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「監査のセンス」についての試論

「監査のセンス」とは何か。我々はそのナゾを追って、電子の海深くへと潜ったーー。

闘魂物語「序」

先日、おれがかつてその正体について深く述べることを避けていた「監査のセンス」について、てりたま氏が考察を発表した。というわけで、刺激を受けつつ、おれはおれなりに自分の宿題に向かい合うことにするとしよう。

こないだコメントをくれたからヨイショするとかいうわけではなく、おれはずいぶん前から同氏の投稿はチェックしており、つまりファンだ。本当に社会の役に立つ大人の監査人になりたいやつは、氏のnoteを100万べんぐらい隅から隅まで読んでおくといい。間違っても、一日中監査部屋でNETフリクースしていてもいい、みたいなたわごとに耳を貸してはいけない。無情なオーディットの世界では、その手の怪文書を真に受けるようなウカツなやつからまず粛清されるのだ。慈悲はない。

おまえがまじめに仕事をせず、テレワーク中に愛の不時着を無限に周回したりしていると、たちまちのうちになんか老獪なCFOの罠にはまり、見え見えの粉飾を見逃して、ワンミスで直ちに華やかなBIG監査法人の世界を追われるハメになる。そして、おまえは過去を隠し地方に逃れ、なんか妙に会計に詳しい職人肌の中年として、職安に紹介された人情味のある中小企業の社長に拾われ・・・「あんたの過去なんてどうだっていいさ」・・・ささやかな友情を築く。そうしておまえは、新たな友と日々額に汗をし、気のいい地元の人々に支えられながら、小さくとも意味のある仕事で社会の片隅にわずかばかりの痕跡を残し、――ある春の日、YOKOHAMAから遊びに来た無邪気な孫たちに囲まれながら――陽の当たる縁側で眠るように・・・一生を終える。

「わるくない人生だったさ。煩悩にまみれたナイトプールでセレブのふりをするよりはずっとね。」


■ そもそも「センス」ってなんだろう

まあ、そろそろ本題に入ろう。センスとは何だろうか。大体この手の問いをする論考では最初に広辞苑を引くものと相場は決まっているのでおれも調べてみた。なお、わかっていると思い込んでいる事でも、条文に当たってみるクセは監査の仕事では極めて重要だ。決してあなどってはいけない。とにかく、調べろ、毎日だ。

センス【sense】
① 物事の微妙な感じをさとる働き・能力。感覚。「―のいい服」「ユーモアの―がある」
② 思慮。分別。

「微妙な感じをさとる」はかっこいい言い回しだが、どういう意味だろうか。これも辞書を引いてみる。

びみょう【微妙】
①美しさや味わいが何ともいえずすぐれているさま。みょう。玄妙。「―な調べ」
②細かい所に複雑な意味や味が含まれていて、何とも言い表しようのないさま。こうと断定できないさま。「―な関係」「彼の出場は―だ」

ということである。

要するに、よく言う服装のセンス・・・つまりおまえがデパートで調子に乗って買ったスリーピースがさっぱり似合ってないとかそういうやつだ・・・みたいな、「突き詰めた言語化は難しいが良し悪しの判断は可能であるもの」をジャッジできる能力、のようなものにセンスという言葉が用いられるようだ。

■ 監査上の判断におけるセンスと言わざるを得ないものとは

監査上の判断がいっつも間違ってるやつは端的に言ってヤバい。いつか事故って退場し、地方の中小企業(ry。ゆえに、監査上の判断におけるセンスについてはよくよく考え、あわよくば磨き上げる必要があるだろう。

監査上何かを判断する場合は、基本的にはロジックに基づいて行うので、美的な何かを判断することとは本来異なるもののように一見思われる。しかし、実際にいざ何かを検討しようとすると、テーマによってはやろうと思えば無限に考慮すべきことがあるので、監査の現場でもセンスという言葉を使いたくなる気持ちは、実務家ならよくわかるところだろう。

以前、「事実らしきもの」の難しさや危うさについて知っておくべきだ、などという趣旨の怪しげな文書(多くの会計士はエクストリームオーディットを経験することがないので、まあ特に実務の役には立たない)を書いたことがある気がするが、追及していくと監査上考慮すべきことは無限にあるばかりか、突き詰めれば突き詰めるほど「事実ってなんだっけ?」みたいになっていく宿命があるわけである。しかしながら、監査報告書日の前日に、「闘魂さん、そもそも事実とはなんでしょうか・・・」、「良いところに目を付けたな!おまえには見どころがある!」みたいな話をやり始めると、まあ、ある意味楽しいかもしれないが、仕事は全く終わらなくなる。

