見出し画像

アレデライフ!(5)

8. お湯、水、廃墟の便所掃除。


市民プールのシャワー室。入場券を券売機で買った。コンビニで買った一泊用のボディソープとシャンプーを、カバンの中に入れている。ついでに洗いたい下着類も。

ドキドキしながら入った。
周りを見回さない、ということだけ気をつけた。頭を固定した感じで、すごくドキドキしながら入った。
バスの運転手も、入り口付近の守衛さんも、私に目をやる、ということがなかった。何かの力になってくれそうもない通りすがりの人に、目をつけられたくもない。むこうも「面倒ごとは見ないふり」でやりすごす習慣は持っているだろう。

シャワー室のお湯は、ひたすら気持ちがよかった。
人肌のお湯に触れると、ニンゲンって生き返るんだ・・・・・・ということを知った。
「じぶんがべとべとしていて、くさい。ところどころすっぱい」という状態から逃げるように、がしがし、洗いはじめた。

洗い始めの勢いや強さは、途中から無理・無駄と悟った。

そっと、そっと、なでるように復旧しないとだめなほど、いろいろな汚れがかたまり、こびりついていた。

自分の髪の毛からうしろ首からへそあたりからあちこち、洗いに洗った。汗と垢が固まってこびりついてまた汗ばんだあとは、一度や二度洗っても、気持ちよさは戻りはしなかった。湯を流しっぱなしにしてあたって、ふやけたころに三回四回洗って、やっと人心地がついた。

人心地がついた、ということは、いままで「人心地」をどこかに封印してた、ということだ。

おそろしい。

人は、気づかないうちに、人でなくなっていく。
運よく気づける何かがなければ、気づかないうちに壊れていく。


ドライヤーは使わずに、濡れた髪はプール上がりの子供みたいにタオル帽子っぽくつつんで出た。
包んだタオルは、すぐ外してしまった。
風が、気持ちよかったから。

荒れ寺へ帰ってきたとき、寺の外に置いてある水道メーターの周囲が「きれい」だということに気づいた。
検針員・・・・・・?

来てる   ?

来てる? ときどき。

さすがにこの寺の水道メーター検針票を自分の家で見たことはなかった。ということは、どこの誰名義でガス・水道の契約が結ばれているのだろう? 契約者が水道を止める申し出をしていれば、水道は止まっているはず。そして、検針員も来てないはず。


私は市民プールのシャワーのおかげで、少しだけまともになった頭を使おうとした。

検針員が来てるなら、水道を通してみようか。

もしどこか管がイカれていてぶっしゃあーーっと水が漏れたなら、それは水道局または水漏れ修理サービスが新しく管を変えるか、栓を止めるかすればいいのだろう、というだけの話。
栓を開いて、放置してみる価値はある。

さて、面と向かって根掘り葉掘り聞かれたらどうするか。

「詳しいことは知りません。私、アルバイトなんで」
……これでいこうか。

頭が回るって、こんな方向性じゃない気がするけれど。


市民プールのシャワー室はたしかに使える。
使うとしても、往復3時間の仕事になってしまうのは課題だった。歩いて、バス待ちをして、バスに乗って、また少し歩いて目的地にたどりつき、という行程が往復分。
7日に1回3時間。本当は、4日に1回の頻度がいい。そこは保留。


何時間ぶりかに開いたネット画面には、
「トイレのリフォーム、59,800円」。
いちど検索したら最後、しつこくしつこく出てくるプッシュ型WebCMの美しいトイレ写真に「はあーーーっ」てなりながら、私は内心

まてまてまてまて

と自分を止めていた。59,800円のトイレじゃない、これは。内装フル変えてあって、掃除の手間が最小、ってのがウリの最新型。どう考えたって20万円台の写真を、最安値工事価格59,800円と合わせて、「誤認」させようとしている。
こういうのに引っかかってはいけない。

だいたい、工事の人としゃべれるコンディションではない、ということを、私は思い出した。プリント係ともさほどしゃべりたくないのに。
人としゃべるのと、この廃墟のトイレを掃除してみるのと、どっちを取りますか?
さあどっちとる?

