元採用部長から就活生へー2、内定がまだとれない方へ



内定がとれないことについては、いろいろなケースがありますが、
私の経験からすると、次のようなケースが多いように思います。

いわゆる人気企業にいくつか応募したが内定をとることができなかった。
その後、他者にやや出遅れる感じでほかの企業に応募しているが、
そこでも内定を得られず、どうしたらよいかわからなくなってしまう。
内定を取ることができない自分を情けなく思ってしまい、落ちこむ。
とりあえず興味のある会社にいろいろ応募するが、うまくいかない。

このスパイラルに入ってしまうと、ほんとうにどうしたらよいかわからず、
自分自身を責め続けてしまうこともあります。

私は、新卒採用の面接時や個人的にそうした相談をうけたことがあります。
どうしたら内定がとれるのか、就職活動でなにをすればよいのか。
個人的に相談を受けた方には肩を落とし、涙ながらに話す方もいました。

まず深呼吸してこのスパイラスから抜け出すために、
一度目の前の就職活動からはなれてみましょう。

確かに就職活動は人生に一度しかないもので、大きな意味をもちます。
そういう意味では、良い結果を得るために自分なりになっとくいくまで、
一生懸命やったほうが良いと思います。
しかし、この就職活動で人生の全てがきまるわけではないことも事実です。

一度、就職活動から意識を遠ざけて、今の自分自身にとその周りのことに思いを向けて見ましょう。

普通に就職活動ができている、ということはおそらく健康なはずです。
大学にも通われていて、多くはなくとも心許せる友人もいるのでしょう。

これまでに、どんな楽しいことがありましたか?
これまでに、どんな友人ができましたか?
これまでに、どれほどがんばってきましたか?
これまでに、どういった方々にお世話になってきましたか?

たとえ就職活動で内定がもらえなくても、
それは、これまでの人生を否定するものではありません。
そして、これからの人生を決定的にするものでもありません。

もう一度最初から就職活動を考えてみましょう。

自分はどんな人生を歩みたいのか。
そのために、どんな仕事を選ぶべきか。
どんな働き方なら、わくわくするか。
どのような環境なら、それが実現できるか。
会社の規模、知名度、福利厚生などにとわれず会社を選ぶ。
他の人の意見は聞いても、参考程度として、惑わされない。

世のなかには、星の数ほど会社があります。
中堅・中小や地元の企業にだって、
あなたにあったところがあるかもしれません。

“この状況で会社なんて選んでられない、どこでもいい”
と思われるかもしれません。
が、それが内定をとれないことにつながっている可能性があります。

“どこでもいい、は、どこでもない”のです。

私の子供たちが小さいころ、外食したいといわれることがありました。
“どこにいきたい?なにが食べたい?”と私は尋ねます。
“どこでもいい”と返答がくることがあります。
その言葉がでると、我が家では外食は中止していました。

“どこでもいい”は、本人の欲求や意思がないことを示すものです。
“どこでもいい”と、何を食べても満足しない確立が高いです。
“どこでもいい”は、自分で決定することを放棄しています。

例えば、男性が多くの女性を前にして
“誰でもいいから、僕とつきあってください”といったところで、
実際に手を挙げてくれる女性はいないのではないでしょうか?
(だれもがあこがれるような男性であれば、そうでないかも)

“だれでもいい”というのは、その個人を見ていないことになりますし、
女性にとっては“私は選ばれなかった”ということを告げるものです。

会社選びについても同様だと思っています。
“その会社で働きたい”という強い情熱を持っているかどうかは、
選考の過程でわかるものです。
“どこでもいいと思っているな”と感じた面接官は、
やはり評価をネガティブにします。

深呼吸をして。
自分を振りかえって。
もう一度、“この会社で働きたい!”と思える会社を選んでください。

まだ十分に間に合います。

あなたには、幸せになる権利があります。
でも、その“幸せのかたち”は他のひとと同じものではないなずです。
もう一度、自分本位で就職活動をしてみてください。
振り回されずに。

皆様のご検討をお祈りします。

<あとがきに代えて>
卒論を不可にしてもらって、留年し5年目がきまった私は、
4年の冬から、花屋でバイトを始めました。
時給は640円。
肉体労働で、けっして割りのいいバイトではありませんでした。
しかし、社会人になって就職すると、
こうした仕事をするチャンスは二度とないと思い、選んだのです。
10ヶ月程度でしたが、非常に得るものが多かったと思っています。

花屋がとても大変な仕事であること。
花屋は人にポジティブな感情を届けるものであること。
花屋はクリエイティビティと日々の研鑽が大切であること。
花には大きな力があること。

ただ、私は葬儀の菊の花籠の担当だったので、ほぼ葬儀にいっていました。
おそらく普通の人が人生で参列する葬儀の50倍くらいはでたと思います。
葬儀屋の方たちは皆さんプロフェッショナルで、
明るく、楽しい方たちばかりでした。

社会人になって友人と当時の街をあるいていたら
“にいちゃん、久しぶり!元気だった?”
と葬儀屋の軽トラから声をかけられ、友人に笑われたこともあります。怪訝な顔をされたこともあります。

まじめではなかったし、優秀なバイトではなかったですが、
かわいがっていただけました。
この花屋での10ヶ月間は、その後の私の仕事感に大きな影響を与えました。
年齢の近くない、迫力のある大人たちとの日々は、生意気だった当時の私を十分にへこませてくれました。本当に感謝しています。

自分勝手な留年なので、生活費も学費も自分で稼がなくてはなりません。
花屋だけでは足らないので、塾での講師のバイトもしていました。


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