければいけないのか、という疑問について自分自身のための解というのは、あまり考えることはないのではないでしょうか。

この疑問について、私なりの考えをお伝えしようと思います。
ここからは、あくまで私の経験からの持論ですので、必ずしも一般的ではないことはご理解ください。

先に述べたように経済的な理由があるのは当然です。それが整はなければ、それ以外のことは考える余裕はないので、まず基本的な理由として、経済的必要性は何よりも重要です。
そしてそれは、かつての日本では最も重要であり最も幸せに近づくものでした。ほしいものを買う、おいしいものを食べる、より高価なものを所持したい、といった欲求が世の中一般的に高く、自分が一生懸命働くことでそれを実現し、幸福感を得ることができました。
現在はコンビニでおいしいものはたくさん手軽に手に入りますし、そもそも高価な料理を食べることについての欲求も希薄になっているようです。安くておいしくて手軽であればもう十分といった感じです。食事に限らず、他のことも同様かもしれません。なによりも、そうした経済的な余裕以外のところで幸福を実現したい、という価値観を持つ方もどんどん増えてきています。ですので、経済的な理由だけでだけでは、働くことについての動機付けとしては、弱くなってきていると感じています。

では、いったい他に何があるのでしょうか。

私の上の子供が中学生の時に、”働いている人の話を聞く”という講座があって、1時間ほど中学生に話をするように依頼されました。おそらくキャリア教育の一環として、自分の身近でない人がどのような仕事をしているのか、どのような仕事が世の中にあるのか、といったことを伝えたかったのだと思います。
私の仕事は人事(採用)ですから、中学生にはかなり縁遠い仕事だと思います。働く人のために働く、というもっともわかりやすい人事の機能を説明しながら、採用業務全般についての説明をしました。その中で、ちょっとしたきっかけで”なぜ働くのか”といったことについて、ある男子学生と話すことになりました。

私:将来どんな仕事をしたいと思いますか?
A君:好きなバスケットボールでお金を稼ぎたいです。
私:わかりました。そのためには一生懸命に練習をがんばらないといけないですね。スポーツでお金を稼ぐというのは、ほんの一部の人しか実現できていません。しかし、A君には時間と可能性があります。これから頑張ればきっと実現できるでしょう。
ところで、もし私がバスケとのプロチームをいくつかもつ大富豪だったとして、A君はそのチームの一つにメンバーとしてはいってくれますか?報酬ははずみますよ。
A君:はい、是非。
私:わかりました。私は他人がたくさんいるようなところは嫌いなので、観客は私とその知人だけです。しかも私はバスケットボールの楽しさがよくわかりません。ですので、試合中も体育館にテーブルを用意して、他の人と談笑しつつ食事をとりながら観戦します。まるで食事中につけっぱなしのTVのような状態です。
A君:いや、それならお断りします。
私:どうしてですか?好きなバスケットボールで破格の報酬を得られるのですよ。5年働けば一生食べていけるくらいは払いますよ。
A君:でも、お断りします。自分は、自分のプレイを多くのお客さんにみてもらって、彼らを興奮させるようなことをしたいのです。いくら高い報酬でも、そういう状況では自分は何のためにプレーしているのかわかりません。
私:確かにそうですね。そしてそれは、仕事をするうえでとても大切な考えかもしれません。”自己効力感”といいます。わかりやすく言えば、”人の役にたっている感じ”です。仕事を情熱をもってやるためには、最も重要なことかもしれません。

自己効力感。

自分が情熱をもってやることが誰かに役にたっている。
そうした思いが感じられることで、自分がこの世に存在する意味を見出すことができます。働くというのは、そのために有効な手段であると考えることができます。

それでも人はなかなか欲張りで論理的ではなかったりするので、経済的にも成功したいという欲求はすてきれません。私はそれを否定するつもりは全くありません。人は多くの価値観を混在させていて、時々でその優先順位が変わったりします。人生を通じて一貫しているという人は、そうそう多くはないでしょうし、そうあるべきだとも思いません。
とはいえ、経済的な成功はその多くの価値観のうちの一つであるということも事実で、であるならば、それが絶対的価値観ではないということも同時に理解できます。

アメリカの心理学者のマズローは、人間の欲求(自分の幸福のためにみたしたいもの)には5段階があると発表しました。それは下位から、生理的欲求(生きるために必要)、安全の欲求(自分の身を守りたい)、所属と愛の欲求(集団に属したい)、承認欲求(他者から認められたい)、自己実現の欲求(能力を発揮したい)という順番です。
これは1943年のころのものなので、まさに第二次世界大戦の後半という環境で提唱されています。それを考えると、まずは”生きることができるかどうか”から始まり、環境が整うにつれて上位の欲求が現れそれにチャレンジする、という考え方も納得できるものだと思います。

現代の日本の就職活動をする学生みんさんの場合は、このうち、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求までがある程度満たされている(危機的でないという意味)状態であると思っています。とりあえず”生きるため”(食べる、寝る、など)は満たされていますし、治安が悪くなったといっても日本はまだまだ安全です。そして、SNSの普及や多様な趣味の実現で、独自のコミュニティで他者と一定の関わりを持つことがほとんどです。
この考え方は、欲求レベルは下位から上位に向かうように説明されていますが、それは私の実感とはちょっと違うと感じがします。
私は自分自身の欲求について、次のようなイメージを持っています。

そしてこれがそのまま働く理由になると思っています。
1)暮らしていくために必要=生活の満足
2)人の役にたちたい(自己効力感)=他者の満足
3)仕事を通じて楽しい時間を過ごしたい=自己の満足

もちろんその割合は一定ではなく、自分の人生の時間の中で大きく変動していきますが、いずれも”0”にはなりません。
私はこの3つのために働いてきました。若いころは3、家族を持って1、今はこれまでで一番”人の役に立ちたい”という欲求を強くもっていて、それが私の今の働く意味なのだと考えています。

ちょっと遠回りになりましたが、”なぜ働くのか”の答えは一つではなく、むしろ自分のどんな欲求を満たすために働くのか、つまり”どんな意味を持たせるのか”という自分自身の意思によって決まるものだということをお伝えしたかったのです。
1日は24時間です。7時間が睡眠、3時間が食事とその準備、お風呂や身の回りのことで2時間、掃除と洗濯で1時間、これらが生きていくために必要な時間で、残りは11時間。この11時間が自分で使える時間です。労働時間を8時間、通勤で往復2時間とすると、自分で使える時間のうちの90%以上は働くことに費やすことになります。自由になる時間のうち90%も占めている働く時間、これをなんとなく過ごしてしまうのは、あまりにももったいないと思います。

なぜ働くのか?

この疑問の答えは、一般的で絶対的な解はなく、自分自身で意味を持たせなければいけないのです。それができれば働くことを通じて、幸せになるということも実現できます。

働くことは幸せを手にする有効な手段の一つなのです。

皆様の幸せをお祈りしています。



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