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「男親ってそんなもんかもな」で問題をずらしてみようか。

たまたまパパさんは、半年ぐらいの時間があって→「成功率38%ぐらい」の賭けに応じた→1回生着して→1年弱の時間があって→結局死んだ

という経過をたどった。


がん、という病気はその人の本質をあぶりだす、とよく言われる。
「怖いから」という理由で主治医説明にも付き添ってくれない冷たい夫とか、「これがいいと言われたから」と次々エビデンスもない無責任な民間療法を押しつけてくるおせっかいな外野に完全同調して外野化する妻とか。
患者に寄り添ってやれる暖かさや勇気や愛のない仮面家族。という本質をあぶりだす。

血液のがんである白血病は、患者本人と家族への「やるべき事とべからず集」がハッキリしてる分、逆のあぶり出しが起こる。

やたらと自費の持ち出し(紙オムツだの雑菌排除のペットボトル飲料だのタクシー通院だの)、白血病は「経済戦」と言われる。医師と看護師に言われた通りの患者のリクエストを聞いていると、貯蓄はあっという間に底をつく。
厳密な感染症対策を、同居の小さい子供までが強いられる「家族総ストレス戦」が、つごう五年の一安心までは延々と続く。

僕が間に合わない日は、お姉ちゃんが中学を早退してまで、パパさんに着替えと飲料・おやつの差し入れを持っていった。とうぜん、お姉ちゃん弟くんの勉強は誰も見てない、塾代もない。生活習慣も僕が1年かかって生活時間割を組み立てさせてもボロボロ。
これだけの犠牲を子供さんたちに払わせておいて、

子どもへの声かけ「ありがとね」「ごめんね」は通りいっぺん、自宅療養中にもさして深い話はなし。

僕なんか、それまでの生活をも転職でぶっ潰すはめになった「単なる親戚」なんだけど、
ついぞ

「お前の人生めちゃくちゃにしちゃったなあ。ごめんな」

と、言ってもらわずじまい。
(そこ、言えたらそもそも、パパさんじゃないんだけどね!)

パパさんは自分の恐怖に目が釘付けで、自分のリハビリとか自分の恐怖の紛らわしに1年半を使い尽くしちゃった。子供さんたちのためになる書きつけ、何もなし。

子供さんたちの生活と教育や将来、直面した不便や不自由、経済を自分一人でさらって行って、世帯が準保護に落ちてること。

苦しい中でも「家がどんくらいしっちゃかめっちゃかになってるかは、隠さず教えて?」と言える人がいたら、僕はほんとに尊敬する。そしてそういう奴はいる。でもパパさんはそうではなかった。


奥さんが妊娠・出産・育児で死にそうになってるのに不倫する奴と、「子供ができるとなぜオンナはあんなに邪険になるのか?」を第三者に聞いて学習と分担介入をする奴との違いに、根を同じくする問題。

ああいうのって、他人が予想外の事態に陥ってる時、「説明できないけど困ってるよね?」と推測できるかどうかは、単なる教育訓練、獲得可能なスキル。

一年半を、看病する側に何もかも押しつけて自分の恐怖と可能性にたっぷりひたりきるか。
一年半を、家族という車からエンジンと車の片輪であった自分が急に離脱しちゃって、家族はどんだけ困ってるか、という部分を一緒に持とうとして、「この人を頼れよ」「この人にも声かけてみて」と、人脈の提示なんかもしてやれるか。

そこで、ちょっとだけ、病との付き合い方、家族ぐるみでのしのぎ方、が、変わって来るとも思う。
看護してる側からしか言えない、気づかない患者は一生気づかない話。

だって

「家のことはいいから、治ることに集中してね」

以外のセリフを、だいたいの人は、持ってないしね。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!