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わきまえておくんだ。本人の中で何が起こっているかが、わかる人はいないことを。【物語・先の一打(せんのひとうち)】31

夕飯のさそいを「すいません急ぎの仕事から抜けてきたので」と断る。四郎と高橋はとにかく車に乗り込んだ。そそくさとシートベルト。

「ごめんお母さん、稽古着、洗濯機のとこおいとくで」見送りに出た母親に謝って、四郎はもう助手席で目をつむる。顔をおおう。両手でぐぐっと身をつかみしめる。

「漬物と佃煮と、冷凍の鮭の切り身包んでくれたよ。ごめん、今言う事じゃないな、聞き流してくれ」さっさと発車してから、高橋がそっと報告した。

「そうか」(ありがたいけどかなわん、今は)

四郎はぎゃーぎゃーざわざわずるずるべちゃべちゃわいてくるご先祖さまに「はい。何にもなし。あれは人間です。人間同士は共食いしたらあかんの。 ”エサ” やないの! 首折ったり血飲んだりしてええ相手やない。静かにして」と言い聞かせながら、「理屈の通らん人ばっかりや……」とあえぐようにこぼした。

何がいやだといって、自分の内側の嵐が緊急事態つづきになって、漬物も佃煮も鮭も稽古着を洗ってもらうことも、まったくねぎらったり感謝したりの余裕を持てないのがいやだ。

受け取ったり味わったり幸せをかみしめたり「どころではない」。冷や汗と呼吸困難で叫びだしそうになっているのだから。毎回、毎回、見えない自動車にひかれなおしているようなものだ。

体のケガなら血まみれなのが一目瞭然で、第三者にも、漬物どころではないとわかってもらえるだろうに……

本人の中でどれだけの緊急事態が持ち上がっているかは、脳の信号も体感覚も痛みも吐き気もフラッシュバックも、検知できるのが本人ひとり。

はためからは、まったくわからない。

そういう状態から少し落ち着いて、呼吸ができるように目を開いていられるようになったところで。
前向きと後ろ向きとのひっぱり合いを抱えたままでも、自己開示をしよう、他者とつながっていこうというせめてもの前向きさを、バッサリ切って捨てる人間はたしかにいる。
自称してコミュ障、発達のでこぼこ不定型、人見知り、引っ込み思案、ぼっち……という仮の名づけと過程とをかろうじての手がかりに、この痛みとのたうちまわりと葛藤の泥沼からはいずり出ようという試みを、ただの甘えと誤解する人間はたしかにいる。

第三者にとっては、苦しむ本人の中で何が起こっているのかはわからないまま、そこに緊急事態がおこっている信号は押し寄せてくるので、認知の不協和だけ感じて不快になるのだろうか。

第三者はおびえ半分イヤ感半分も手伝って解決策のなさに憤り、「いい加減うんざり」「わがまま」「自意識過剰」「自分が大好きなだけ」と意味づけしようとするのだろうか。

全身の神経と皮膚の痛みと呼吸の止まり具合と汗と気分の悪さとめまいとを、ぜんぶ移植されてみるといい。一瞬で自分がどこまで無知で冷酷で想像力が欠如していたか思い知ることになるだろう。

そこまで健康なことはうれしいだろう。
想像力のないことを非難はしない、想像しようにもそういう体験はしてないのだから。
自分と自分の最愛のものがこういう目に合わずに人生を送れることはうれしいだろう。幸せだろう。あたりまえでどんなに尊いか気づかないだろう。

ただでさえ認知の不協和を起こしていっぱいいっぱいな「健康な人」に、「わかってほしい」などと望むのはムダだろう。
それこそ無理じいなのだろう。

そっちへよそみしていないで、うらやましがらないで自分事を片付けねば。
わかってほしい、わかってくれないなどと泣き言を言っていないで。

わかる人は誰もいない。長居をしてはいけない世界だ、自分自身も深くわかってはいけない、ただ一心に治っていかなければ。

ただここから一心に脱出せねば。
脳の、体の反応の数々を消していくことに集中せねば。
なにかあるたびに自分の内側を跳弾が飛び交い、赤むけの皮膚に塩泥をすりつけられなおすような状態を、一刻も早く抜けねば。

自己卑下をとりのぞき。
ふつうこのぐらいできるだろうという基準を捨て。
できてあたりまえという自己虐待を捨て。
自己嫌悪をやめ。
怒り、憤り、失望を取り除き。
失意に慣れたりしないで。
あきらめることを捨て。
すねたりせず。
羨望みたいなよそみをせず。
自嘲せず。
ただ自分のケアに集中してやらねば。

知らないからといって嬉しい、楽しい、幸せ、感謝、喜びをたたき出したりせず。
嬉しい、楽しい、幸せ、感謝、喜びと仇同士のよそもの、はぐれものでいることをやめて、そっちの世界の住人になれるように。



四郎が息を吐いた。その息は震えていた。



そもそも、予防という観点が薄かった……

「何がどういう流行のしかたをしとるか、知った時点で、俺が自分でどういうお客さんが多いか、ピンときて、演武ことわるべきやった」
なぜその程度の知恵が回らない! 四郎は自分自身に憤る気分を感じた。これも跳弾のひとつだ、あらゆる感情の浮き沈みを、もとからなくしていかなければ、傷を負いなおす一方だ……