ちなみに、おれのいた組織では、かつては審査を間近に控えたパワープレイ系のチームが、深夜にスタッフ席で「そもそも・・・」とか「本来であれば・・・」と、ナゾに熱い激論をおっぱじめるという風物詩が実際あった。おれは、不十分だったかもしれない手続きを追加で行うために必要なリソースと残された時間とを比較すれば、そんなこと言っている暇があるのなら超重要な調書をもっかいチェックして抜けがないか確認して、さっさと居酒屋に移動してから続きをやったほうが良いのに、などと思ったものである。

ともかくだ。

基礎的なインプットが足りてなくてとんちんかんな事を言い出すみたいな(おそらく)別次元の問題を切り分けていって、言語化が難しい残余の領域を「監査上の判断におけるセンス(仮)」部分として絞り込んでいくと、おれは「検討事項を取捨選別する能力」は多分最後らへんまで残ってくるものの一つなのではないかと思う。

監査上の検討事項には、99%検討しなければならないことと、9割のケースでどうでもいいこと、8割のケースでどうでもいいこと・・・7割のケースで(同・・・そして、エクストリームな現場では必ず検討しないと自分が死ぬこと・・・というように、優先的に考慮すべきことと、例外的な状況でしか考慮しなくていいことがある。そして、多くの検討項目は残念ながらその狭間に、気まぐれにぷかぷか浮かんでいる。

様々な検討事項候補を取捨選択して、リスクを抑えたうえでエコノミーに検討が実践できるかどうか、というところは、経験によって結構な差がついてくるところだ。無限に時間と体力があれば、誰だって隅々まで検討できる。だが現実は時間も予算も人員も限られているし、何よりおまえのモチベーションにも限界がある。限られたリソースでさっさといい感じのところまで仕事を進めるには、何をやって何をやらないかを迅速に判断する力・・・センスが問われるだろう。

我々は実務家であるから、何から何まで理論通りにはやってられない。おまえが下っ端なら、たぶん事務所で大っぴらに言うのは避けたほうがいいが、ビジネスで経済性は重要なのである。

■ 将棋AIの歴史が示す通り、ガッツとセンスはトレードオフの関係にある

この、選択肢を絞っていくという思考プロセスは、人間の棋士が「読み」を実行する際に、現在の局面から実行可能な全ての手を全幅探索するわけではなく、各手の筋の良し悪しをまず大まかに判断し、候補を絞ったうえで検討を行っていることと、どこか似ているような気がする。棋士のそれはいわゆる「大局観」に基づく判断であり、センス的なものの範疇に入るスキルであろう。

ちなみに、将棋AIの世界おいては、計算リソースを有効に用いるために「大局観」的な検討対象の絞り込み(探索木の選定)機能をいかに実装するかということが重要なテーマである。技術進歩の歴史を追いかけてみると結構面白いので、暇な人にはお勧めする。現在では、検討の価値がある手筋を評価するロジックの学習に機械学習が用いられているとかなんかそんな感じだと思う。

将棋の世界では、読みの正確性を追及すると全幅探索を行うことになるが、これはエコではないし将棋には持ち時間のルールがある。読みの正確性と経済性はトレードオフの関係にあり、これの最適化に取り組み続けてきたのが将棋AIの世界だ。

将棋AIの歴史にヒントを得て考えていくと、監査上の分析・検討・判断みたいなもののうち、頑張れば人間が評価関数を設定可能なものはただの技術で、ディープラーニングみたいなものを用いないと最適な評価関数が得られないプロセスが残るとすれば、それが最後に残された「監査のセンス」になってくるのかもしれないと思う。

というわけだから、センスを磨きたければ、おまえは監査をディープラーニングするしかない。そう、言うは易しがはびこるのは監査業界の伝統的カルチャー・・・おれもこれからは積極的に無茶を言って老害力を高めていきたいところである。

さて、計画のドキュメントなどに現れないレベルで、監査人が日常的にどういった情報を、どのように取捨選択して検討していて、どのレベルならスルーしてOKでどのレベルならNGなのか。そういうのは、結局ケースバイケースなので、一律どうすれば良いみたいなことはなかなか難しい。ただ、監査の失敗を評価しようとすると、どうしても「検討していないこと」にフォーカスされてしまうきらいはある。それゆえに、普通そんなの見ないっしょ!みたいな物事が必ず何らかの事件の後には追加されていき、そうそう簡単に減ることは無いのである。

