ハヤカワトモヒロ(はまー)

東京都豊島区を中心に活動中。都内のNPOに勤めながら、時々出張料理人的なことをしていま…

ハヤカワトモヒロ(はまー)

東京都豊島区を中心に活動中。都内のNPOに勤めながら、時々出張料理人的なことをしています。日々の生活の中で感じたことを思うままに綴ります。

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どうも、ハヤカワトモヒロです|自己紹介

はじめまして。ハヤカワトモヒロです。 はまーと呼ばれています。 「呼ばれています」という表現にしたのは、実は自分からそう名乗ることは案外少ななかったりするから。 でも、まわりの皆んながそう呼ぶもんだから、気がつけばハヤカワと自己紹介したはずの相手も僕のことを「はまー」と呼ぶようになっています。 最近では苗字やファーストネームで呼ばれることに違和感を覚えるようにすらなってしまいました。 大学入学当初からの渾名なので、かれこれ10年以上呼ばれています。大学デビューのために生ま

    • すきまの記録 2024年4月後半

      忙しない日々の間に空いたすきまのような時間たちの記録。 他愛もない、他人からしたら、たかがそれくらいのありふれた出来事でも、僕にとってはかけがえのない日常。このすきまがあるから、忙しない日々の中でもゆっくりと呼吸ができる。 あまり記憶力が良くないので、備忘も兼ねて。 本当になんてことのない誰かの日常の1ページだけど、箸休めくらいになれば僥倖です。 4月前半の記録はこちら。 4月17日 閉店してしまう知人のカフェへ。 このお店では以前、仕事で関わっている若者が働いていて(

      • 積み重ね続けたものだけが、割合を増していく ~Bray me 1st Full Album「DUH」Release Tour Final観戦に寄せて~

        Bray meのライブに初めて行った。 凄く、凄く良かった。超・充実の2時間だった。 語彙力が何処かに旅立ってしまって上手くまとまるかはわからないけれど、今感じていることを言葉にしておきたいと思って、慌ててパソコンに向かっている。 最初にBray meを聞いたのは、昨年の夏頃だったと思う。 その頃、新しい音楽との出会いを求めて、インスタのストーリーズやYouTube Shortsで流れてきた音楽系の広告の曲をApple Musicのライブラリに追加する、というマイルールを

        • すきまの記録 2024年4月前半

          忙しない日々の間に空いたすきまのような時間たちの記録。 他愛もない、他人からしたら、たかがそれくらいのありふれた出来事でも、僕にとってはかけがえのない日常。このすきまがあるから、忙しない日々の中でもゆっくりと呼吸ができる。 あまり記憶力が良くないので、備忘も兼ねて。 本当になんてことのない誰かの日常の1ページだけど、箸休めくらいになれば僥倖です。 4月1日 江ノ島(と言っても泊まったのは平塚)を後にして、東京へと帰る。 チェックアウトギリギリまで寝て、前日に消費した体力は

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        どうも、ハヤカワトモヒロです|自己紹介

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        • すきまの記録
          2本

        記事

          2023年、芽を守り、育むような1年

          伸ばしていた髪をバッサリと切りました。 11月の終わりくらいから、「これはちょっときついぞ」と思うことが増え始めたので、厄祓いの意味も込めて。 伸ばしている最中は、結べるようになった髪に嬉しくなったりもしましたが、いざ切ってしまうと、この形があるべき形のようにも思えます。(あと、短い方が若く見える) 今、紅白歌合戦を見ながらこの文章を書いています。 すき焼きを食べて、紅白を見て、年越しそばを食べる。毎年変わることのないルーティーン。毎年同じだからこそ、強烈に年の瀬を感じられ

          2023年、芽を守り、育むような1年

          青を秘めて

          ーー内側に覗く青色に、胸の高鳴りを感じた。 インナーカラーを入れたいと思うようになったのは、無職になった頃からだったように思う。 きっかけと言えるほどのものはなくて、ただ漠然とした願望だった。 * 2020年の初め、コロナウイルスの猛威によって次第に閉じていく世界の中で、僕はうつ病の再発によって文字通り部屋に引きこもっていた。 先の見えない世情、一向に上向かない自身のコンディション。 将来への不安と焦りは募る一方で、休むほかないのだという達観もあり、しばらくの期間をほ

          ヒトサラのセンス・オブ・ワンダー

          「心が健康になっていく気がする」 僕は普段、若者支援の現場で働いているのだけど、その仕事のうちに施設を利用している若者たちへの食事の提供がある。 施設を訪れる若者たちの背景は様々だが、その多くが「家に居たくない」「家に居られない」事情を抱えて僕らのもとを訪れる。 十分な食事を家で摂れていない子も中にはいるので、そのお腹を満たしてあげることは僕にとって重要なミッションだ。 それは2023年を迎えて少し日が経ったある日のこと。 一人の若者が夕飯を食べ終えると、冒頭の言葉を溢し

          ヒトサラのセンス・オブ・ワンダー

          家系は、普通・濃いめ・少なめで

          どうも、ハヤカワ(はまー)です。 日曜の仕事終わり、休日を目前に僕はよくラーメンを食べに行く。 大体、月に2回くらい。 1週間の活動で空っぽになった体には、家系ラーメンの濃い味がよく染みる。 味の好みは「普通・濃いめ・少なめ」 初めて家系の味を知ってから10年変わらない僕の鉄板チョイス。 トッピングは海苔と味玉。(時々チャーシューも) もちろん、ライスも忘れない。 むしろ家系に関してのみ、僕は麺ではなく米を食べに行っていると言っても過言ではない。 梅に鶯、月には雁。そして