「まぁそれはあるが、根本的にご先祖さまたちが体から抜けきってくれればいいんだ、自分を責めるな」

高橋は左ウィンカーを出しながら、一瞬言おうか言うまいか迷ったらしい。結局、「この先ちょっと回ると、引っ越し好適物件二号と一号が両方見られるんだが、数分後に見てみることはできそうか? かなりムリ? もっとずっと、全然それどころじゃなさそう?」と言った。

「少しすればおちつく……見てみる……なあご先祖さまんらなあ、静かに……」

四郎はついに、「すまん高橋、ちょっとおそがいようやったら、車止めて」と高橋に話しかけた。

「たぶん大丈夫」高橋はハンドルにしがみつきながら言った。「 ”奥の人” が、風よけのような感じで間に入ってくれてるから。まるで防火扉みたいに感じる」

なんやかんや言って、「奥の人」は高橋には時々こういうことをする。
こういうことをしながら、命をとろうが身体がぐっちゃぐちゃに潰れようが知ったこっちゃない、という心もちも持ち合わせていて、死んで悪魔のように癒着しあってしまった武家の若頭領たちは、やはり理屈は通らない。

このごろでは高橋も、「奥の人」や「ご先祖さま」たちの独特の世界観と独特の価値観については、へたに理解しようとしないで済ましていいのだろうと思っている。四郎の父親の徹三郎の独特の理屈についても。

四郎はついに、ぐっと深く息を腹に落として、凄惨な声いろで言った。

「ええ加減に黙れ!」

自分の内側のぐちゃぐちゃずるずるひっひっわさわさ……のたくりまわるご先祖さまたちに、最終通告のように告げた。


しん、と静まり返った。


草木も眠る丑三つ時、というたとえがよくある。
そういう空気が一瞬で車内に満ちた。


いやな静まり方ではあった。今に見ておれよというような不満感が一割、二割。「奥の人」は、ふふんと鼻でわらうようなようすだった。結局威儀を正して威力迫力でおさえつけるなら、最初からそうすればいいのだ、と。

「 ”奥の人” なあ、もうそういう時代やないやろ!」

堪忍の限界を超えたらしい。珍しく四郎が癇癪を起こすように言った。
そして黙った。


四郎は助手席で浅い息を繰り返して目をつむり、高橋は窓を開けて夜風を入れつつ、運転を続けた。



「やさしさとか人間らしさとかいうやつは、どんなもんなんやろ」と、窓の外を見ながら四郎はつぶやいた。だいぶ落ち着いたらしかった。

「お前のなかにもともとあって、ノイズをちまちま、ちまちま、取り除いていけば聞こえる歌のようなものだろう。ないものに憧れる気分を強めずに、あるものだという前提で行ってみよう」

高橋は(こわかったぁぁぁ)と心の中で自分自身をわめかせながら、やはりハンドルにしがみついていた。

「ここだ、物件第二号」

四郎は目をあげた。それは平屋の二世帯住宅が本来の建築目的だったらしく、小さな小さな庭があって車庫が二台分あって、大通りから二本入り込んでとぽんとした感じで建っていた。「とぽんとした」というのは妙な表現だが、それほど建物が手垢にまみれていなくて純朴で楚々としていた。

「いくら」

「月、六万」

「うっそ」四郎は思わず聞いた。「事故物件?」

「違う」

カギを借りてある、と高橋は言って、「奈々ちゃんを待たせてるから長居はしないが」と言いながら、四郎をドアから入れた。スリッパがふたつ、そっと置いてあった。

「ああ、俺、こういう家に住んだらまともになるかもしれん」

手の届かない絵空事を言うように、四郎は言ってみて、そのムリさ加減の大きさに宣戦布告をした。ちまちまと削っていってやる、と。

物件第一号はさらに八分ほど車を運転した先にあって、その建物は、望洋とした感じと神経質な感じとの同居があった。
間取りと外観は立派だった。月十二万……そうだろう、という価格だった。
水回りがすでに匂った。「この物件は、やめた方がええ」と四郎は室内のにおいに触れざま言った。「そうじでどうにかなるにはなるが、さっきの環境のほうが、土と水脈から、もともとええ」

「僕も、ちょっとだけそんな気がした」高橋は裏が取れた、というような口調で言った。


二人が家に戻ると、車の止まる音でタイミングを合わせたのだろう、奈々瀬がボトルコーヒーをカップに注いで、泡立てミルクでラテアートのハートを描いてみている最中だった。

「おかえり、口のとこ黄色と紫になっちゃった」奈々瀬はそう言った。

四郎は戸口につっ立ったまま、どうっと涙をあふれさせた。泣く自分にうろたえた。

もらうすべての優しい言葉を、優しいと感じられるように。
してくれるすべての優しいことを、してもらって嬉しいと感じられるように。
幸せな誰かをうらやむのではなく。
かつて自分がどこで血や泥にまみれていたのかを思い出せないほど心身共に健康になって。
愛するものと自分とを、いちにち、いちにち丁寧に暮らして。
いつか、あの地獄は永久に終わったんだと自分に言い聞かせられるように。そうできるように。

「……ただ……いま……」

そのただいまという声は、涙でぐしゃぐしゃで、息も声も詰まり詰まりで、途切れて発せられた声ではあった。

だが、たしかに「ただいま」の一種ではあった。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!