見出し画像

頭はひとつ。手は、二本しかありません。【物語・先の一打(せんのひとうち)】16

出かける支度はととのった。
高橋は「あ。今日はそれじゃ寒いよ」と、奈々瀬に声をかけた。そしてクローゼットから自分と四郎のマフラーを出して、四郎に渡した。

四郎は一瞬、二本のマフラーを両手で持ち比べた。

高橋は、高橋のマフラーを四郎に寄せて、四郎のマフラーを持っている四郎の手を、奈々瀬の方に傾けた。
「奈々ちゃんとつきあってるのは、四郎。僕は、奈々ちゃんのパーソナルスペースには、入らない。位置関係の違いをこれからどうしていくか、なんとなくわかる? 僕も調子に乗っていろいろやらかすかもしれない。あれっと思ったら言ってくれ。四郎も、奈々ちゃんも」

四郎はうんうん、とうなずいた。
奈々瀬は四郎からマフラーを借りようとして、出会った昨冬と同じように四郎がマフラーを巻いてくれるのを、そのままうけとった。


シルバーのA4アバント、実は高橋の所有ではなく「中澤経営事務」の営業車扱い……の車は、後部席に奈々瀬と四郎を乗せて走り出した。
飲み物とおにぎりは持ってきた。途中のスーパーで食料を買い増し、車は走る。

後部席で奈々瀬の大丈夫な方の手と、手をつなぎながら、四郎が口を開いた。

「なあ、もうひとつ気になっとること持ち出すとさ。俺の方の、家出て一人暮らしてって問題も、もう先送りできんやん」

バックミラー越しに高橋は答える。

「んー、僕が考える分には、まだ正面切って独り暮らししますって宣言できる状態ではないんじゃないか。

反対にね。四郎の方は、有馬先生のお宅への出張とか、宮垣のジジイのトコに泊まりこんだりとか、ぼくんちにたまに顔を出したりとか、仕事がらみの外泊が先々月は十二日あった。

仕事を口実に、実家に戻らずうやむやにする作戦は、予想以上にうまく行ってるだろ。だから、猶予期間が長くとれると思うよ」

「うん、たしかにうちの親父は、理由が仕事やと、満足そうにさっせる」
四郎は、自分の良心が持たない、という口ぶりで答えた。

「猶予期間を長く取りたいのは」高橋はゆるーりとハンドルをカーブに沿わせながら、四郎に話しかけた。

「今のところ、宮垣のジジイの言い分では、お前の中のご先祖さまたちが暴走するのは二十二歳か二十三歳まで伸びている。そっちのタイムリミットはギリギリを脱した。

一方で、奈々ちゃんが十八歳になったときね。ほかの、ご先祖さまの好みのタイプの女性同様、 ”エサ” としてねらわれちゃうのかどうかが、現時点では読めない。

つまりお前の問題は、奈々ちゃんが十八歳にすごーく近づいてみないと、 ”その場合どうしたらいいか” が、今はわからないんだ。無事に会っていられるのか、無理なのかがね。

だったら、最大一年と二週間、少なくともしばらくは、奈々ちゃんの存在を親御さんに隠して構わない。少なくとも僕はそう思ってる」

「うわー」四郎は自分自身よりも、ご先祖さまと「奥の人」たちのざわざわを感じながら声を上げた。何だろう、この「軍師が進言する迂回ルートが斬新すぎて感動している」様子は。

高橋が「奥の人」にものすごく気に入られている理由の一端がわかった気がした。策士だからだ……
それを「卑怯」と感じてしまう自分のものさしを外そう……四郎はそう決意した。


細い道をうねって、車は峡谷へ達する。

「あーあーあ。やっぱり冬らしーい景色だなあ。別んとこいく?」
高橋の問いかけに、二人は「ここでいい」と答えた。

粘土色の水と、岩肌らしい岩肌。
寒い寒い日の水と崖が広がる。

三人は車を出て、ベンチで温かい飲み物を飲んでみた……が、寒すぎた。
「さぶっ!」と言い合いながら、車に戻った。みじめで、気がめいって、少しだけ楽しかった。ちょっと情けなかった。

「一生懸命でかっこわるくて青春って感じだな」
震えながら高橋が言うので、四郎は「なにそれ」とつっこんだ。
「言われたんだよ。君たちの年頃だと、かっこよく決まったほうを青春だと誤解するが、かっこよく決まることは万に二つぐらいしかない。残り九千九百九十八のほうのかっこわるい方が本当の青春だ。それは青春時代を喪ったオジサンが君に教えてやれるヒミツだって。そこで、一生懸命であること。って」

「うっそー。俺なんか忸怩たる思いとか失意とか疎外感とか挫折感とかばっかやん」

「青春バンザイらしいぞ、それ」

言われても全く同意できない……
四郎はそうつぶやき、高橋も、「実は僕もだ」と白状した。


車の中で峡谷のどんよりした水を見ながら、高橋は話した。

「あのね。現状把握せずに一足飛びに未来を語るのは、まあ思いつきベースでやったってかまわないが、必ず現状把握に戻るようにしよう。

落ち着かないのはわかる。すごくよくわかる。でもね、グッとこらえて、これからどうするかの前に、今、どういう状況で、実は手にしている材料は何なのか、まず整理しよう」

高橋の話に、四郎と奈々瀬は黙って耳をかたむけた。

「僕も、四郎も、奈々ちゃんも、下手に賢くて器用なんだ、オーバーフローしてもやりきろうとするんだ。でも僕、飲食の客先ですごーくいいことを言われたことがあってさ。弁当屋の主任のおばちゃんが言った。

『どんなにがんばったって、手は、二本しかありません! 頭は、ひとつしかありません!

片手をあけて、もう片手で何かを持つ。処理は、それでいっぱいいっぱい。

それ以上の同時進行は、なし! わかった?』

って言った。その瞬間、僕は自分にも他人にも、多くを求めすぎてたんだなあ、って思ったんだ」

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!