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3.5. バジリスク:バジリスクとコッカトリス

3.5. バジリスクとコッカトリス


 創作において、ヘビ(トカゲ)の形をしたものをバジリスクと呼び、ニワトリとヘビの合成獣をコッカトリスと呼ぶことがある。現実には、コッカトリスと呼ばれるものは、幻想動物学におけるバジリスクと同一のものなのである。また、雌雄別で名前を変えると誤解されることもあるが、そうした区別でもない。唯一学術的なバジリスクとコッカトリスの違いとは、毒の排出方法の違いなのである。


 コッカトリスの語源には諸説はあるが、発生した地はイギリスであると考えて間違いないと思われる。コッカトリスが空想上の動物として登場し始めた14世紀頃、バジリスクもヨーロッパでようやくその存在が知られるようになっていた。しかしながら、当時のイギリスではバジリスクは未だに正体不明の幻獣であり、実在するかさえ確かではなく、図録などではヘビまたはトカゲに似た想像図が使われていた。一部の人々はバジリスクと遠からぬ生活を送っていたものの、彼らの多くが農業従事者や畜産業者で識字率は高くなく、従ってそれが「バジリスク」という生物であると知っているどころか、「バジリスク」という単語さえ知らなかった。彼らは単に、バジリスクを危険で奇妙なニワトリ程度にしか捉えていなかったのである。バジリスクがやがて害獣扱いされるようになると、それを聞き及んだ領主などの識者たちが、害獣を「コッカトリス」と呼び始めた。おそらく、誰かがバジリスクと空想動物のコッカトリスを取り間違えたのであろう (16)。かくして、二つ名を持つ幻想動物が誕生したのである。


 現在では「コッカトリス」と「バジリスク」は、毒の排出方法の型の名前で区別される。距に毒があるものをコッカトリス型、糞に毒を含むものをバジリスク型と呼ぶ。ただし、種そのものは「バジリスク」種でありながら、距に毒を持つ多数派である型が「コッカトリス」であるのは紛らわしいとして、改名称を望む声は多い。


 バジリスクの足の指は通常5本あるが、その上部に横向き、または後ろ向きに、毒腺を持つ距(けづめ)が生える個体がある。これがコッカトリス型の最もわかりやすい外的特徴である。相手を距で引き裂くことで被害を与える。爪の表面には縦に凹凸があり、毒腺を包むように存在する筋肉で液を押し出すことで、毒が溝を流れ、爪先までいきわたるようになっている。コッカトリス型の毒は足の着け根の部分に蓄えられるが、一度に排出する分は距の根元の袋に溜めておく。自家中毒を避けるため、毒を排出した後は体液でもって、一度爪の溝を洗い流す。このため個体差はあるが、続けて毒攻撃をすることはできない。これは攻撃に爪を酷使して、怪我を負わないための合理的なシステムでもある。足を負傷したバジリスクは、距に毒を貯めることはせず、完治するまで毒腺を体液で満たしておく。距によって攻撃を受けた相手は、高確率で死に至る。距以外の爪での負傷であっても、まき散らされた毒が触れることもあるからである。


 距そのものを持たないバジリスク型個体は、摂取した有毒物質や体内で作りだしたものを排出するため、糞に有害物質を含ませて排泄する。毒は常に排出物に混ざっているわけではなく、溜まったらまとめて排泄するため、毒は凝縮されることとなる。見た目は通常の排泄物である尿酸のように白い半固体だが、それよりも若干固めである。


 「バジリスクの飲んだ水が汚染される(博物誌(プリニウス著))」とは広く知られた伝承であるが、これはバジリスク型による害を指す。水辺にやってきたバジリスクが糞をし、水を共有した動物がこれにおかされるのである。しかし、半固体の糞は水に溶けにくく、たとえ溶けたとしても水によって有害物質の割合が低くなることから、コッカトリス型よりも大事に至る可能性は少ないはずである。重症・死亡例の多くは、傷口や粘液を介して糞を大量に触った場合がほとんどだ。


 バジリスクの毒は個体によって成分にムラがあるが、いずれも神経毒である。複数のたんぱく質から構成され、多くのヘビ毒と同じく消化酵素が毒腺に溜まって作られる。しかし、いくつかはバジリスク特有のものであり、いまだにそれがどういう効果をもたらすのか、明らかになっていないものもある (17)。ヘビの種類によっては出血毒を併せ持つものもあるが、バジリスクが出血毒を持ったことは、少なくとも記録の上では一度もない。


 毒は即効性を持ち、被害を受けた動物の神経・筋接合部の神経伝達をかく乱する。骨格筋を収縮させ、麻痺やしびれ、呼吸困難や心臓停止をもたらす。バジリスクの成体のオスが良好な健康状態にある場合、コッカトリス型の一回分の毒液5mlで、一般的な成人男性の約30人の致死量となる。これは実にキングコブラの約1.5倍の致死量となる。


 バジリスクはしかし、強力な毒を持っているにも関わらず、それを行使することは少ない。防衛器官は特に後方下部を警戒するためのものであり、特に頭上から不意を突かれた場合、反応すらできないこともあるからである。第二の脳はあくまで防衛器官を管理するもので、自動的に毒を放出するわけではない。「敵襲を受けて」から「毒を放出しなければならない」と自覚して、初めて有毒迎撃に転じることができるのである。しかし臆病ゆえにこの幻想動物は、例え「敵襲を受けて」いるとわかっていても「本当に毒を使うべきか」慎重に見極めすぎて、期を逸してしまうこともしばしばある。


16)上流階級の者で海外経験のある者には、バジリスクの実態を知っている者もあった。彼らは「コッカトリス」と呼ばれるものが本当はバジリスクであると公表したものの、派閥や学派の問題もあり、「バジリスク」と「コッカトリス」の問題に更なる混乱を招いただけだった。イギリスでは特にコッカトリス派が多く、1474年に宗教裁判にかけられたニワトリが「コッカトリス」として有罪判決を受けている(これが本当にバジリスクだったのかは不明)。


17)バジリスクがヘンルーダという薬草だけは(その邪眼をもってしても)枯らすことはできないと言われることから、ヘンルーダに含まれるルチンが、バジリスク毒へなんらかの解毒・症状緩和効果を与えることができるのではないかと期待されている。しかし今のところ、ルチンを投与することで好ましい効果が得られると証明する臨床研究は存在しない。根本的に、ヘンルーダが現実の植物なのか、なんらかの幻想植物を指していたのかを、明確にする必要がある。

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