見出し画像

多様性という言葉の使われ方について考察

「多様性」という言葉が頻繁に使われるようになりました。

人と違うということは非難することではなく、認め合うというスタンスは自分も賛成です。

しかし、私の中でこの多様性という言葉を都合の良い言葉にしているように思えます。

今回はその辺について考えていきたいと思います。


1.自己愛主義の多様性

まず、感じられるのが自己愛による多様性主張タイプです。

誰かに何かを指摘されたときに多様性だから、人それぞれだから、価値観が違うからといって自分を肯定します。

しかし、他者の多様性により自分に不都合が起きた場合他者の存在を否定するのです。

多様性であるはずが、結局自分のことしか考えていないというわけです。

まさに多様性が都合の良い言葉になっているわけです。

2.議論放棄の多様性

何か議論するときに「多様性が大事だから」「多様性を認め合うことが大切だから」などと発言する人がいます。

多様性という言葉を使って上手く立ち回っているように思えますが、思考停止し議論の掘り下げを妨げています。

議論するというかとは何かを決定づける、結論を出すことが目的なわけだす。

多様性が大切なのはベースとして、そこにどういうルールが必要か、仕組みが必要かを考えることを意識しなければいけないと思います。

それができなければ無法地帯の出来上がりとなりますので注意が必要です。

3.軸ブレブレの多様性

多様性という言葉を使って自分の言動が定まらないパターンがあります。

該当しやすい人は、「あなたはどう思うの?」に対して答えられないことだと思います。

色々な意見を認めているようで、ただ流して聞いており、噛み砕いて自分のものにしようとしていないとこうなるのではないかと思います。

多様性を認めるのは大切ですが、社会で求められるのは自分の意見です。

これは議論に近い部分の話になりますが、「あなたの意見のこの部分いいね!私はこう思うよ」
このような話し方ができると芯があり軸もあると考えられます。

4.結論

多様性という言葉を使うのは簡単です。

しかし、それを実行するにはかなり努力がいります。

それぐらい他者の考えを認めるのは難しいのです。

今一度この言葉についてよくよく考えることを提案したいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?