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NO.63 《ゴルトベルク変奏曲》と老子の言葉と


僕は今年は(少し早めに)昨日12月25日から冬期休暇に入ったので、今朝はゆっくりと、中国生まれで現在フランスに在住しているピアニストのシュ・シャオメイ演奏によるバッハの《ゴルトベルク変奏曲》(2016年の再録音)を聴いている。

実に自然で素晴らしいゴルトベルク変奏曲だ。

シュ・シャオメイはこの録音に際し、老子の言葉「反は道の動なり(The Return is the Movement of Tao)」を例に挙げ、アリアに始まりアリアに終わるゴルトベルク変奏曲を生と死の循環と捉え、曲を聴き終えたあとに、「生」への希望を感じ取ることができるような演奏をしたいと語っているそうだ。

「反は道の動なり」は『老子』の中の次のような言葉の一節で、「道」(タオ)は老子の思想の根幹をなす言葉だけれど、なかなか頭で理解することは難しい。

反は道の動、弱は道の用。
天下の万物は有より生じ、
有は無より生ず。

難しい言葉だけれど、松岡正剛さんの解説によるとこの言葉は次のような意味のよう。

「根源に立ち返るということが「道」のいとなみであって、柔弱ということが「道」のはたらきなのである。
この世界のすべては「有」という天地陰陽の気から生じるが、その有は「道」にひそむ無から生まれている」

これでもまだ難しいので、少し調べてみて、ある方がこんな風にかみ砕いている言葉を見つけた。

「前に進めば、後退することもあり右に行けば左に戻ることにもなる。
ようするに物事には作用反作用があるということ。
前に進むばかりでなく、後ろへ戻るのが「道」を知った人間の動き方だ。

強者の道を目指せば、必然的に弱みを見せるときもある。
強くたくましければ良いのでなく、弱々しいのが「道」を知った人間の在り方だ。

無とは現象として捉えることができないものであり、何か事が起きるのが有である。
この世の全ては「有」から生じるが、「有」は「無」から生じてくるのだ」

これでもちょっと分かったような分からないような感じがするけれど、あえて解釈するなら、

「進むこと」と「後退すること」、「強いこと」と「弱いこと」、「有ること」と「無いこと」はそれぞれ別のことではなく、全ては繋がっていて循環している、という事だろうか。

『易経』でいう所の「陰陽」という考え方「物事は全て陰と陽の対立する一対の組み合わせが生成・消滅を繰り返し、そこから万物が生じる」にも通じるものがあるようだ。

バッハの《ゴルトベルク変奏曲》では最初のアリアが30の変奏曲として奏でられ、最後にまたアリアが戻ってくる。
つまりは生と死が循環している。

シュ・シャオメイの演奏で聴く《ゴルトベルク変奏曲》の最期のアリアからは、確かに「生」の安らぎと輝きのようなものを感じられるようだ。













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