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クリームイエローのフレアスカートがひるがえる。ーー秋の月、風の夜(30)

松本の額田(ぬかた)家について、ドアチャイムを押そうとするなり、奈々瀬が玄関からすばやく出てきた。「こんにちは」
「来たのが、よくわかったね」……待ち構えてたかな、と高橋は思った。

当初高橋は、玄関口でいきさつを話そうとした。それをさえぎって、奈々瀬はドアから出た。クリームイエローのフレアスカートがひるがえる。鍵をかけ、それからもどかしそうに、はんぶんつっかけた靴を履いて、駐車場を指さす。細い指……

「家から、先に離れたいんです。お話、車の中で聞いても、いいですか」
「どう……あっ、お母さん今、家なんだ」
「シフト勤のあと昼まで寝てるんですけど、あのひと、気配で頭いたくなるから……」

あのひと、という表現に、わずらわしさと、かすかな怒りが混じる。むの字につぼめた口もと。へえ、と高橋は思った。
(無敵そうにみえて、奈々ちゃんはお母さんが弱点か)

相容れないものと衝突するばかりの自分に疲れたのだろう。奈々瀬の母親は安春や奈々瀬とのぶつかりあいを避けるためにか、生活時間のずれる仕事……という、根本解決にはならない逃げのような打ち手を、もう何年も使っていた。
昼ごろ、奈々瀬の母親は家を出て、夜十一時前に帰ってくる。そして、朝は寝ている。

高橋は先に歩いて、助手席のドアをあけた。
「助手席、はじめて」奈々瀬がこっそり、高橋にささやく。
シートベルトをしめたのを見て、高橋は手早く、シルバーのA4アバントを額田家から物理的に離した。

「車が停まって、また出たな、なんてこと、お母さんは気づくの?」
「……おおざっぱな人だから、起きなければ、たぶん大丈夫」言ってみて、奈々瀬はほっとした。「こんなハナシ、ごめんなさい」
「なんでも聞くよ。他人に話せてないだろ」
「……そうなんです。……苦しかった」

母のことを話し始めるかと思いきや、四郎の話に移った。「助手席、四郎が乗ってたでしょう」
「何でわかるの」康さんの様子を思い出して、高橋は含み笑いをしつつ、聞いた。
「あのひとのにおい。気配も」

(へえ、やっぱりそうなんだ)

高橋はしかし、奈々瀬の次の言葉に驚いた。
「それにね、座るときまっすぐ前向いてない。シートに、こんなふうに座ってる」

「……えっ」
運転しながら、どういう風にかは見られない。それで奈々瀬は、両手を使って言葉をつけて、説明しなおした。

「高橋さんのほうに四度傾いて……高橋さんのほうに体を開いて、座ってる。すごく頼りにしてるみたい」
「……知らなかった」武道家が座席やフロントガラスに正対していないのが、どれほど特異なことかぐらいは、高橋にもわかる。

「ひとりで何でも片付けるみたいに見えてるでしょう。四郎ってほんとは、すごくさびしがりやさんで甘えるのがへたで構える人で、だからひとりで何でもできそうにみえちゃう。損な人」
「あはは、そうだね」

急に、運転席に日ざしが入った。ちょっとだけまぶしそうに、高橋が目を細める。
(いけない……)奈々瀬は、高橋の横顔に見とれそうになる自分を抑えて、助手席でうつむいた。


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マガジン:小説「秋の月、風の夜」
もくろみ・目次・登場人物紹介

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!