「先生、申し訳ないのですが、検討しなくて良いとご判断された理由が調書上の記載からは読み取れません。。。」

うっせえな!この世界では、やってないことをとがめられはしても、「すっごい効率的な進め方ですね!グリフィンドールに50点!」というようなほめられ方をすることは決してない。魔法ファンタジーの世界(わりと人が死ぬ)と比べても、監査の現実は非情なのだ。

何の話だっけ・・・

ともかく、ひたすら増殖を続けていく計算機の計算資源とは異なり、人間が日常で使用できる計算リソースはみるからに有限なので、スジの悪そうな(何も出てこなさそうな)論点は深堀すべきではないし、見る必要のない情報はすぐさまガベージして監査調書だけではなくおまえの脳内からもそぎ落とすべきである。ガッツとセンスはトレードオフの関係にあるのだ。

■ センスに自信のないNewbieのために

センスの話が出るパターンに「自分のセンスに自信がない」という反応がちょいちょいあるようなので、一例について少し触れておく。

何を言っているのかわからないようなことになり「センスねえな」的なパワハラを食らうNewbieにありがちなのは、何から何まで大事に見えて情報が捨てられないことだ。「アレも検討して、アレも検討して、アレも検討した結果、結論はこうです」などと言って、気が付けば人類の未踏地点ともいうべき斬新な結論にたどり着いてしまっている、というパターンである。

ペーパー調書時代でいえば、とにかく資料を集め、もらったコピーを何でもかんでも調書ファイルに挟むやつとかだ。あとで誰かに見られて、「これは、何を検討しているの・・・?」と聞かれて何も答えられない。おれはそういうナゾ資料と、ベテランが書いたにも関わらずなぜかゴミ以下のにおいがプンプンする調書もどきを死ぬほどシュレッダーしてきたからくわしい。

一言でいうと、もうちょいシンプルに考えろ、ということであるが、アレも覚えろ、コレもやれ、引当金の4要件・・・は言えたほうがいいとおれも思うが・・・などと常日頃詰められていると、知らず知らずのうちに混乱してしまって、効率よく頭を使うことができなくなってしまうという事も駆け出しの頃にはよくあることだ。

効率的な脳の使い方みたいなものも、新人がきちんと学んでいくべきテーマの一つだとおれは考えているし、結局は総合的なセンスの良し悪しに深く関わってくるところではないかと思っている。まあ、いったい誰が教えられるのかという話はあるが。。。

監査法人で仕事をするうえで最低限必要な知識は、もっぱら受験生に夢を売ることを生業としている冷酷な営利企業である受験予備校で、おまえはすでに学んで来たはずだ。試験結果がそれを証明している。知らないことは、その都度条文に当たって思い出せばよい。

おまえが1年目とかでやるべきことは、新しい知識をインプットすることではなく、今持っている知識がすでに膨大にある事に気づき(多少不十分でもいい)、それを現場ですぐ取り出して目の前の現実に当てはめられるようになるために、脳の中に新しい回路を形成する為のトレーニングを意識的にすることだ。

おまえの抱えている問題は、現段階では持っている武器が多すぎて使いこなせないことにある。そこに新しい何かをぶち込むとますますわけがわからないことになるから用心しろ。

ちなみに、おれもかつてチューターとかを1回ぐらいはしたことがある。わりと新人にありがちなのが、勉強と実務は全く別物だ、という誤解だ。先ずその勘違いを認識させ、それを正す必要があるというのがおれの考えだ。そうしておれは、「おまえの問題はすでにマスターしている知識と現実との間に自ら壁を設けてしまっていることだ。まずそれを破壊しろ」などとナゾめいた指導をして、新人を大いに困惑させた。

ただおれは、新人の頃は本当にそれが大事で、そこの結びつけがうまくできるようになれば、なんとなく自信が出てきて、次のステップに向かいやすくなると今でも思っている。はずみ車の法則ではないが、良いスタートが切れると後はうまくいきやすい。

なお、受験で勉強したことが最初はまるで役に立たないという現実を、自分が努力してきた膨大な時間が否定された、みたいに捉えてしまって、落ち込んでチョーシが上がらなくなるスタッフはおれの体感では結構いるような気がするので、自分がそういうドツボにはまっていないかには注意したほうが良い。