          家系は、普通・濃いめ・少なめで

          2022年、それは間違いなく転機だった

          2022年が、間も無く終わろうとしています。 皆さんはいかがお過ごしですか? どうも、ハヤカワ(はまー)です。 今年は間違い無く転機と呼べる1年でした。 目まぐるしく過ぎていく日々の中で、自分を失わずに笑って過ごせたことに、自分でも驚いています。 きっといろんな場面で、共に笑い、元気づけてくれる人がいたからです。 本当にお世話になりました。心からありがとうございます。 1年間駆け抜けてみて、程よく自信がつきました。 うつ病というヤツはどうしても再発のリスクが伴うので、陰

          2022年、それは間違いなく転機だった

          自分の世界を広げる

          突然だけど、「ヤールギュレシ」というものを知っているだろうか? ヤールギュレシは、トルコの国技にもなっている伝統的な格闘技で、650年もの歴史があるとされているオイルレスリングの1種。日本ではトルコ相撲なんて呼ばれているそう。 細かいルールなどは、本題から逸れてしまうので割愛させてもらう。 知っていた方もいるとは思うけれど、知らなかった方がほとんどではないだろうか。僕もヤールギュレシの存在を知ったのはつい最近のことだ。 知らなかった方は、幸運かも知れない。 今この瞬間、

          ここではないどこか

          中学・高校生の頃、「ここではないどこか」に憧れ続けていた。 それが思春期独特の感情だったのかはわからないけれど、家庭や地元に対して、小骨が喉につかえる程度の生きづらさをずっと感じていた。 「このままではいけない」 そんな感情ばかりが思い浮かんではぼやけてを繰り返していた。 愛知県の片田舎に住んでいた当時の僕にとって、文化の最先端が集う「東京」は、正しく「ここではないどこか」の象徴だった。 名古屋でも、大阪でもなければ、海外でもない。「東京」こそが憧れだった。 大学に入学

          伝えたいのは「アイラヴユー」

          アイラヴユーが歌いたい 愛してる 愛してる アイラヴユーが歌いたい 愛してる 愛してる ぎこちなくてもいいさ とにかく届けばいい 照れながらでもいいさ 顔がほころぶなら アイラヴユー/SUPER BEAVER SUPER BEAVERの音楽は、いつも心の真芯に響く。 胸の奥にあった形になりきらなかった実感を言葉にしてくれる。 気持ちに形が与えられるのは心地が良い。 ずっとずっと聴き続けてきたから、SUPER BEAVERが、成人以降の僕の人格形成に多大な影響を与えている

          伝えたいのは「アイラヴユー」

          心は叫びたがっていたのかも知れない

          劇場アニメ『心が叫びたがっているんだ』を観た。 誰もが「言いたいこと」「言えなかったこと」を抱えていて、心の声に背を向けてやり過ごしていた。それでも、向き合わなきゃならない時はいつか来るし、そのきっかけはすぐ近くに転がっているのかも知れないな、と思わせてくれる良作だった。 思えば昔から、僕も心の内を晒すのが苦手だった。 言葉にしてしまうと、開いた口の端から大切なものがこぼれ落ちてしまうような気がして、でかかった言葉を飲み込んできた。 特に自分の本当に好きなものや、やりた

          心は叫びたがっていたのかも知れない

          文章から優しさが滲むような人になりたい

          優しい文章が書きたい。常々そう思っている。 だから、noteを書き始めた当初は、「です・ます調」で書くことにしていた。何となくその方が丁寧で柔らかな感じがしていたから。 でも、僕の好きな文章を書く人たちは、結構「である調」で文章を書く人が多い。 それでも、文章から温かさや、柔らかな手触りを感じられる。 不思議だ。その柔らかさや、温度はどこから滲み出ているのだろう。 人柄が滲み出ているのだろうか。とはいえ、好きな記事を書いている人たちの為人というものを、僕は知らない。 *

          文章から優しさが滲むような人になりたい

          降らない雨もまた、ないと言う話

          やまない雨はない。 悲しい時や、どうしようもなく落ち込んでしまった時、そっと心に言い聞かせてきた。 いつだって雨を降らせている分厚い雲の向こうには、青空が広がっている。 その事実を心に投影することで、いつかこの気持ちもきっと晴れると、そう信じてきたし、実際時が経てば悲しみはそっと風に流されるように心の隅に消えていった。時間が解決してくれる、その通りだと思う。 でも、悲しかった事実が完全に消えてくれることはなかった。 雨上がりに残った水溜りのように、心の隅にそっと佇んでいる

          降らない雨もまた、ないと言う話

          常識をアップデートしよう

          常識というものは、ベン図のようなものだ。 何人もの経験が寄り集まり重なり合って、一番色濃くなった部分を、僕らは「常識」と名付けているに過ぎない。 自分の中で色濃くなったソイツを見つめて、常識とは、自分の中にあるのではないかと錯覚してしまう。 常識とはあくまで、ある一定のコミュニティのなかで、ある特定の時間軸において重なり合った経験の和集合のようなものだ。 だからコミュニティが変わったり、時代が移ろえば当然、重なりの一番色濃い部分は変わっていく。 常識とは常に自分の外側にあ

          常識をアップデートしよう