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自分の人生は自分で作る~つらい過去の乗り越え方~①《鉄ミネラルアドバイザー安井洋子さん》

鉄ミネラルアドバイザー公式noteでは、鉄ミネラルアドバイザーの鉄ミネラル生活の体験談をご紹介しています。今まで取材させてもらった中から、アドバイザーの安井洋子さんに、鉄ミネラル生活に出会うまで、出会ってからの詳細なお話しを伺いました。【全3回のうち第1回目】

「私ね、30代になるまで、生まれた頃から持っていたぬいぐるみを手放せなかったんです。思い返せば、それだけ寂しくて、心の拠り所がなくて、なにかにすがりたかったんだと思います」

安井洋子さんは、そう言いながら穏やかな笑顔で話始めました。安井さんは、笑顔が素敵で前向きさが印象的な女性です。でも、その笑顔ができるまでの人生は、幼少期の虐待や、姉の障害、生死をさまよう病気、離婚、不妊治療、ひどい更年期障害などを経験し、一時期はもう死んでもいいと思うくらいつらいものでした。そんな安井さんが色彩学や心理学、鉄ミネラル講座などを学んで生活に落とし込むことで、少しずつ心身の健康を取り戻されたのです。「今、幸せを感じられるのは、かつての経験があるから」と胸を張って言えるようになるまでのお話と「今、大変な思いをされている方に伝えたい」ことを伺いました。

自分の強い思いは病気まで引き寄せてしまった


—―安井さんが生まれた頃はどのような状況だったのでしょうか
私の幼少期の頃はどこを切り取っても暗い話が多くなってしまうのですが、私には重度の知的障害を持った4歳年上の姉がいます。実はその上にも兄がいたそうで、兄は生後1週間後に亡くなってしまいました。姉が生まれてから数年経ち、周りの子どもと同じことができないことに親が何となく気づき始めた頃、母が私のことを妊娠したそうです。姉のことで苦労しそうだったので、私のことは当初あきらめようという話もあったと聞きました。その話を思い出すといまだに複雑な気持ちになります。
周りの同年代の子どもと同じことができない姉を親はいつも気にかけていました。当時は障害に対する理解はまだ薄くて、大変な差別を受けていました。姉は、「バカがうつる」と石を投げられたり、家に落書きされたりもしました。私の友達も一度は遊びに来てくれても二度目はなかったです。「もう遊びに行っちゃダメってお母さんに言われた」と言われるのです。子どもの私ですらそういう目にあったので、両親、特に母はもっとつらい目に遭っただろうと思いますし、実際にそういうシーンを見かけたことは何度もあります。

母は心身ともに常に極限状態だったと思います。母の地元が遠かったので協力してくれる人もおらず、周りからもそんな風に差別を受けていましたから、そのストレスのはけ口は、子どもの私たちに向かいました。姉と私は、精神的にも肉体的にも虐待を受けました。

兄も亡くし、姉も障害がある我が家では、私はしっかりしないといけない存在でした。子どもらしいわがままなんてもってのほか、ごねたり、すねたりなんてできませんでした。ちょっとミスをすると、髪を引っ張ってお風呂場に連れていかれるのが恐怖でした。湯船に顔をつっこまれるのです。首を絞められることもガラス窓に頭をぶつけられることもありました。

—―安井さんにとって障害を持ったお姉さんはどんな存在でしたか?
私は、とにかく姉が羨ましかったんです。お姉ちゃんは病気だから、あなたは我慢しなさいと言われて育ちました。何でも姉が優先。姉は薬を大量に飲まされていたので、そのご褒美としてご飯もおやつも姉が好きなものをもらえて、私は二の次でした。いつしか、真剣に自分が優先してもらえないのは、自分が元気だからだ、私も病気になりさえすれば、優しくしてもらえる……そんな風に強く願うようになったんです。そうしたら本当に病気になってしまいました。生死をさまようような大病です。いよいよ今夜が峠という時に、私は自分の状況がわかっていたのか、母に「今夜は一緒にいて」とお願いしたんです。でも、そんな時ですら、姉が優先でした。「明日、お姉ちゃんの用事があるからごめんね」と言われてしまい、一人で夜を過ごしたのです。病気をしても私は優先にしてもらえなかった……ショックで私は心の扉の一部を閉ざしました。

その後、私は病気の後遺症で運動もできず、大量の薬を飲む羽目になりました。日々が嫌でたまらなかった。姉の優先は変わらず、身体も動かせない、学校でも友達がいない……自殺未遂もしました。自暴自棄から「死んでもいいや」と肚が据わってしまったんです。それで、勝手に薬をやめ、運動ができないはずなのに踊りを踊ったり好きなことをするようになりました。そうしたら、不思議なことに治らないと言われていた病気が治ってしまったんです。病気になりたいと思ったら病気になり、病気なんてどうでもいいと思ったら治る。そんな体験から、自分が願ったことって叶うんじゃない? と思うようになりました。

—―病気が治った後、何か変化はありましたか?

