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ねえ。なにかあったでしょ。【物語・先の一打(せんのひとうち)】15

《前回までのあらすじ》 額田(ぬかた)奈々瀬は、松本に住む女子高生。両親のケンカを止めそこね、感情暴発した母親に怪我を負わされた。初恋相手の四郎……の親友・高橋照美の名古屋の家に、緊急避難しているところ。

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脇腹の打撲の塗り薬だけは別の部屋にこもって塗り、奈々瀬と四郎は再び食卓に戻ってきた。奈々瀬の細い手指の傷に、四郎が包帯を巻いていく。

「脈打たへん? きつすぎたらゆるめるで」

四郎の言葉に、黙って奈々瀬は大丈夫のそぶりをみせる。痛めた指の、節の部分が不用意に動かないような包帯の巻き方で、手首も巻いておく。

「奈々ちゃん、今日はゆっくりすごす目的が二つあって」
高橋が言った。
「ひとつはさっき言った、奈々ちゃんが今までどっぷり漬かってた前提から抜けること。
もうひとつは、 ”自分にとって害になるつじつま合わせを脳にさせない” 、ひっくり返して言うと ”自分にとって今と、過去と、将来が幸せであるようなつじつま合わせを、脳にさせる” 。ここの仕事の着手だ。実は僕は、こっちの方がデリケートで重要な仕事だと思っている」

奈々瀬が小首をかしげた。
高橋は、ひじをテーブルについて頭を手のひらで支えながら、考え考え、少しずつ話した。

「僕が仕事で今まで会ってきた人の中で、すごくうまく行ってる人とうまく行ってない人がいて。違いは、ここにあるんじゃないかな……という仮説を立てていることがあってさ。単なる仮説だよ?

自分のライフワーク(生きがい)やライスワーク(生計業務)がうまく行ってる人は、自分と家族と親御さんについて、傷が乾いている、と表現するといいだろうか。あっけらかんとしているんだ。

ある人は ”うまく行ってる人は、だいたい親に感謝をしている” という単純な表現をしているんだけど……それだと、親に恵まれてればうまく行くんですね、というすねたロジック(理屈づけ)を許してしまう。そうでもないんだ。

親子関係が恵まれてないケースだと例えばね。生き別れ、死に別れ、破産後の三社目、一家離散、虐待、里子に出された、絶縁して十年以上音信不通、そういうケースも含めて、うまく行ってる、と人に感じさせる人は、自分に絶望しておらず、親を恨んでいないか、または恨んでもしょうがないとさらりと表現するところまで到達しているか。そんな感じなんだ。絶望や恨みや怒りを、もはやかかえていない、と表現すればいいだろうか。

自分と家族と親が、記憶の風景の遠い近いは違えど、ある種の幸せの風景の中に肯定されている。たとえ親や家族が点みたいな遠景になってても、幸せ感がある。

”正直、刺し違えようと思ったことは何度もあったよ、でもそれだとそこで終わっちゃうしね” とか、 ”生んでくれたことだけは感謝してるよ” とか、 ”感謝してなくても、感謝が深いんですねーなんて人に言われるから、感謝だよね” みたいな表現をする人もいて、つまり執着がなくってあっけらかんとしている様子。そんな感じなんだ。

どんな苦しい時も幸せをみると決めた、こだわっている場合じゃないと決めた、という決断派もいれば、親といえども体は別々なんだから他人だよー、みたいに、親子感覚が薄くて軽い飄々派もいて、そこはさまざまだ。

反対に、 ”誰も悪くないよ” と短絡して記憶を閉じてしまっているケースは、仕事でもしんどそうにしてるし、プライベートでも一人だったりして、うまく行っていないんだ。

折り合いがついていないにもかかわらず、折り合いがついちゃったようにしているケースはね。奥で傷が手当されないままなんじゃないかな、誰にも傷を打ち明けていないんじゃないかな、と感じる。

そうして、最もうまく行ってない人たちはね。

親を恨んで自分にもダメ出しをしている、または自分と向き合うことができなくて、自分で自分の気持ちを切り離すほどひどい状態にある。

自分へのダメ出しが強くて、それに耐えられないから親を原因とせざるを得ない、そんな悪循環というか悪膠着というか。そこから出ようという発想すらない人もいる。そのレベルで苦しむ人は、そもそも仕事が長続きしない。人間関係がなにかしらこじれるんだ。自分から毒を吐き続けたり、約束を守れなかったり、自分と向き合えないから依存症をひどくしたりする。

もうひとつ、数でいうと、別居も選択しないでものすごい愚痴不満ダメ出しを言いながら同居しているケースが一定数いて、そのカテゴリーは、完全にうまく行ってはいないけど、仕事が奇妙な形で長続きする。職場のお荷物になっているが、解雇されないので職場にしがみついていられるんだ。別居を選択できないように、同じく転職も選択できないケースだ。


うまく行ってる人たちが、自分へのダメ出しをしなかったかというと、そうでもない。昔は自分のこと大嫌いだった、と語る人は少なくない。そこで止まらないことが大事らしいんだ。

で、ここが重要だと思うことはね。

脳への記憶のされ方は ”お話の流れ” が肝心なんだ。何か意味のわからないことが起きた時、人間は意味をつけないとおちつかない。そこで自分と他人の境界線を越えることを、ぐっとこらえるんだ。お母さんが意味のわからないことをした。お母さんも意味がわからないのかもしれない。私には意味づけはできないし、してあげる必要もない。そこを越えて背負わないことだ。