言うまでもないがそんなことは無いし、そもそも、仕事の出来不出来ごときのことで否定されるほどおまえの人生はくだらないものではない。

おまえが仮に新人を指導する立場なのであれば、そういうマイナスの心情を抱えてしまっている奴がいないか、気を付けて見てやったほうが良いだろう。

予備校で専門知識をマスターしたからには早速現場でPROとしてバリバリやるぜ!みたいな身の程知らずのやつが現実に打ちのめされてへこむのは当然と言えば当然で、まあ、正直おれも若干AHOだなとは思うが、そんなやつらが知らないうちに経験を積んで立派に育っていくのも普通によくあることだ。育つ奴はほっといても大丈夫だが、とはいえ、最初の指導はそれなりに大事なんじゃないかとおれは思っている。

■ ガッツとサヨナラしてセンスと向き合うために

Newbie向けの話は、おれの怪文書をNewbieが読むべきなのかどうかみたいな議論が勃発する恐れがあるのでほどほどにするとして、実際、監査という仕事はやることがめちゃめちゃ多いので、アレもコレもと目配りしていると、どうしてもおまえは一つ一つのトピックに十分なリソースを割り当てることは出来なくなる。繰り返しになるが、人間の計算資源は有限だ。要らんと思ったことを捨てることは、まっとうな仕事をするために本来は避けて通れないことのはずだとおれは考えている。

話を戻すと「検討事項を取捨選別する」ことは、案外難しい。当然みんながみんなうまくできるわけではない。だから、人間にまかせておくと、「じゃあもうなんも考えんと全部やったらええやん」みたいな安易な結論に陥りがちだ。確かにガッツは尊いしおれはきらいではないが、センスとはかけ離れた行動だから今日は否定しよう。そんなわけで、最近では、人間にやらせるのはもうあきらめて、AIに手伝わせようみたいな議論になってきているのではないかとおれは思っている。

大事なところはもう金額がやたらデカいとかで明らかなので良いとして、そこはあんまり掘り下げなくていいよ、みたいな部分について、よくよく考えてみると、何を根拠にそう言っているかが必ずしも明らかでは無いことはあるように思う。どう集計しても金額的なインパクトが小さいとかはまあ無視して良いところだと思うが、掘り下げて検討していないということは、それについて問題がないと根拠づけられる具体的な証拠はあまり持っていないという事なので、結局、周辺的な情報から推論を行っているということになるだろう。

特に、監査中にふと気づいた、プランニングの段階ではあまり考えていなかった「アレ、これって?」みたいなやつを掘り進めるか、置いておくかの判断は難しい。こういうのは時として致命傷になるので、不完全な情報の中で Go or no-go とか To be or not to be みたいな that is the question を的確に判断しなければならない。さもなくば死ぬ。ポイントは情報が十分ではないかも知れない段階で決める必要があるという事だ。

これは、検討事項の取捨選別のうち「取」について考えてみる方がわかりやすいかもしれない。監査人の中には、膨大な資料の中から、よくそんなの気付いたな、みたいな問題点を見つけてくる奴がいる。そういうタイプのセンスのいい奴は、数字の根拠を細かく追っかける前に、大体の状況を把握して、であれば、この会社(この科目や処理)の数字はこんな感じになっているはずだ、みたいなフェルミ推定的な能力が高いタイプが多いようにおれは思っている。

そういう奴らは、数字を眺めるところからでも、こういう数字になる理由が1個も思いつかんな、みたいな理由で、検討すべき要点に迅速にたどり着くことができたりするものだ。

フェルミ推定的な、勘とロジカルシンキングのキメラのようなナゾスキル、を働かせるコツは、会計に精通していることは当然として、会社の数字がどういう風に出来ているかとか、そもそもこの会社のビジネスは今どういう調子なのか、とか、会社の管理や経理のレベルはどうなのか、みたいな様々な情報を一通り頭に入れることは当然やった上で、いったんそういうことは忘れて、昼飯を食ったり便所でトゥイッターをしたりしてみることだ。

アレもやらねばならぬ、コレもやらねばならぬ、という状況で机にしがみついていてもインスピレーションなど得られようはずがない。このことは、常識的に考えれば当たり前のようなこと、つまりクリエイティブな仕事の人が、大体風呂に入ったり散歩をしたりしている時に良い着想を得られると度々説明していることではあるが、お堅い会計の仕事には当てはまらないと思うのか、監査業界ではあんまり理解されていないようにおれには思われるので、少々悲しく思っている。