うん、掃除だな。誰ともしゃべりたくない。誰にも会いたくない。廃墟のトイレ掃除のほうがまし。


掃除具と洗剤はさすがに、コンビニでは売っていないだろう。私はドラッグストアにでかけてみた。
トイレ用洗剤ではなく、住居全般に使える、「お掃除屋さん推薦の業務用強力洗剤」というやつを買った。メラミンスポンジも。

驚いたことに、水道の元栓は閉められてはいなかった。トイレタンクのレバーを手前に引くと、斜め向きのままレバーが固まったが、水は出てきた。

レバーを垂直に戻した。
タンク内に水がなかったらしく、便器側へ水は出てこなかった。タンクへの水は流れつづけて、やがて止まった。
おやおや。機能している!

私は買ってきたメラミンスポンジを小さくちぎって、ちょっと濡らして、タンクの上側の手洗い部分をこすってみた。
陶器の白さが、ある程度復元できた。

へええ、と思って、こんどはビニール手袋をして、便器側の汚れをメラミンスポンジでこすってみた。
手袋は大事だ。よく昔の記事で、素手で会社の便所を掃除する社長さんの話なんて出てくるけれど、ここは私の会社じゃない、廃墟の寺のトイレだ。休眠していた奇妙な伝染病ウィルスなんかが水で起きて、気づかずできていた手の微細な傷口から入り込まれたら困るもの。

とか思いながら掃除していたら、あっさり汚れ水が手袋の中に入り込んできた。ああもう!

そして、メラミンスポンジと洗剤では、まったく落ちない茶色のがじがじした汚れが残った。


これをどうしたものか・・・

ふと、コンビニのおじさんがスクレイパーで駐車場のガム汚れを掃除している姿を思い出した。
陶器に傷がつかないなら、金属でこすり剥がしてみようか。

工具にこんな役目させるのは悪いけれど。
パパの工具セットには、ニッパーもプライヤーも入っていた。針金ペンチなら隙間に入りそうだった。

うえっ、となるような気持ち悪い茶色いこびりつきが、なんとなくとれはじめてきた。こちらへ跳ねてこないように顔を遠ざけながら、がりがり、がりがりこすってみる。全部は取れないが、だいたいいい感じ。

水を流した。驚いたことに比重が重いらしく、茶色いがべがべの破片は、下に沈んだきり残っていた。

なんだか、わめきたくなった。

「うわああああめんどくさい!」
急に言葉がほとばしって、私は自分でびっくりした。
めんどくさい。

ああ、私に両親がいたときは、私は「めんどくささ」から毛布一枚分、遠ざけてもらっていたのだ。

「おとうさん!おかあさん!めんどくさい!ド畜生!!!」
わめいてすっきりするなら、何度でもわめいてやる、昼だし。
もっと悲しくなってくるだけで、なんにもすっきりしなかった。

いちおう澄んできた水にペンチごと手をつっこんで、汚い破片を粉々に突き砕いて、こんどこそ流した。
今なら、今なら、だれかを殺して体を解体してトイレで流しちゃったどこかのイカれ野郎の思考の1000分の1くらいはわかる気がした。

世の中は治安のよいところと危険とストレスに満ちているところがまだらにわかれていて、どんなに優しい人だってこういう境遇に3年も5年も10年も詰められたら人でなしになる。

そういう人でなしを見分けて避ける、というのも、「生きていく」って流れの中のパーツの一つだ。

トイレの掃除で私が気が付いたのは、そういうことでもあった。
「生き延びる」のは夢だ。実現不可能レベルでわかんないことがいっぱいある、夢だ。
落語の「寿限無」風にいえば、
「くう、ねる、すむ」
3つで済んでいる言葉が、今のわたしには、とても難しいことの塊だったのだ。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!