病気が治ったので普通の生活は送れるようになりました。20代前半で縁があって一度目の結婚をします。とにかく、自分の幼少期はお話した通りでしたから、理想の家族像を追い求めていたのだと思います。地に足つけて、家族が笑っている生活がしたいという思いが強かったですね。けれど、夫が子どもを欲しくないと言い始めました。

「お姉ちゃんみたいな子どもが生まれたらどうするの?」

そう言われたときには、何も言い返せなかったですね。その分贅沢しようよと言ってくれたのですが、それは私の理想の家族像ではなかったんです。ただ、普通の家庭が欲しかっただけなのに、それが私には夢のまた夢でした。最終的には、彼から、子どもがほしいなら別れた方がいいよね、と言われて離婚することになりました。

鉄ミネラルアドバイザー安井洋子(やすいようこ):
福岡県在住。2022年8月アドバイザーの資格を取得。未熟児として生まれ、兄は亡くなり、重度障害の姉がいる環境で、自身は身体的・精神的虐待を何年も受けながら、生死をさまよう心臓病を経験。その後も心身の不調が多く、不妊治療の後にひどい更年期障害に見舞われる。どうにか改善したいと学びを深め、見た目から意識を変える色彩学と鉄ミネラルの栄養から心とからだを変える学びを中心に、現在は少しずつ健康を取り戻している。家庭環境から来る苦悩、不妊治療後のフォローや、才能を見つけるなど、精神面と身体的な栄養を繋げて、悩みのある方に寄り添う活動をしていきたい。本来の輝かしい生き方を応援することができる鉄ミネラル生活を実体験も含め皆さんにお伝えし、一緒に元気になっていく、そんなアドバイザーを目指しています。

2023.6.21現在の情報です

書き手:掛飛まどか
2020年11月より鉄ミネラルアドバイザー、2022年11月鉄ミネラルシニアアドバイザー取得。健康オタクだったはずなのにすっきりと元気になれない自分に劣等感をもっていたが、鉄ミネラル生活に出会って、学べば学ぶほど、自分がどうして不調だったのか、幼少期の不調が腑に落ちて、鉄ミネラル生活の奥深さ、面白さにどっぷりとハマっている。また、先人の食生活の叡智に深い畏敬の念を抱いている。鉄ミネラルのお話会を3年で200人以上に伝えているが、鉄ミネラル生活が、家庭科の教科書に載って、日本人の常識になるくらいまで広めたいと画策中。

鉄ミネラルアドバイザーとは:
鉄ミネラル生活を沢山の人に知ってもらうためにお話会を開催しています。発案者の野中センセの下で学び、情報交換しています。医療関係者や栄養学を学んでいる人、スポーツのサポートを得意とする人、美容関係、飲食関係、鉄を扱う仕事に携わる人など、実に多方面の専門家が集まっており、鉄が身体に及ぼす影響が広範囲に渡り関心を持たれていることがわかります。

このnoteでは、私達鉄ミネラルアドバイザーが、普段、どのように鉄ミネラル生活をしているのか、鉄ミネラル生活をする前としている今では何が変わったのかをお伝えしていきます。各アドバイザーの体験談やプロフィールを参考にどのアドバイザーからお話会を聞いてみるか選ぶ参考にしてください。

鉄ミネラル生活と、私達鉄ミネラルアドバイザーに少しでも興味を持っていただけるきっかけになったら幸いです。
とりあえず、お話会を聞いてみたい! という方は、鉄ミネラルアドバイザーの上級資格、シニアアドバイザーのお話会をご案内します。

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一般社団法人鉄ミネラルについて:
農業や人々の生活に鉄ミネラル技術を伝えていくことで、健康改善、自然の再生、環境保全をはかり、市民生活の質の向上や自然環境の向上に貢献したいという想いで活動する社団法人です。

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