古来よりアイデアがひらめく場所は『三上』すなわち、「馬上」「枕上」「廁上」(欧陽脩「余、平生作る所の文章、多くは三上に在り。乃ち馬上・枕上・厠上なり」)と言われている。テクノロジーが進歩するように人間は進化しているわけではない、昔から言われているベーシックはやはりしっかり押さえておき、自分の日常に取り入れていくべきだろう。

おまえは下手に言葉で考えるより、おまえの脳の優秀さを信じてまかせてしまったほうが良い。これはなかなかわかってもらえないが、おれが経験から辿り着いたひとつの処方箋である。寝て起きたら問題が解けた、みたいなやつだ。あれは実際あなどれないので、有効に活用するすべをまじめに模索したほうが良い。これはギャグではない。

■ 結局センスとはどういうものなのか

監査におけるセンスとは、

「ヒントが不十分であっても、要点を迅速かつ的確に推論し把握する能力」

あたりがしっくりくる言い換えなんじゃないかと今のところ思っている。

必要十分な素材が与えられているのであれば、妥当な結論にたどり着く事は難しいことではない。そこで必要なのは普通に論理を組み立てる能力であって、「何とも言い表しようのないものを捉える感覚」という言葉がフィットするものではないだろう。

現実には、世の中のほとんどの問題は、何かしら情報が欠けているということを忘れてはいけない。会計上のトピックに、いちいちこれが必要な情報の全てでこれを正としてこの条文に当てはめてください、などとは書いていない。そういう意味では、現実の問題解決においては、多かれ少なかれ推論の要素が入ってくるので、いくつか仮説を立てて検討するみたいなことが苦手な人は、おそらくセンス的な能力で苦労することになるんじゃなかろうかと思う。

逆に不必要な情報が与えられて、関係ないものを捨てることも必要になったりする。つまりこの問いを解決する上で重要なポイントはなんなのか、という話だが、練習問題と違って実務にはかなりノイズが多い場合があるので、ここの取捨選択に時間がかかる人も難儀するかも知れない。

ちなみに、なぜ「迅速性」という要素を加えたかというと、時間をふんだんにつぎ込んで的確に要点にたどり着くのは普通であり、「感覚」という語感に合わないからである。自信のないやつは、最初はゆっくり考えればいいだろう。

この能力は結局いろんなスキルの総合力であり、それを鍛えるには不断の努力しかない。その辺の話は、てりたま氏のnoteに記述されているので、半熟者のおれごときが付け加えるべきことは特にないだろう。ただ、こうして「センス」という言葉で終わらせずに、いくつかの言葉に分解してみると、自分のつまづいているポイントが見えやすくなったりするかもしれないな、という事は思う。

ヒントの過不足・・・何の情報があって何が与えられていないか、がわかるか。
要点・・・大事なことはなんなのか、がわかるか
推論・・・足りない部分を補って全体像を想像し、それと照らし合わせた判断ができるか。
的確性の判断・・・全体と整合する、しっくりくる答えになっているか。

みたいな。

もしかすると、自分なりの定義を作ってみて、その一つ一つに取り組んでみることで、自分なりのやり方みたいなものを見つけるのがいいのかもしれない。

ちなみにだが、「センスねえな」を実際に言葉として発するのは、「能力」といった必ずしも測定が容易でない指標でもって他人をぶったたくという、まあまあ攻撃的なエキスプレッションだ。大体はイラついている奴が言うし、多分おれも半ギレで言ったことがあるが、賢明なおまえはできるだけそういうことをしないほうが良いだろう。

そこで言外に意味されているのは、「おれが重要だと思っていることと、おまえが重要だと思っていることが違う」ということなんじゃないかとおれは思う。そう捉えなおしたうえで、これはただの立場の違いだなと思ったら、華麗にスルーして構わないだろう。

■ おまえはどっちかと言えば、マジなセンスを磨いたほうがいい

今日述べてきた通り、それらしいことは言ってみたものの、結局センスというのは曖昧でよくわからないものだ。それについて思い悩むぐらいなら、別の意味で本気でセンスが磨けそうな、美術館に行ってみたり、風光明媚な場所を訪れたり、名作映画を見てみたりといったことに貴重な人生の時間を使ったほうが良いだろう。

むしろ、そういう経験こそがおまえを、ユニークで愛される、総合力の高い公認会計士に育ててくれるに違いないとおれは思う。別に一生監査するとも限らんしな。

今日はそんなとこだ。

誠にありがたいことに、最近サポートを頂けるケースが稀にあります。メリットは特にないのですが、しいて言えばお返事は返すようにしております。