”気の無い同意は見透かされているよ”

今日、勤務先の同僚から言われた一言です。
とても心に刺さったので、備忘録的に感じたことを記録しておきます。

同僚は30代後半の男性で必要のない無駄話はしないタイプ、でもいうべきことは年上でも上司でもきちっと言う方です。
彼から僕に上記の一言。

会議のあと、業務の進め方で彼の意見を聞いて、僕はピンとこなかったにもかかわらず「そうですよね」と同意したのですが、
それが、心からの同意ではないと感じ取ったようでした。

それはまさに図星でありました。

この指摘をもらって、本質的な僕の良くも悪くもあるひとつの性格に気づいたのです。

僕自身の意見を言わずに基本的に同意している

つまり「相手に話を合わせる」みたいな考え方だったわけですが、
彼からしたら、話し相手である僕の本当の意見ではない、それなら、話をするこの時間はなんなのか?と感じたわけです
相手である僕の意見があってこそ会話の価値があると思っていた。

本当に同意なら、「そうだね」と心から言えるはず
違う意見なら、「僕はこう思う」とか「それは違うんじゃない?」とか言う
よくわかってないなら、「よくわからない」「どういうこと?」と言う

そう「僕の感じたこと」を伝えたらいい、本音で話せばいい。

ただそれだけなのに、それをしていなかった僕自身の姿が見えたのでした。

相手に合わせているだけでは、僕は僕自身の人生を生きていると言えない

僕は自分が主人公の人生を生きているハズでしたが、
どのシーンでも相手が主人公、僕は脇役な配役となっていたように思います。
相手に合わせていることが必ずしも良い結果になるとは限らない

世界の中心は僕である
僕自身が主人公の人生を生きていい
それを許せていなかったようです

僕はどこにいるんだ?
空気ではない、僕は確かにここに存在している。一人の意思をもつ人間である。

意見をもつためには、まず関心をもつこと。
仕事や話し相手(同僚)の意見に興味関心がなければ僕自身の意見も出てきませんから当然のことです。

そして意見が違えば僕の意見をそのままいえばいい
わからなければわからないといえばそれでいい
いいこでいる必要もないし、知ったかぶりすることもない。

僕自身の意見を言って僕の人生を生きればいい。

こんなコミュニケーションの当たり前に気づかず生きていた自分にハッとしました。

気の無い同意は見透かされている。
この言葉はしっかり心に留めていきたい言葉です。

今日もお読みいただきありがとうございました。

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