背負うために生まれてきたという意味づけが、とても人を不幸にする」

「それ俺やん」四郎が、形のよい口元をへの字にして呟いた。高橋は「僕も」と返して、四郎の手の甲をぽんぽん、と叩いてつづけた。

「意味づけがなくておちつかないなら、自分にとって都合がよくて、幸せで、生きがいや生計業務や人間関係がうまくいくような意味づけをする」

高橋が話の最後に「うまくいくような意味づけ、つまりお話を作っちゃうってことだな」と言った瞬間、四郎が息を呑んだ。


「なにかあったでしょ、先週」

奈々瀬が四郎にたずねた。唇の切れていないほうの端で、腹話術のように、ささやくように。四郎はあいまいにうなずいた。

「先週?」高橋は意外そうな声を出した。「……言われてみればお前、先週からぐっと口数が少なくなった。仕事が忙しいからかと思ってた。違うの?」

「先週、社長とお前が銀座に連れてってくれたやん」
四郎は死刑の宣告を受けたような表情で、話した。


「……あの日か」

高橋が、ああ……という顔をした。「お前が、カルメン・バルセルスの写真を見て、これだれ? って言った。……あのときからか」

銀座のマスターの店は、カウンターで飲む小さな小さな店だ。
楷由社(かいゆうしゃ)の樫村社長が、高橋に挿画の仕事を打診したとき以来、高橋と樫村はそこで会っていた。

仕事の打ち合わせをしたときも。
月刊の読みものにとっての挿画とはどういうものなのかを話したときも。
おじの号価格からぐっと単価を上げて、高橋が値上げ交渉をしたときも。
樫村はずっとずっと、その店を気に入っていた。本拠地の岐阜と名古屋を離れて東京へいくときは、二人はそこで落ち合っていた。

その樫村と高橋が、四郎をとうとう銀座の店へつれていったのだった。

ノンアルコールの飲み物のなかに、炭酸水もミネラルウォーター各種もある。ソラン・デ・カブラスを注文して、ふと四郎が、カウンターのうしろのちいさな額を見た。

キャンドルや本立てと一緒に、棚に並べた小さな額。

大柄な中年の女性が、鮮やかな筒っぽの寝間着みたいなドレスをがっぽりと着て、まっすぐにこっちをふりむいて立っている。
その写真の中年女性の目に、四郎は吸い込まれるように視線を合わせてしまった。そしてどうしてか、「……はい」と、口の中でつぶやいた。

ややあって、
「こ……の人、だれ……?」

四郎はまるでひとりごとのように、そうたずねたのだった。社長の樫村が教えた。

「カルメン・バルセルスだ。ママ・グランデ。ガルシア・マルケスや、いろんな作家の出版エージェントだ。ベッドに寝転んで、原稿を読むんだよ。おもしろい原稿は、ご主人と一緒にね。世界中でいちばん、面白い物語を探し出す名人。二十年も三十年も前から、ノーベル文学賞作家を探し出す名人……もう、死んでしまった」

そのあと、四郎はずっと、黙りこくっていたのだった。

どうやら、いつもなら社長の樫村に、「教えてくださって、ありがとうございます」ぐらい伝える礼儀正しさが、どこかへふっとんでしまうほどのことだったらしい。


改めて話を聞く高橋と奈々瀬の脳裏に、極楽鳥花のような鮮やかな色が、ぱあっと広がった。四郎が描写すると、本人は文字しかあやつっていないのに、ときおり受け手の脳には映像が広がるのだった。
たぶん、カルメン・バルセルスがそのとき写真の中で着ていた、筒っぽの寝間着のようなドレスの色がそれだった。

「そのとき、ほんとはなにがあったの」
奈々瀬は、大丈夫なほうの口の端で、四郎にささやくように聞いた。
それはまるで、ミューズがよこしたニンフェがささやくように、透明で楚々として色っぽかった。

「写真と目が合って、話しかけられた」四郎は暗鬱な表情で答えた。

「写真の人がさ。……日本語やないんやけど、どっかの言葉で、 “あら、あんたおもしろいもの書くのね” てって言わした。なんというか、その、あんたおもしろいもの書くのね、てって、確認というか断定というか命令というか」

そして四郎は、なつかしい歌の思い出にため息をつくように言った。

「俺あの時、当然です、てっていうニュアンスで、はい、って返事した」

言い訳のようにつけたした。「俺、人の原稿読むことしかできんやんか」


羽根のようにずしりと居座ってしまった、やわらかいことばの記憶……
そっと、血潮の吹き出るくさびのように打ち込まれた、やわらかい言葉。

あら、あんたおもしろいもの書くのね。

――ぼうや、ペンを動かしなさい。キーボードを叩きなさい。
紙の中でしか生きられない人たちが、この世の果てで待っている。


「じゃあ、ひとりだけ読者がいれば、なにか書ける?」
奈々瀬が聞いた。「ちょうどいいわ。私、四郎の押しかけアシスタント兼読者をやるために、うまい具合にお母さんに殴られたことを口実に家を出てきた、そういうことにするわ」

四郎が無言で固まりつくした。

「これからどうするかは考えずに、今日一日、ゆっくりしよう」と言ったそばから!

――おはね。かわええな。躊躇せやへんでかわええ。

四郎の中にぎゅう詰めになっている、不浄霊の「峰の先祖返り」のかたまりーー奥の人ーーが、満足そうに唸った。


「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!